川合敏久先生     近藤春樹(伊丹教会月報2007年10月号寄稿)

 

川合夫妻の洗礼

川合夫妻が本年624日に受洗されたことは西谷集会にとって森田兄弟姉妹につぐ集会の喜ばしい実りとして感謝にたえません。思い返せば川合夫妻は約6年前大阪から西谷にアトリエを移された直後からお交わりをいただいた。川合敏久兄は環境の変化で少し悩みを覚えてわたしの診療所に来られた。前後して川合姉も持病の診察にこられた。そしてご夫妻を西谷集会にお誘いしたのですが、以後、続けて集会に出られるようになられ熱心に求道されました。季子姉は待合室の三浦綾子さんやキリスト教関係の書籍を常に持ち帰られて聖書知識を深められました。川合姉は絵画教室の指導で日曜礼拝出席は困難でしたが川合兄が努めて礼拝に出席されました。本年5月の去る礼拝後、モーア先生の説教に促されて何気なく川合兄に洗礼を受けることをお勧めしました。兄はこの申し出を真剣に受け止められ早速川合姉にその決心を打ち明けられました。季子姉は家の宗教のことなど悩まれたようですが、それらを乗り越えて夫婦が同じ信仰にたって後半生を歩む決心をされました。洗礼準備会でも的を射た信仰問答がなされモーア先生ともどもうれしく感謝しました。小会の洗礼試問会でもご夫妻の信仰告白は感動的に受け入れられました。受洗後はそれまで教えておられた絵画教室も午前中は礼拝を第一に守ることに決心され努めて礼拝を守っておられます。伊丹教会の多くの兄弟姉妹には川合夫妻と接することが少ないのでこの紙面を借りて今回は川合兄を簡単に紹介させていただきます。

 

緒方洪庵と適塾


門外漢のわたしなどには川合先生の偉大さはわかりませんでしたが、川合敏久兄はブロンズ彫刻の道では大変高名な権威であられます。

大阪には緒方洪庵が蘭学塾の適塾を開きわが国の維新前の医学のみならず文明開化に大変大きな役割をはたしたことは聞いてはいましたが、川合兄を通して改めて洪庵が身近になりました。大阪大学医学部の祖と言われる緒方洪庵は初めて牛痘菌が長崎に渡来した嘉永2年(1849)、古手町に除痘館を設け、わが国の予防医学史上画期的なる種痘事業も実施した。適塾では約20年間にわたり全国より塾生1000人が集まり、医学以外にも広く蘭学を教えたので福沢諭吉や大村益次郎、長与専斎など幕末から維新にかけて活躍した多くの逸材を輩出した。

緒方洪庵像の制作

適塾の建物は国の史跡(昭和16年)、また重要文化財(昭和39年)に指定されているが、ここに緒方洪庵像を建てることとなり、その制作が川合敏久兄に依頼された。この制作に川合兄は心血を注がれ1997(平成9)年2月にみごと洪庵坐像の完成を見、除幕式が盛大に行われました。

 

洪庵の像はかれの生誕地岡山市足守にもすでに建てられてはいるのですが、生き生きとした像を彫刻するには人物モデルが必要です。洪庵は勿論いません。洪庵の面影を大変よく写していると言われる洪庵から5代目にあたる医師の緒方惟之氏(大正4年生)にモデルを依頼したそうです。緒方氏には子どもが無く直系は5代で絶えるそうですが、以後5代目惟之氏と川合兄との親交が深められたそうです。その5代目緒方惟之氏が最近執筆された「医の系譜・緒方家5代」を川合兄に贈呈され、私も読ませていただいた。

 

緒方家5代はすべて医家で、いずれもその時代の指導的医家であることが分かります。この書はわが国の近代医学史を紐解くうえでも大変有益ですが、また肉親の暖かい情を持って緒方家を回顧していて興味深く一気に読み通すことが出来ました。緒方家とキリスト教の関係も簡単ではあるが書かれている。

 

3代目に当たる緒方_次郎が、20歳で病死した兄と共に、天満基督教会で本間重慶牧師より洗礼を受けたこと、2代目の緒方惟準の死(66歳)に際しては土佐堀基督教青年会館にて長田時行牧師司式のもとキリスト教式の葬儀が会衆1000人の参列のもと行われたことなど蘭学者の家系としてキリスト教に広く心を開いたことを知ってうれしかった。

 

洪庵の妻・八重

緒方洪庵は同じ蘭学塾で学んだ兄弟子の西宮名塩の蘭医億川百記の娘八重を妻としたが、この八重は良妻賢母の鏡と称されるほど洪庵を支え適塾の面倒もよくみたそうで、塾生から母のように慕われた。洪庵は、本人の意に反し、徳川家の奥医師また幕府の西洋医学所の頭取に召しだされたが、上京10ヵ月後、過労が元で喀血し江戸で急死した。54歳であった。そのとき大阪に残された八重は男7人、女6人の計13人の子どもを抱え42歳であった。しかし子どもたちを立派に育て上げ、2代目惟準は明治天皇の侍医となり、のち大阪で最初の私立総合病院「緒方病院」を創立している。その他の子どもたちも皆立派に成長して、その家系は今日まで日本医学界の重責を担っている。去る924日休日に川合兄と名塩の洪庵の妻八重の実家億川家跡を訪れた。蘭学通りと名付けられた旧道を入っていくと、昔の億川家の跡はなく、現在は農協名塩支店が建っている。その農協の一角に洪庵の妻八重を記念する胸像が静かに立っていた。         2007.10.17

HOME