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第十戒:隣人のものを欲してはならない
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西谷聖書集会 2004年9月12日
ルカによる福音書12:13〜15
【全ての罪を生み出す卵】
今朝、第十番目の戒めをもって私達の十戒の学びを終えます。その戒めはこのようになります。「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人の物を一切欲してはならない。」ここで人の物を欲すると言うのは結局、貪欲と欲張りの事ではないかと思います。「貪欲に陥ってはならない」と言う命令なのです。
一見したところでは、十戒のクライマックスとしてこの第十番目の戒めはちょっと物足りないと思う方がいるかも知れません。殺人や盗みや偽証などのような深刻な罪と比べると、貪欲、あるいは人の物を欲する事はそれ程深刻な問題ではないかと思うでしょう。しかし、考えて見ますと、貪欲は全ての罪を生み出す卵のようなものです。何故なら、先ず自己中心的欲望がなければ、殺人や盗みや偽証や姦淫などのような事がありません。ですから、この最終の戒めは基本的な戒めになります。つまり、私達の行動の裏にある動機、私達の奥にある心にまで行き着きます。
【欲しいモノが増えた】
今日の戒めをもう一度見て下さい。特に何を欲してはならないと私達に注意していますか。「隣人の家と妻」の事は良く分かりますね。しかし、「男女の奴隷」はちょっと分かり難いですね。現在は奴隷制度がないので恐らく「隣人の男女の奴隷」は今の私達には「隣人の洗濯機と掃除機」にあたるかも知れません。そして、間違いなく「隣人の牛とロバ」は「隣人の自動車」にあたります。実は、言及したそのモノはただ実例にしかなりません。私達はその呼ばれるモノだけではなく、「隣人のモノを一切欲してはならない」と注意されています。
多分私達の先祖よりも、私達の方が貪欲の誘惑はもっと激しいと思います。と言うのは、昔より現在はモノが遥かに沢山あるからです。そして、マスコミは絶えずそのモノを私達の目の前に見せつけます。統計学者によりますと125年前に普通の人が、欲しいモノは72個位ありました。その中16個は絶対に必要であると思われるのでした。反して、現在の人は約484個の欲しいモノがあって、その中、94個が必要なモノと思われるのです。また、125年前に販売された消費製品の数は約200個でした。今は32、000以上です。そしてその製品の色々はブランドを計算しますと、その数は36万個を超えます。以前より、モノの数が莫大に増えましたので、モノを欲する誘惑も増えました。そして、広告は私達に何を教えるのでしょうか。もしあるメーカーの新しいビールを飲まなかったら、また、新しく出た化粧品を使わなかったら、満足なハッピーな生活が出来ません。
ある牧師が教会員の家庭を訪問しました。その家のお母さんは牧師に良い印象を残す為に小さい娘にこのように言いました。「私達がいつも読む、最も愛する本を持って来て先生に見せなさい。」お母さんは娘がもちろん聖書を持って来ると信じきていましたが、娘は早速デパートのカタログを持って来て、自慢そうに牧師に見せたそうです。
「mono」と言う雑誌を見た事がありますか。毎月出版されますが、新しく出た商品とサービスを紹介する雑誌です。色々と面白い、また便利なモノを見せて下さいます。しかし、このような雑誌を読むと一つの問題が発生します。それは、魅力のあるモノを手に入れたくなります。そして、それを手に入れなかったら、不満な気持ちになります。
他の人の持ち物に注目すると欲しい気持ちをなかなか避けられません。自分には全然必要ではなくても、他の人が自分が持っていないモノを持っているだけで、惨じめな気持ちになります。例えば、隣の人が新車を購入すると、自分の車が丈夫であっても、自分も新車が欲しくなります。そして、欲するのはモノだけではなく、地位や名声なども欲しいのです。つまり、自分と周りの人と比べ、その人よりもっと高い身分を望みます。自分を他の人と比べると、いつも不満になってしまいます。この第10番目の戒めに私達の幸福の為の大事な秘訣があります。それは自分をモノと地位が豊な人と比較しない事です。自分を人と比べると、いつも不満足になってしまいます。だからこそ、愛する神は「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人の物を一切欲してはならない」と教えて下さいます。貪欲に陥らなかったら、誰でも幸せになるように十分なモノを持っています。
【憐れな小作人】
いつも他人のモノは良く見えても、また何の心配もないよう見えても、そうではありません。このような英語の言い習わしがあります。「The grass
is always greener on the other side of
the fence」すなわち、「塀の向こう側の芝生は青い」です。他人のモノは何でもよく見えますが、実際にはそうではありません。
また、このような諺があります。「足のない人に出会うまでは、私が靴を持ってない事を不幸だと思った。」
ロシアの小説家トルストイは小作人についてのストーリーを語りました。お金持ちの地主が小作人に素晴らしいプレゼントを提供しました。それは小作人が一日で歩き回せる土地を約束しました。小作人は興奮して出来るだけ沢山の土地を得ようと、あまりにも速く走って、出発した所に着く前に疲れて即死してしまいました。やはり、私達は欲張って持ってないモノにあんまり執着し過ぎると、持っているモノから得られる満足感を失ってしまいます。
【遺産相続】
私達は今日の新約聖書の朗読の背景から容易に想像出来ると思います。ある日、主イエスは人々に教えられました。神の豊な摂理と聖霊の賜物などのような最も大事な事を伝えようとしましたが、突然男の人は群衆から出て来て、イエスにこのように要求しました。「先生、私にも遺産を分けてくれるように兄弟に言って下さい。」やはり、神の国の事より、彼にはだまし取られたと思った遺産の事はもっと大事でありました。そして、もし有名になったイエス様が兄弟に行ってちゃんと遺産を分けるようにと言ったら、その遺産が貰えると思った事でしょう。しかし、男の要求を聞くとイエスはこのように答えました。「誰が私を、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」そして、イエスは一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。」
これは家庭内の騒ぎでした。貪欲の為に一人の兄弟がもう一人に強い反感を持ちました。多分私達の周りにも遺産争いで兄弟関係が難しくなった家族を知っていると思います。数年前に私の両親は家を売って、老人の施設の中の家に移りました。新しい家は前の家より小さいですから家具のある物を私達三人の兄弟に譲りました。ある物は祖母からの物で、価値がある骨董品で家具の分け方はとても微妙な問題になりました。実は、兄は私も良いなあと思っていた中国製のアンチークじゅうたんを頂きました。それは良いとしても、この間、兄を訪ねた時、そのじゅうたんが大事に使われていないのを見ると、やはり私はちょっと腹が立ちました。とにかく、遺産の事だったらそれぞれ様々な問題が伴います。
【どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい】
イエス様はあの男の人の事を聞いて皆にこのように言われました。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余る程物を持っていても、人の命は財産によってどうする事も出来ないからである。」
アメリカの有名なリンカーン大統領の事ですが、ある日その幼い二人の息子が喧嘩になりました。友人がそれを見て、リンカーン大統領に喧嘩の原因について訪ねました。「この世と同じ問題です。僕にはリンゴ三つがありますが、息子達は二つずつ欲しがっています。」
もし10番目の戒めを守っていたら、家庭内の喧嘩を減らすだけではなく、裁判の必要性もなくなります。
【私たちの宝を天に】
主イエスは「人の命は財産によってどうする事も出来ません」と言われました。私達の人生の目的と満足はただモノを消費する事ではありません。遥かにもっと大きな喜びがあります。主はまたこのように教えられました。「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人がしのび込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食う事も、さび着く事もなく、また、盗人がしのび込む事も盗み出す事もない。あなたの富のある所に、あなたの心もあるのだ。」(マタイ6:19〜20)
イエス・キリストの御言葉によりますと、本当の命の道は財産を積む事によってではありません。また、「人の命は財産によってどうする事も出来ません」と言われました。人生の真の道は唯一の神を知り、そして、御子イエス・キリストを心から信じ従う事です。そこには唯一、意味と喜びと希望の道があります。この最も大事な事を教えるために、愛する神は十戒のこの第10番目の戒めを賜って下さいました。
「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人の物を一切欲してはならない。」
【十戒の学びの最後にーすべては私たちの益と幸福の為に】
皆さん、今日の説教で二月から始まった十戒の学びが終わります。十戒について色々な重要な事を習いましたけれども、その中で一点を強調したいならば、それは、戒めを授けて下さった、愛する神は御自分の益の為ではなく、始めから終わりまで私達の益と幸福の為に十戒を賜りました。
愛する神は決して戒めによって私達の自由と楽しみを奪う為ではありません。実は、主は十戒を通して幸福と自由へと正しい生き方へと案内して下さいます。もちろん救いは御子イエス・キリストのみから頂きますが、神から授けられた十戒は幸福の為の一番大事な生活のガイドラインにもなります。また主を喜ばせる生き方を教えて下さいます。ですから、喜びを持って、また、神の助けによって、私達の毎日の生活に十戒を守って生かしたいと願います。そうすると、詩編を書いた人物と同じ事が悟らされます。
「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。
主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。」 (詩編19:8〜11)
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