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もくじ
はじめに
宣教医ヘボンと後継者べリー
べリーの生い立ちと信仰

べリー夫妻の来日
開港地・兵庫における病院建設
神戸におけるべリーの働き
べリーと解剖学
べリーの神戸以外での働き
べリーの癒しの理念と監獄改善運動
後日談
賀状
謝 辞
〔はじめに〕
 神戸大学医学部の創生期の状況については本50年史の「神戸大学医学部の歴史の概略」に述べられているが,その中で明治初期の神戸病院、医師養成所、附属医学所におけるアメリカからの医療宣教師べリー(John Cutting Berry)の活躍を見逃すわけにはいかない。

 医療宣教師として弱冠26才でアメリカから日本に派遣されたべリーの果たした大きな足跡と彼の医療にたいする理念は,今日もわれわれ神大医学部同窓生の精神的バックボーンとして忘れてはならないものであると思い一文を記す。
J・C・ベリー 26歳 
〔宣教医ヘボンと後継者べリー
 鎖国の解けたあと,宣教医として最初に近代医学を携えて入ってきたのはアメリカの宣教師ヘボン(Dr.James Curtis Hepburn.1815〜1911)であった。鎖国の解けた翌年の安政6年(1859年)に彼は米国外国伝道局の宣教として早くも来日しているのである。アメリカでは奴隷解放問題から1861年4月南北戦争が起こり,そのためにヘボンのあと医療宣教師べリーが遣わされるのは13年後のことである。
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