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イスラエルの回復と聖書預言 
10、メシアニック・ジュー
  (写真:アウシュビッツ・ビルケナウ収容所死の門)

ユダヤ民族は、最後には主イエス・キリストを受け入れるでしょう(かれらはその刺し通したものを見ると預言されています。ゼカリヤ12章8〜11節参照)。今や、その準備は整っています。イスラエルのなかに、主イエスを信じる群れとその神学校までが出来ています。
福音はユダヤ人から始まって、ユダヤ人に終わるのです。この間にわたしたち異邦人の救いの時代があるのです。ユダヤ人は異邦人が救われるために、神によって、一時、心の目を暗くされているのです。神の全人類を救う御計画はなんとすばらしいことでしょう。
 
イエスを信じる異邦人がアンテオケでクリスチャンとよばれるようになったのですが、はじめはユダヤ人が主の弟子でした。救いに与るには、ユダヤ人もギリシャ人もないわけですが、それでも順序があります。エルサレムから始まってユダヤ、サマリヤそして世界中に福音宣教は広がりました。はじめはユダヤ人でした。そのあとにギリシャ人(異邦人)でした。それで今日ユダヤ人の中で主イエスをメシアと信じるものは、メシアニック・ジュ−とかれら自身は呼んでいます。ユダヤ人社会の中にその数がふえてきています。もちろん彼らに試練も多いが、かれらは、それでもユダヤ人であることを捨てず同胞に主イエスを伝えています。彼らには異邦人クリスチャンとは違った召命があると思われ、今後、このメシアニック・ジュ−がさらにすばらしい福音宣教の働きをするでしょう。




11、置換神学・・教会の間違ったユダヤ・イスラエル観
      (写真:ポーランド・ゲットーのユダヤ人)

異邦人クリスチャンの教会こそが真に救われた神の民すなわち霊的イスラエルであり、肉におけるユダヤ人はもはや捨てられた民族であるとする置換神学が、2000年間にわたってながらく教会を支配した。そしてユダヤ人を苦しめてきた。今わたしはユダヤ民族と教会の関係について論じた「福音とユダヤ性の回復」(ディビット・スタ−ン著横山隆監訳,マルコ−シュバブリケ−ション刊)を紹介したい。ここに詳しくこの置換神学の誤りが述べられている。



12、近代イスラエルの建国
            (図クリック:拡大) 

約2000年の離散のユダヤ人が幾多の苦難ののち近代イスラエル国家を再建するに至った道のりを簡単に述べよう。
イスラエル・アラブ紛争で誤解されている点は、イスラエルを抑圧者とみる視点である。この国が再建されたのは、植民地支配でもなく、他国すなわちアラブを侵略してできたものでもなく、あくまでも民族の祖国復帰であって合法的であり、国連の決議にしたがって、行動したということである。かれらイスラエルの再建にいたる道のりは、決して生易しいものでなく、バビロン補囚時代にネヘミヤがエルサレムの町と城壁を再建した歴史を、思い起こす。周囲の国々はネヘミヤに再建工事をやめさせようとあらゆる圧力をかけた。

古代にあったイスラエルを再建すること、いわゆるシオニズム運動は、かれら民族が離散していた時代から、ユダヤ人たちは過(すぎ)越(こ)しの祭りの食事ごとに「来年はエルサレムで」と祈ってきた民族の悲願であった。英国の委任統治の期間が終わる1948年5月15日の前日14日にテルアビブにおいてイスラエル独立宣言が初代首相となったダビド・ベン・グリオンによって布告された。

わが国は1945年8月15日に米、英、ロシアの連合国に無条件降伏をもって敗戦した。イスラエル建国に思いを馳せる余裕もなく、勿論わが国がイスラエル国を承認する権限もないアメリカ占領下の混乱時代であった。

1880年代の入植計画にはじまる祖国再建の努力が徐々に稔り、灌漑設備が整い土地が豊かになって入植者も増え国家としての体制が備えられていった。労働を求めてアラブ人もそこに住むようになった。

このパレスチナと言われる土地はオスマン・トルコ帝国より引き継いだ旧トルコ領であったが、トルコは第一次大戦時にドイツ側についたため、その領土はイギリス委任統治領となっていた。

そしてイギリス国会は1917年11月2日所謂バルフォア宣言をもって、イスラエルに民族の領土を約束した。しかし、イギリスはこの宣言を履行せず、その後アラブ側ともかれらに領土を約束する二枚舌外交が、その後の混乱をひきおこすことになったと言われる。

当時、第二次世界大戦の影が地平線の彼方に見えはじめていたので、石油の確保は最大の課題でした。産油国アラブとの関係に亀裂が入ることを恐れた英国は、1939年にはバルフォア宣言を反故にする白書を発表した。

それはユダヤ移民を極端に制限し、10年後にはユダヤ人を多数派国民とするパレスチナ国家を建設すると言うものでした。ユダヤ人はこれに反対し、抗争は収集がつかなくなる。

1945年第二次大戦終結後にヒットラ−が行った600万人ユダヤ人の殺戮(さつりく)が明らかになった。

第二次大戦後にイギリス植民地から独立したアラブ人諸国はイスラエルの建国を阻止しようと武力衝突は頻発するようになった。

ついに1947年英国はパレスチナ問題を国連総会にはかり、国連はパレスチナの分割案を決議(1947年11月29日、賛成33、反対13、棄権10票)する。しかしアラブはこれを拒否した。

そして建国宣言の8 時間後には周囲のアラブ諸国は大挙してイスラエルを殲(せん)滅(めつ)せんと攻撃をしかけたのである。これに対しイスラエルは勝利し、その後の戦いにも負けることなく領土を回復していった。

(付録)エベネゼル緊急基金(クリスチャンのユダヤ人救援活動)
 
かって太平洋戦争開戦前の昭和15年、日本と同盟を結んだドイツはユダヤ民族絶滅(ホロコ−スト)をはかって大虐殺をユダヤ人におこなったことは歴史の悲劇であった。

杉原千畝
当時リトアニア領事館員であったクリスチャンの杉原千畝はヒットラ−の魔手を逃れてポ−ランドからきたユダヤ人にビザ発給を行った。日本(神戸)を経てアメリカに6000人のユダヤ人が逃れることが出来た。ユダヤ人は彼を日本のシンドラ−として決して忘れない。

 紀元70年、ローマ軍によりエルサレムは滅亡し、聖書の預言どおりユダヤ人は世界に離散する。しかし19世紀後半より20世紀は彼らが祖国を回復する時代となった。これは歴史の奇跡である。神はユダヤ人を愛しておられるが故に、決してイスラエルを見捨てることはない。
 
イスラエル大使館発行の1973年版広報誌「イスラエルという国」によると、当時のイスラエルには250万人、アメリカに600万人、ロシアには300万人のユダヤ人が住んでいた。世界各国の離散のユダヤ人は続々と祖国イスラエルの地に帰還して、2000年には約630万の人口を数えるにいたり、これは世界ユダヤ人口の37%が祖国にもどったことになり、尚その数は年毎に増えている。(世界に住むユダヤ人は約1300万人といわれ、南北アメリカにはその約50%がなお留まっている)。
 
さて世界第2位を数えた北の国ロシアに住むユダヤ人は過酷な差別と困窮のなかにあって長年苦しんでいた。ここに一人のイギリス人、グスタフ・シェラ−が主に召された。彼に与えられた幻は、ロシアに住む捕らわれ人のようなユダヤ人を解放し、祖国に連れ戻すと言うことであった。

これが1982年にはじめられたエベネゼル緊急基金の働きで、これまで9万人のユダヤ人救出をクリスチャンが実現したことは特筆される。今日もその出エジプト作戦が続けられている。わたしはグスタフ・シェラー著「出エジプト作戦」を読んで、その主の霊に導かれた壮大なドラマに圧倒される感動を受けた。



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