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後日談
べリーの「獄舎報告書」を翻訳したのは,当時神田県令の通訳官であり,また後に伊藤博文の秘書になった伊東美代治氏であった。

 べリーは彼の翻訳の労にたいしてホイートンの国際法という大冊を贈った。これが後に日本帝国憲法を起草した伊藤公に大いに寄与したということで、後日伊東氏から非常なる感謝を受けたとのことである。

 べリーの明治5年以来,同26年帰国するまで20有余年のわが国社会文化の進展に尽くした功績により,政府は明治天皇の名で大正元年9月11日、彼が66歳の時に勲三等瑞宝章を贈った。

 その後大正7年,26年ぶりに一度わが国を訪れ,この時.日本各地で歓迎会が盛大に催きれている。

 べリーがいかに深く日本と日本人を愛し、これに仕えたかは,彼が日本を去った後も交友の絆が堅く結ばれていたことで証明きれる。日本の知友もまた彼を愛し,彼を慕ったのである。べリー夫妻の金婚式には,はるばる日本の友人たちからアメリカの夫妻のもとに,次のようなお祝いが贈られている。
〔賀状〕親愛なるべリー博士並びに夫人
 下の著名者は,今日御両所の金婚式に際して,衷心の祝賀を捧ぐ。御両所は御結婚後間もなく我が邦に渡来せられ,御在留二十有余年に及び,至る處に於いて,教化と人道上の進歩の為貢献せらるること多かりき。これが為我が朝野の多数人士は,常に深厚なる感謝を捧げ居れり。彼の当時は明治天皇が御即位の当初五箇条の誓文に宣べるが如く,王政復古の事業は,広く知識を世界に求め.その完成を要すること急なりき。御両所は当時我が邦の状態に鑑み,博愛的精神を鼓舞せられ,内務大臣に勤めて監獄改良の遂行を見、兵庫岡山及び京都に基督教主義の病院を創設し,京都の同志社病院に我が邦最初の看護婦学校を創設し,更に御両所の崇高なる人格と事業とは,男女多数の後継者を生むに至れり。我等は御両所が宗教,教育,衛生等の広野に蒔かれたる種子の今や我が邦全土に美果を結ぶを視て,歓喜に堪えざりるなり。ここに我等の尊き親友なりし貴下に対し,金婚式の多幸なる機会に際し,此の賀状並びに記念品を贈呈するの光栄を有を欣ぶ。願わくは貴下の上に祝福豊かにして、永く健康と幸福とを享有せられんことを。

              1922年4月10日

                  子爵 牧野伸顕 大久保利武
                  子爵 澁澤栄一 留岡事助 他計22名署名
参考文献
べリーに関する記述は大久保利武氏の編纂した「日本に於けるべリー翁」に多く頼った。
編者の大久保氏は明治の元勲大久保利道の三男である。

「日本に於けるべリー翁」大久保利武著編、東京保護会・昭和4年発行
「神戸と基督教」吉野丈夫著,神戸伝道100年史刊行会・昭和50年発行
「神戸女学院100年史」(総説),神戸女学院・昭和51年発行
「神戸女学院100年史」(各論).神戸女学院・昭和56年発行
「近代日本と神戸教会」(日本基督教団神戸教会編)創元社,1992年発行
「日本医療文化史」宗田 一著 思文閣出版.1989年発行
「米国南長老教会の日本宣教」近藤武一著,聖文舎,昭和42年発行
「医界風土記(近畿編)」日本医師会編集.酒井シズ監修,思文閣出版,1993年発行
「兵庫医史散歩」堀内伶著,兵庫県医師会,平成5年発行。
〔執筆 近藤春樹(昭和36年卒)〕
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