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恵みを振り返って(近藤登志子の寄稿文

近藤登志子略歴






【恵みをふり返って】

近藤登志子:甲子園教会武庫伝道所

1987年、75歳。西部中会40周年記念文集寄稿】

 

【受洗満六十年を振り返って】

日々神のみ恵みを覚えつつ歩ませて頂いています。すべてのものを通して豊かに与えられ楽しく送らせて頂いております。今年の末で受洗満六十年になります。今振返って幼い時からのことを思い出し私が何故一人で勧められないのに教会に出席し教会生活が続けられたのでしょうか。年老いた今日この頃思い出す機会を与えられ感謝いたします。そして祈りつつ幼い時からのことを考え乍ら異教の国の中でみ子の贖いを信じさせて頂く様になったかを思い出しています。

 

【私の母と祖母】

私の母は神戸の松陰女学校を明治四十年に卒業し前年受洗していました。それ以前に母の両親は分家のキリスト教の家庭集会に出席していたらしいです。只先祖の位牌を大切にして祖母は死ぬ迄仏壇に「主の祈り」をしていたのです。

終戦の夏祖母が亡くなる前に間違わずに主の祈りを私に聞かせてくれたのでびっくりして私は耳を疑いました。祖父母達は分家が祝福を受けるのに本家は何度も大きな災難に会い遂に破産しました。

 

祖々父が「がん」で四十代で若死し家を整理し明石に出て大水害に、又神戸に出て大火事に遭いました。祖父は死ぬ前に分家の医者が見舞いに来られ、その帰られた後で「わしは分家に負けた」と言いました。昭和三年の夏でした。私はその言葉が忘れられません。その時豊かだった昔の話を私は始めて聞きました。(出身地は北条の池田村の池田です)私は神様を畏れます。

 

【母の死】

私の家族は須磨で弟妹と五人でした。毎日平和に暮していましたが大正九年に突然母は心臓まひで急死しました。母の学校の先生のアリスバーカー先生はよく訪問して下さり母の信仰を導いて下さっていました。母の死の時に母の棺の傍で祈っておられたお姿が忘れられません。

 

母の死後十日目にお骨を持って父の郷里に帰り五年間育てられました。父の家は津山の氏神神社の神官でした。

 

【私の洗礼】

五年後祖父母は他界したので父の勤務先尾道にいき尾道の女学校に転校し三年の時又寄宿舎に入れられ私は教会に出られるようになりました。メソジスト教会の真武丈夫牧師同隆子御夫妻(写真)に可愛がられ昭和二年クリスマスに二人の友と三人受洗しました。

その牧師様とは戦後御住所がわかりずっとお手紙出し未亡人は八十五才になられ何時もお手紙下さいます。牧師様は五年前召天されました。私は教派を偶像視してはいけないと思います。しかし教理的に学ばせられ信仰を育てられた改革派のことは感謝の外ありません。

 

【女子青年会時代】

昭和の五年より十年迄松田輝一、春名寿章牧師様に育てられ今日まで信仰を続けられました。昭和五年頃毛利やゑ姉(今の松田夫人)らと女子青年会を白百合会と名づけ、このメンバーと仲よく学び、共に奉仕し、手芸をしたことは大変益になりました。あの頃が懐しいです。十人目の受洗者が与えられた時は涙がこぼれました。

 

昭和九年に一ケ年でピエロのお年玉二千五百個作り神戸中の教会にクリスマスのプレゼント用に売りに出掛けました。春名先生は何も御存知なく後でたまげられました。その頃の同志は今天国に行かれた方もあり又方々の教会で尽くしておられる方もあり親戚より強い交わりをしている姉妹ばかりです。

 

【父の洗礼と看取り】

大阪で淀キリの社宅に住んでいました時,弟・重人が急死し、彼と同居していた晩年の父・重徳を引き取って看取りましたが、諏訪牧師より洗礼を受け召天しました。父は一生好きなことをしていた人でしたが事業は悉く成功せず、ただ永遠の生命だけは頂き感謝でした。

 

其の他私のいとこで神様に叱られた者だけが悔い改めました。一人は犬山教会で奉仕し、主人も導き、もう一人は女医でしたが「がん」にかかり十七年前に召天し娘が入信しました。私の弟、妹は春名牧師に導かれました。弟・重治はシナ事変で戦死しましたがよい証しをしました。妹・千鶴は平和な家庭を持っています。

【子供の学校PTA副会長】 

戦後信仰が自由になった時、二度とあの様な国にしてはならぬと信仰の自由を感謝して息子の学校のPTAで奉仕し、信者の故に信用して用いられました。小学校ではマキルエン宣教師に講演をお願いして父兄から喜ばれ、中学校では婦人宣教師にクラブ活動で英語を教えて貰う等しました。そしてキリスト教に親しむ様に努めました。中学校ではお母さん方と親しく奉仕してその後三十五年間も茶道を通して仲よくしています。

 

【御言葉の種まき】

私の伝道は地馴らしが目的です。折あれば種を蒔き又みことばのもろ刃の剣を用います。私の癖は教会で説教を聞くとすぐ人に受売りするのです。その時解らないと、もう一度先生に尋ねます。春名先生に間違わずに話せよと笑われました。牧師先生に可愛がって頂き上手に育てられ今日あるような気がして神に感謝の外ありません。私のようにタラントの少ない者でも主の道を歩むものは転んでも数倍前進し打たれても前より癒されすべてを益として頂きました。唯残る年月をみ心を学び神を拝し祈る姿勢を崩さず世にある限り主イエスの栄えといつくしみとを語り伝え度く思います。

近藤登志子略歴

明治45224日、竹中重徳、同ぬいの長女として神戸市に生まれる。

9歳のとき母死別、郷里の岡山県津山の祖父母のもとで養育される。5年後祖父母他界し尾道高等女学校(寄宿舎)に入る。

昭和2年クリスマスにメソジスト教会真武牧師より受洗。

卒業後、電話交換手養成校にて働く。

昭和10年、高松教会西の丸伝道所牧師近藤利夫と結婚し2子を儲ける。

2005年4月30日召天。

 

教会生活

尾道メソジスト教会、

(旧日本基督教会)西代教会、西の丸伝道所。

(日本基督改革派)板宿教会、前原聖書集会、神戸長田教会、大阪教会、甲子園教会、伊丹教会。

 


     

        


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