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近藤診療所事始
もくじ
1.近藤診療所開設:イエス・キリストのお働きを続けるために
2.宝塚市国民健康保険診療所騒動の顛末
  

近藤診療所開設:イエス・キリストのお働きを続けるために

「宣教医ヘボン」  

1997年5月31日(土)近藤診療所開院式挙行。開院感謝礼拝ではアメリカ合衆国長老教会を代表してウイリアム・モーア宣教師が「イエス・キリストのお働きを続けるために」と題して奨励をしてくださった。思えばわが国にアメリカから最初の宣教師ヘボン、ブラウン、バラ、フルベッキらが遣わされたのは鎖国の解けた直後の1859年(安政6年)です。かれらは「イエス・キリストのお働きを続けるために」わが国に遣わされたのです。                              
 
中でも聖書の翻訳は、この国に神の国の福音をつたえ、多くの魂を救いだしたのです。かれらのなかで中心的働きをしたのはローマ字で有名なヘボン(J.C.Hepburn,1815〜1911)です。彼はニューヨークでも成功を収めた一流の医師でした。その名声を捨てて未知の国日本のために医療宣教師として献身したのです。

彼はわが国に義足を初めて伝えている。当時の有名な歌舞伎役者沢村田之助が片足の脱疽に苦しみ、それをヘボンが切断手術を行い、その切断した下肢のかわりにアメリカから義肢を取り寄せて、彼を再び舞台に立たせました。名医ヘボンの名は巷に喧伝されたが、幕府は彼の施療所を治安を名目に閉鎖した。当時、目薬「精リ水」は目のさめるような美人の代名詞にも使われたというほど評判でしたが、これもヘボンのもたらしたものでした。                       
 
ヘボンは医療を禁じられたことで、日本で医師としての働きは全うできなかったが、聖書翻訳に取り組むことができた。当時中国から漢訳聖書は密かに持ち込まれていたが、すべての日本人に分かる聖書はなかった。聖書の翻訳には多くの宣教師たちが関わり、また後には日本人牧師も協力したが、始めからその完成まで終始その働きを見とどけたのはヘボン独りでした。彼はわが国最初の和英辞書「和英語林集成」も著したが、これは聖書翻訳の副産物でした。聖書翻訳が、日本人の精神文化に与えた影響は計り知れないものがある。明治の著名な小説家で聖書を読まなかった者は一人としていない。                            
 
第二次大戦後、アメリカ合衆国長老教会は淀川キリスト教病院を設立した。ヘボンが果たせなかった医療伝道の道が漸く開けた。            
わたしの父はその創設に関わり、いま私はこの病院の理事の末席をけがしている。心と体と魂が一体である人の癒し<全人医療>を目指して病院職員は日夜懸命に働き、地域医療の中核となっている。
             
          
「わたしの開業に至るまで」 





さて、私事に戻るが、この宝塚市北部西谷にある国保診療所に20年間職を与えられ地域の人々とも親しくさせていただくようになりました。伊丹から25Kmの道のりは毎日楽しいドライブでした。しかし、夜は患者さんから遠く離れているので、病状の悪化などの時には苦慮しました。この地に住んで、地域に根づいた医療をしなければと長年願っていた。

そんな中、私への中傷事件が起こった。当然のことであるが、後に中傷の事柄が事実と相違することが明らかになり、助役が謝罪して下さり、また新聞社も訂正記事を載せたことで私の名誉は保たれた。ただこれに絡んで二度の減給処分をうけ、さらに職場異動を求められた。それを受けるよりはと、この地での開業を決意し辞職を申し出た。この事件が開業のきっかけとなった訳であるが、これも神さまのご計画の中にあったのだと信じている。

市側も、わたしのこの申し入れを好意的に受け止めて下さり、開業には全面的に協力すると言ってくれた。

それは市としてもこの西谷地域でわたしが開業するなら、この国保診療所はその存立の必要性はなくなると判断したからである。さらに国保診療所の医療機器を減価償却した値段でわたしに買い取ってもらえば一石二鳥であった訳である。それはわたしにとっても好都合な話であった。                     

「わたしの退職金」                         
 わたしの退職金は20年間公務員として、また診療所所長として勤めたなら、きっと沢山あるだろうと言われるが、20年分の金額ではなかった。私が働いたはじめの10年間は、市には医療職という職分がなくわたしは嘱託という身分であった。その後市民病院が出来て初めて医療職の給料表ができ私も正職員に任用された。給料表がなかったと言うのもおかしな話ですが、嘱託の身分に甘んじていたわたしにも責任がある。
不満を言うわけでないが、ただ私が沢山の退職金を貰って立派な診療所を建てたと言われるのは正しくない。
                                  
 この退職金は医師会の入会金で丁度消えてしまった。退職金は少なくても医療機器を安く使わせて頂けるなら、それで満足できると思った。しかし、私の開業と同時に国保診療所を廃止すると言う市の考えは住民の国保診療所存続の請願により、実現しなかった。それまで行動を共にしてきた国保診療所廃止を推進した市会議員も住民の声に勝てなかった。

幾ばくかの反対は予想していたが、請願が市議会全会派一致で採択されるとは、市行政にとっても面目丸潰れの結果になってしまった。

このことでは地区医師会先輩の龍見先生に大変ご迷惑をおかけしましたが、先生の温情あるご理解には感謝をしています。                    
 
国保診療所を閉鎖すると言う前提が崩れたことは、少なからぬショックでした。しかし本当に多くの人から有形無形のご支援を頂きました。それにもまして国保で診させて頂いた患者さんがわたしの開業を待って沢山釆てくださっていることが、退職金を補って余りあるものと感謝しています。                                   
 
近藤診療所は妻と娘が看護婦ですから運営面では、他より安心です。まだまだ欲しい医療器具はあるが、最小限の必要は満たされた。これだけの施設を建てれば普通に考えれば大変だと思う。                  
事実、多くの借金もしたが、幸い銀行は必要額を満たしてくれた。          
こうして神様が全てを導いて下さっていると肌で感じることができます。
         

「全人の癒しのため」 
そんなしんどい目をするより、定年まで無難に勤めて、残りの人生を楽に過ごせばいいではないかと、そんな囁きも聞こえる。           
しかし、それは主の御心ではない。今わたしたちは主の御旨の中にいる。全人の癒しはイエス・キリストご自身のお働きです。主のお働きが続けられるために主はこのようなすばらしい診療所を建ててくださったのですから。地域の人々に医療奉仕することで、また誰にも憚ることなく聖書が説かれ福音が宣べ伝えられる所となり、こうして主イエス・キリストのお働きが続けられ、御名に栄光が帰せられることを日々祈っております。      
                                     
    「万物は、神から出て、神によって成り、            
       神に帰するのである。栄光がとこしえに            
             神にあるように、アーメン
              (ローマ人への手紙11章)。」        
       
        開業1年を感謝して1998年5月 
        
              近 藤 春 樹            
                                                     
                                      
                                        
           
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