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十戒の学び  ウイリアム・モーア
もくじ
はじめに:十戒はなぜ必要ですか
第一戒:「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」
第二戒:あなたはいかなる像も造ってはならない
第三戒:神の名をみだりに唱えてはならない―神のお名前
第四戒:安息日を覚えて聖とせよ−あなたの為に定められた安息日
第五戒:汝の父母を敬え―親と子

第六戒:殺してはならない
第七戒:姦淫してはならない
第八戒:盗んではならない
第九戒:隣人に関して偽証してはならない
第十戒:隣人のものを欲してはならない






はじめに:十戒は なぜ必要ですか 
はじめに:律法はなぜ必要ですか?
西谷聖書集会2004年2月8日
         
ローマの信徒への手紙5章
18:そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。19:一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
20:律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。21:こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
◆罪に死に、キリストに生きる
ローマ六章1:では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。2:決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。3:それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。4:わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

【交通違反】
カーブを曲がった時の事です。高速道路の肩に止まっていたパトカーを見ました。私はすぐにブレーキを踏みましたけれど遅すぎました。そんなに速く走らなかったと思ったんですが、警察官に速度違反で私は捕まってしまいました。警察官が私を止めて、車の方へと歩いて来る時、少しの間ですが私は色々な気持ちが心に浮かびました。第一に、捕まえった事をとても無念に思いました。「もう少し注意したら良かったなのに。警察は本当にこそこそするんですから、今度からはレーダー探知器を買わなくちゃ」と自分に言いました。それから少しして今度は、私の悔しさが怒りに変わりました。「ちょっと速く走るのが何が悪い。高速道路は120キロの速度の為に設計されたから。80キロの制限はばからしい。その上、この高速道路は今空いている。ラッシュアワーでもない。警察は私のようなちょっとした交通違反者よりも強盗と人殺しのような酷い犯罪人に集中した方が良い」などを呟きました。私は全力を尽くして怒りと悔しさを押さえている間、警察官はスピード違反カードを書いてしまいました。そして、カードを渡されると、私はまた高速道路に入り、警察が見えなくなるまでゆっくり走りました。

この小さいストーリの目的は法律に対して私達の一般的な態度を説明する為です。恐らく皆さんも同じような経験があると思います。多くの人にとって、法律は私達の自由を限る、制限する重荷だと思われています。捕まると言う恐れがなかったら、多くの法律を守らない人が少なくありません。精々、法律は他人が守るべき必要な悪ですが、少なくとも「私」となると、速度制限や税法律のような面倒臭い事に応じるはずがありません。

【人間の為の神の素晴らしい賜物】
実に意味深い事ですが、この法律に対する態度は聖書における理解と大いに異なります。敬虔なヘブライ人にとっては法律、すなわち律法は人間の為の神の素晴らしい賜物でした。そして、それをちゃんと守る事は人生の満足と祝福の唯一の道でした。神の律法に従う事は自由を失われる重荷ではなかった、むしろ律法そのものは何よりも高く評価されていたのです。服従に最高の喜びと幸せがあったのです。詩編19編にこの律法に関する態度がよく表わされます。詩編19編8節からこの御言葉が記されています。「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。」これは現在の一般的な考え方と随分違いますね。私達は国の法律どころか、神の律法に対しても、今の時そう言う熱意を示すのはなかなか難しいです。


【律法主義に陥ったヘブライ人】
ヘブライ人の神の律法に対する愛は素晴らしい事ですたが、残念ながら、時がたつにつれてその愛は間違った方向を取りました。つまり、ユダヤ教は、律法に従う事によって主の愛と救いを勝ち得る事が出来ると教え始めました。すなわち、神の律法に従う人は主を喜ばせるので、御褒美として、この世にも来たる世にも祝福に与かると思いました。またその反面、神の律法を無視すると、主の怒りを招く大変な事になると教えたのです。ですから、律法に従う事は敬虔なユダヤ人の最高な目標になって、その為に自分の命を捧げました。律法学者達は神の掟を研究し詳細に解釈しましたので、どんな場合でも神の御心を知ると思ったのです。例えば、食べてはいけない物と食べなければならない物を教えたのです。また、安息日に禁じられた活動も詳しく説明しました。そして、適切な衣服と髪型までも要求しました。生まれる時から死ぬ時まで、全ての生活は律法によって定められたのです。
しかし、このような律法中心生活には一つの大きな問題があったのです。それは誰も完全に神の律法に従う事は出来ません。いくら頑張っても、どんなに真面目に生きようとしても、神の目から見ると人間の服従は足りません。失敗が多いのです。ですから、律法に従う事によって神の愛と救いを勝ち得るのは全く不可能な道です。

【福音の中心的なメセージ】
幸いに、イエス・キリストを通して愛する神はこの問題を解決して下さいました。主イエスの十字架の犠牲によって私達は神に近寄る事が出来ます。神の愛を受けるように私達は律法に頼らなくても良いのです。つまり、私達は完全にならなくても主の愛と救いを受けられます。イエスの贖い死のお陰で私達は神によって受け入れられ、完全に清められました。今日の朗読の通りに、「一人の正しい行為によって、全ての人が義とされて命を得る事になったのです。一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」福音の中心的なメセージはこれです。私達の努力と義ではなくて、始めから終わりまでイエス・キリストの恵みによって神の愛と永遠の救いを頂けます。神の律法に従えなくても、神の愛を受ける事が出来ます。

昔のユダヤ人の立場を考えてみて下さい。一生懸命に律法に従おうとしました。真面目にその律法を勉強して、毎日の生活に何よりも神の掟を行おうとしました。しかし、いくら頑張って努力しても、律法を完全に守る事が出来ませんでした。罪と弱さの故に失敗だらけと分かってきました。その結果、神の敵になって、主の裁きを受けるしかない大変な状態になったのです。そう言う事を悟ると、失望のどんぞこに落ちてしまいます。しかし、イエス・キリストの良い知らせ[福音]を聞きます。主イエスは人間の最も大きな悩みを解決して下さいました。つまり、イエスの贖い死のお陰で律法はもはや罪に定める力をなくしたのです。イエス・キリストを信じる事によって神との救いの関係に入れられと言う素晴らしいニュースです。そのニュースは昔と全く同じように現在も私達には最も素晴らしいグッド・ニュースです。

皆さん、もし私達の救いは律法の服従から来るのではなくて、むしろ、イエス・キリストの恵みの結果によるのであれば、聖書の律法はもう要らなくなったんでしょうか。キリスト以前のものですから、今は忘れてもかまわないのでしょうか。

先程、私達は十戒、すなわち神の一番重要な律法を一緒に繰り返しました。もし十戒は救いの為でなければ、私達は何の為に覚え尊重しますか。イエスはこのように言われました。「私が来たのは律法や預言者を廃止する為だ、と思ってはならない。廃止する為ではなく、完成する為である。はっきり言っておく。全ての事が実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去る事はない。」(マタイ5:17、18)主イエスが言われた通りに神の律法は現在も大事です。救いの為には律法に頼らなくても、信仰生活になくてはならない大変重要な役割りがあるのです。

【律法の三つの役割り】
宗教改革者ジョン・カルビンは律法の三つ程の役割りを示しました。第一に、神の掟は私達の罪深さを悟らせて下さいます。今日の御言葉の20節を見て下さい。ローマの信徒への手紙5:20です。
「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わる為でありました。」つまり、律法ははっきりと私達一人一人の弱さを見せ、救い主の必要性を教えます。律法を通して神は御自分の期待と標準を知らせて下さいます。律法がなければ、私達に対して主の期待があんまり高くないと思い込む可能性が多いです。しかし、十戒を聞くと主の高い標準がすぐ分かります。神が完全であるように、私達も完全にならなければなりません。それは主の期待です。でも律法の光に私達の弱さと罪が分かってきます。ジョン・カルビンはこのように言いました。「律法は鏡のようです。鏡が自分の顔の傷を映すように律法は自分の弱さを見せます。」律法を完全に守る事が出来ない私達は主イエス・キリストの恵みに頼らなければなりません。神の恵みを求めさせる事は律法の第一の役割りです。

社会を害から守ると言うのは神の律法の第二の役割りになります。多くの人は神の裁きを恐れる為に、悪い事を止めます。言うまでもないが、人間みんながそれぞれ全く好き勝手にやりましたら、大混乱の状態です。法と秩序(ちつじょ)の崩壊になってしまいます。ほとんど誰でも知っている通り、神の掟を無視したら私達自身には良くない結果を伴います。ですから、悪を抑え社会を守る事は律法の第二の役割りです。

皆さん、律法の第三の役割りは一番重要です。特にキリスト者にとって最も大事です。神の掟は主を喜ばせる生き方を教えて下さいます。また、私達の幸福の為の生活のガイドラインを示します。神からのガイドラインがなければ、信者は神に従って生きたい気持ちがいくらあっても、それは難しいです。神の律法を頂きましたから、自分の行いと生き方を正しく吟味する事が出来ます。そして、自分の生活を通してよりもっと神を喜ばせられます。
前に言いましたけれども、キリスト者の救いは律法に服従する事から来るのではなく、全くイエス・キリストの恵みです。しかし、その恵みを頂いた私達は感謝の気持ちから、何よりも主の前にふさわしく生きたいはずです。律法はその相応しい生き方を教えて下さいます。

【新しい命に生きる為に】
恵みによって救いを頂いた私達は罪を犯してはなりません。使徒パウロはこのように書きました。今日の箇所のローマ6:1に見て下さい。「では、どう言う事になるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだ私達が、どうして、なおも罪の中に生きる事が出来るでしょう。それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれる為に洗礼をうけた私達が皆、またその死にあずかる為に洗礼を受けた事を。私達は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私達も新しい命に生きる為なのです。」

キリスト者として私達は古代ヘブライ人のように神の律法を愛すべきです。その掟は私達を裁く為ではなく、私達を幸福へと導く為になり、私達が豊かに生きるように授けられました。

これから数週間に渡って神の最も大事な律法、十戒を学びたいと思います。十戒はどんなに良き賜物である事を一緒に発見したいのです。いやな重荷どころか、自由と幸福の道に至る神の祝福です。恐らく私達は詩編を書いた人物と同じ事を発見します。「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。」







第一戒:「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」
西谷聖書集会2004年2月15日

人類の罪    ローマの信徒への手紙1章
18:不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。 19:なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。20:世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠 の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。21:なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
22:自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、23:滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。24:そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
25:神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、 アーメン。
26:それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、27:同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。28:彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。 29:あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、 欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、30:人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、31:無知、不誠実、無情、無慈悲です。32:彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

【私達の益の為に】
皆さん、掟や戒めや律法などと聞くと、先ず何を考えるのでしょうか。おそらく、それはあんまり面白くない、自分を責めるような感じのものでしょうか。あるいは、自由と楽しみを奪われるような面倒臭いものですか。「何何してはならない」と言う戒めを聞くと、そう言う反応は私達から自然に出て来ると思います。私達は言われたくない、自分の自由を守りたい人間ですから、私達の中に十戒のようなものは聞きたくない傾向があると思います。

私達の十戒の学びを出発する前に一つの事を覚えて頂きたいです。それは、この戒めを授けて下さった神は親のように私達一人一人に関心を持って愛して下さいます。しかし、むしろ人間の親よりも私達に対する神の愛は無限で大きいと言えます。実は、神は御自分の益の為ではなく、かえって始めから終わりまで私達の益の為に十戒を賜りました。つまり、人間の幸福の為に戒めを下さいました。愛する神は決して人間の自由を奪う暴君のようではありません。それどころか、主は十戒を通して私達に完全な自由と恵みを授けたい神なのです。この大事な真実を覚えると、十戒の学びはきっと私達に新たな関心を引き起こします。

「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」は今日与えられた神の第一の戒めです。他の言葉で言えば、この戒めはこのようになります。「神として私のみを認め、礼拝しなければなりません」です。
神様は十戒を授けた時、イスラエルの周りに住む色々な民族は八百万(やおろず)の神々を拝みました。そして、その国と地域によって神々は違ったのです。それぞれ、海の神や戦争の神や農業の神や出産の神などがありました。このような環境の中でイスラエルの神はこう言われます。「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」。近隣諸国の人々はこの戒めを聞いて、きっとイスラエルの神がわがままな神だと思ったのでしょう。しかし、その戒めには理由があったのです。それは、イスラエルが拝んだ神は唯一の神であります。存在するのはその神ただお一人です。その神こそが天地万物を創造し全てを治める方であります。その神こそは全人類一人一人を大事に造って今も支えて下さいます。ですから二人の神を拝む事は矛盾です。唯一の真の神のみを拝むべきです。つまり他の神を認め、礼拝してはいけないと言っているのです。人の空想の所産を拝むのは何よりも空しい結果をもたらしますので、真の唯一の神のみを礼拝すべきです。本当の神の代わりに、力と存在さえも全くないものを神として認めるのは何も助けにならないので、拝んではなりません。従って、私達の幸福の為に力ある愛する唯一の神のみを認めるべきです。それだけが救いと満足と自由に至る道なのです。

【私達の生活において一番大事な物】

「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」と言う意味はまたあります。この戒めの「神」と言う意味は他の宗教の神だけではなく、私達の生活において一番大事な物、あるいは最終的に頼る物の意味もあります。私達の唯一の神を認めるとそれは私達の生活の一番中心となるべきです。もし真の神の代わりに、他のものがその第一の役割りを果たしているならば、そのものは私達が拝む偽りの神になってしまいます。その神は実に八百万です。例えば、ある人は「成功」と言う神を礼拝します。誰でも成功したいと思いますが、もし成功が生活において一番重要な動機と望みになると、成功は私達にとって神になります。偽りの神を拝む事になってしまいます。
また、もちろんお金も私達の生活において神のようになる傾向が強いのです。今のこの世では私達が考えているより遥かにお金はある面で力を持っています。何よりも、誰よりも、頼る誘惑があります。「もし十分なお金さえあれば、心配がなくなり、全てはうまくいく」と言う態度は珍しくはありません。そのように考えるとお金は自分の神になってしまいます。
自分の家族も神になる可能性があります。言うまでもないが、家族は愛する神が造った、なくてはならない賜物です。しかし、自分の子供、自分の夫や妻が自分にとって真の神よりも大事になると、家族は神のようになります。造り主と救い主である神のみは私達の最大の愛を受ける価値があります。

またある人には国が何よりも大事です。自分の国に仕える事によって人生の全ての意味を得ようとします。国を愛するのは良い事ですが、最愛になると自分が唯一の神の代わりに国を拝んでいます。

仕事も自分にとって神になる事があります。おもに自分の仕事から人生の意味を受け、仕事を全てに優先するならば、仕事は偽りの神になってしまいます。人間の最大の生き甲斐と意味は本当の神から頂くべきです。

更に、ある人は「自分」が神だと思っています。彼等の行動を見ると、自分の事が何よりも、誰よりも大事である事が明確です。自分の都合と益ばかりを考え、神を忘れ、また他の人の立場を完全に無視します。
この世の中には偽り神々が大勢います。そして、人間は絶えず新しい神を作り出しては、真の神の代わりにそのものを礼拝してしまいます。

【イエスと金持ちの青年】

ある日主イエスは、この世の富から神を作った男に出会いました。悲劇的なお話ですけれども聞いて下さい。マルコによる福音書10:17です。「イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。『善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。』イエスは言われた。『なぜ、私を「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者は誰もいない。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると彼は、『先生、そういう事はみな、子供の時から守ってきました』と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。『あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積む事になる。それから、私に従いなさい。』その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。沢山の財産を持っていたからである。」

この人はとても真面目で一生懸命に十戒を守ろうとしました。敬虔な人で、イエス・キリストを探し求め、永遠の命の道を尋ねました。主イエスは霊的な事に対して彼の熱心な態度も見て感動しました。21節によると「イエスは彼を見つめ、慈しんで」と書いてあります。しかし、その男には自分の持ち物は何よりも大事ですからイエスを知る事が出来ませんでした。自分の富にあんまり頼り、イエスに従う為に財算を放す事が出来なかったのです。結局、富は彼の神になりました。その故に「悲しみながら立ち去った」と記されています。

愛する皆さん、何と言う神々があなたの生活を乗っ取ろうとしていますか。真の生ける神の代わりに何を信頼して頼っていますか。私達の周りにはきっとそのようなものが数えきれない程沢山あると言えるのではないでしょうか。
しかし、人はそれぞれ持っている神とはどう関わりますか。自分が祭る神はただ自分の個人的な問題ではないでしょうか。自分が何よりも頼るものはただ好みの問題ではありませんか。もちろんそうではありません。実は、自分が祭る神は私の生き方と振る舞いに大きな影響を及ぼします。もちろん自分にとって一番大事な事は自分において強い影響力があります。もし富が自分の神になると、お金を得る為には、他の人を押し出しても、悪くても何でもします。成功を何よりも重んじるならば、愛と道徳のような大事な事を忘れてしまいます。また国が神になると他の国と戦争になりやすいです。

【偽りの神を拝む結果】
今日の御言葉に使徒パウロは造り主である真の神の代わりに偽りの神を拝む結果を説明します。結局自分が拝むものに似て行きます。ローマの信徒への手紙1:28からお読みします。「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。」このような事は本当に奇麗な絵ではありませんね。恐らくその絵には少しでも似ている自分の姿が見られるのでしょうか。正直だったら、誰でも私自身の姿がきっとそこにあると思います。大きくとも小さくとも見つけ出す事と思います。それは何よりも唯一の真の神の代わりに他に神々を作っているからなのです。

言うまでもないが、そのような生き方は幸福と祝福された人生をもたらしません。逆に、その結果は意味のない嫌な生き方を保証します。愛する造り主と救い主である唯一の神のみを認め礼拝する事によって本当の満足と希望を得られます。そして、更に私達はその神を拝むと主イエス・キリストに似ていきます。

【勝利の道】
神の掟は始めから終わりまで私達の為の賜物です。特に十戒の最初の戒め「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」はそうです。唯一の生ける神のみに従う事は勝利の道なのです。この世の偽りの神々がいくら瞬間的に引き付ける魅力があっても頼る事は出来ません。永遠の救いは全能の愛する神だけが賜わるのです。

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」は今日の十戒の第一戒のすぐ前に記されています。神はイスラエルをエジプトの奴隷生活から解放して下さいました。イエス・キリストを通してその神は私達を偽りの神々の支配から解放して下さったのです。私達は自由になりました。ですから感謝を持って、全ての他の神々を捨て、唯一の神、主イエス・キリストの御父なる神のみに頼り信頼しましょう。





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