2009.3.9.宝塚市医師会報投稿 

相撲は古代イスラエルの神事だった!?  近藤春樹 

【大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)】

今年120日(火)夜放映の東京テレビ新説!?日本ミステリー「相撲は古代イスラエルの神事だった!?」は大変興味ある内容であった。

数年前、近藤診療所の慰安旅行で瀬戸内海しまなみ海道を道後温泉まで行ったことがある。その帰り路、大三島の大山祇神社に立ち寄った。この神社の宝物殿には鎌倉時代の古い武具甲冑が収められている。驚いたことにここには初代将軍源頼朝の大弓とか義経が用いた刀とかが奉納されていて、国宝8件、国の重要文化財75件(2008年現在)と、この時代の武具甲冑の大半ここにあって大変由緒ある神社だと分かる。

 

一人角力

さて、この神社で行われる豊作祈願の奉納相撲は一人角力で戦う相手は見えないが稲の精霊と言われる。この力士は片手を腰にあて顔は痛そうに歪んでいる。なぜこんな格好で痛そうにするのか?相撲のルーツをテレビ放映を参考にしながら今一度聖書に尋ねよう。

 

【イスラエル12部族の祖ヤコブ】

イスラエル12部族の祖ヤコブは母リベカの計らいで父イサクを欺いて家督の権利を兄エソウより奪った。そのために兄エソウの怒りを買い、遠く母の兄ラバンのもとに避難した。そこでラバンの美しい妹娘ラケルに恋し結婚したがブスの姉娘レアをも同時に娶とらされた。ヤコブは12人の息子を二人の妻(と更にそれぞれの側女)から儲けた。またラバンのもとで20年間勤勉に働いたお陰で財産も蓄えることができた。しかし、父母の生きているうちに故郷に帰りたい。兄エソウに和解の贈り物をできるだけ用意して、父母のもとに向けて出発したが、兄のことを思うと不安が募るばかりであった。そんな帰路の出来事が創世記32章に書かれている。かってはずるがしこいヤコブであったが、神は常にヤコブと共におられ彼は変えられた。そんな彼を励まそうと天使を遣わされたのです。

 

【ヤコブ、天使と相撲をとる(創世記32章)】

23:その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。

 24:皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、25:ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。26:ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。』(注、医学的には股関節脱臼と言うことか)

 

【イスラエルの歴史と国名】

古代イスラエル王国はダビデ王とその子ソロモン王の時代には隆盛を極めたが、ソロモン王の死後、国は分裂衰退する。北王国イスラエルはアッシリア帝国(BC721年)に、南王国ユダはバビロン帝国(BC586年)にそれぞれ滅ぼされ民は捕囚となった。その後、北イスラエルは「失われた10部族」と言われ歴史上から消えてしまったがシルクロードの東の果て大和は彼らの約束の地であったろう。

 

南2部族は民族の命脈が許され、ここから救い主イエス・キリストが現れ「ダビデの子」(救世主)と讃えられた。しかしイエス・キリストは人類最後の敵である死を滅ぼすためにまず神の小羊として十字架に捧げられねばならなかった。確かに主イエスはユダヤ人の王として死なれたが復活された。人類は新しい時代に突入し既に2000年が過ぎた。福音によって歴史の完成の時が近づいている。


20世紀は戦争の時代であったが、第二次世界大戦終結後の
1948年に新生イスラエル国家が再建されたことは歴史の奇跡である。イスラエルという国名の起源がヤコブと天使のスモウの後で記されている。

創世記32章『27:「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

28:「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、29:その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」30:「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。31:ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

 32:ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

 33:こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。』(注:イスラエルとは神の兵士/軍隊の意)

 

【シルクロード相撲マップ】

相撲は我が国の国技であるが、これがこの国だけのものかと言えばそうでないことが分かる。

モンゴル相撲で鍛えられた我が国の両横綱の母国は言うまでもなく、まわしをつけて取り組む相撲がシルクロードに沿って各地に存在する。

 

4600年前のメソポタミアで発掘された青磁器にもまわしを掴んで取り組む力士の像がある。相撲の発祥がイスラエルにあったと言うことは何も不思議なことではない。

 

【相撲宗家】

格式ある相撲を取り仕切ってきたのは相撲宗家である。土俵の規格、力士の作法、行司の登場礼式を守り、かっては横綱の免許授与も行った。第25代宗家の吉田追風氏が「本来相撲は神と共に行うものだ」と言われるように相撲には本来宗教的意味があることが分かる。

今日も各地の神社で祭りの時などには奉納相撲が行われるが、単に五穀豊穣を祈願する以上に、神前で相撲を取るということには神とヤコブ(イスラエル)の深い結びつきが、そこに込められているのを覚えたい。このようなすばらしいテレビ番組が放映されたことをうれしく思う。

 

先に引用した創世記32章32節には「ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていたが、太陽は彼の上に昇った」とあります。今日、足を引きずっている日本(世界も同じ)であるが聖書の神に立ち帰るならば太陽はわれわれの上に必ずや昇る。

 

【掛声にも意味がある】

「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」は単なる掛け声ぐらいで日本語としてはあまり意味がないようだが聖書解説者久保有政氏によるとヘブル語では「投げつけよ、やっつけろ。なげたぞ、やったぞ」の意味になるそうだ。

「すもう」という言葉についても、「彼の名SheMoをヤコブと名づけた」と言うヘブル語からきていると言われる。

 

実に相撲(角力)は神聖な行事であることが分かる。神事であるスモウが殺人そして大麻で汚染されるなら神罰は免れないだろう。しかし聖書の神・イエス・キリストの十字架で示された愛は殺人や大麻の罪、イスラエル国家の罪も贖う力がある。(おわり)

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