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使徒信条の学びシリーズ
合衆国長老教会宣教師、西谷聖書集会牧師   ウイリアム・モーア
使徒信条シリーズ2【 天地の造り主、全能の父なる神を信ず
ガラテヤの信徒への手紙4:4ー7
4:しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
5:それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。
6:あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
7:ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

西谷聖書集会6/8/03 【 天地の造り主、全能の父なる神を信ず】
今日は先月から始まった使徒信条のお話を続けたいと思います。そして、今日、私達に与えられた個所は「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と言う力強くて、意味深い言葉です。先月、使徒信条のこの同じ個所を一緒に見ましたけれども、その時は、おもに神を信じる事の意味を取り上げました。

その意味は「リスクがあっても、私は天地の造り主、全能の父なる神に信頼する事を決定しました。」つまり、お金や、他の神々や、自分の力や、また、人の力などを信頼するより、先ず第一に唯一の神のみを信頼し委ねる事です。それが聖書に於ける「信じる」意味なのです。
今日は「天地の造り主、全能の父なる神」の事に焦点をしぼりたいと思います。

【天地の造り主、全能の父なる神」
聖書の神は「天地の造り主、全能の父なる神」ですけれども、その事は私達人間にはどう言う関係と意味があるのでしょうか。

実は、神の事は最も大きな課題となっているので、神について数え切れない程、沢山の本が書かれています。また、毎日、毎日新しい本がますます出ています。しかし、この使徒信条の短い個所には神について全ての必要な事が全部載ってあります。神は「天地の造り主、全能の父なる神」です。今日、この13字の意味深い表現を学びたいです。

【父のイメージ】
さて、神は「父なる神」です。原文を見るとこれは神について使徒信条の始めの言葉です。神が父なる神である事はとっても良いお知らせですけれども誤解される恐れがあります。ある小さい子供が大変な恐怖を感じ、日曜学校の教室から逃げ出して、泣きながら絶対に戻らないと牧師に言いました。なぜなら、日曜学校の先生は神は「天のお父さん」であると教えたのですが、その子が知っているお父さんは常に酔っぱらって、自分と自分の母によく暴力を加えてしまいました。神がその父親に似ているならば、そういう神を知りたくも近寄りたくもなかったのです。かえって、遠ざけた方が良いと思ったのです。

しかし、私達ほとんどには「父」と言う言葉はとっても暖かい良いイメージがあります。自分の父親の弱さと失敗が分かって来ても、私達は多分「お父さん」と考えると良いイメージが心に浮かびます。しかし、神は父として考えたら、どんな意味になるのでしょうか。

それは神は私達一人一人を造って、大事にして、誰よりも私達の悩みとニーヅ、また私達の喜びと性格を知っておられるお方です。イエスによると私達の髪の毛までも一本残らず神によって数えられています。その上、主は心から私達を愛して、あなたと私のベストを望んで、その為に励んでおられます。また、神は御自分の子供の成長をもたらすように私達を教え、注意して下さいます。

苦難の道を歩む時、神は私達と共にその苦難を感じ、全ての試練を耐える為に必要な力と忍耐を授けて下さいます。私達の罪と不従順にも関わらず、主は続けて御自分の子供を心から愛し、私達の事を諦めません。そして、恐らく、一番大事な事は神はいつも私達と共にいて下さいます。どこへ行っても、どんな場合でも、主はすぐ側にいて私達を見守って、絶えず励ましと助けを下さるのです。つまり、神は常に私達の父のようです。

【天の父】
言うまでもないが、神は文字どおりに私達の父ではありません。もちろん、私達のこの世の父親との全く同じ役割でもありません。しかし、神様を考える時、私達が理解出来るシンボルを使わなければなりません。そして、神を思案すると「父」は最も適切なシンボルであります。神との関係は何よりもこの世の父との関係と似ているので、使徒信条の「父なる神」と言う表現は非常に有用です。もちろん、神はこの世の父親のように限られていません。私達を誤解しないで、いつも同じように私達を愛し、忍耐強くて扱って下さいます。神はこの世の父と似ているけれども、遥かにもっと素晴らしいのです。

神を「父」と呼んでも、それは神は男性と言う訳ではありません。神は霊ですから男性でもないし、女性でもありません。実は聖書によると「父なる神」は母の特質も発揮します。例えば、憐れみと忍耐と柔和です。イエスはこのように言われました。(マタイ23:37)「エルサレム、エルサレム、預言者達を殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥がひなを羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとした事か。だが、お前達は応じようとしなかった。」

また主は発言しました。(マタイ11:28ー29a)「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私の元に来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜なものだから。」神は「父なる神」と言いますけれども、決してそれは神の母の面を拒否する意味ではありません。「父なる神を信ず」と告白すると、私達は神のすべての親としての特徴を認めます。

【人類の父】
なかなか忘れがち事ですが、主を「父なる神」と呼ぶと、私達はすべての人類との関係も宣言しています。つまり、私達人間すべては同じ「父」を持っているならば、皆は兄弟姉妹ではありませんか。もし私達は本当に隣人誰でも兄弟のように扱ったら、この世はどんなに異なる所なるでしょう。ですから「我は父なる神を信ず」と告白するとき、神様との関係だけを言っているのではなく、人間同志の関係をも言っています。

愛する皆さん、ご存知だと思いますが、主は「父なる神」である事は極めて明白ではありません。神の父たる事の証拠が沢山ありますけれども、反対の証拠が全くないと言えません。このような質問を聞いた事がありますか。「もし主は愛する父なる神だったら、どうして御自分の子供が経験する苦難を許すのでしょうか。」病気や死や障害や様々な悲劇などを体験する私達はその質問を聞くのはちっともおかしくはないです。多くの苦難は人間の罪の故ですけれども、ある部分はそうではありません。神様はその苦難を許すのは不思議です。理由があると信じていますが、私にはその理由が完全に分かりません。ある人々は色々な質問に対して付け加える事もありますが、ある面では神の父たる事は全く明白ではないから、その事を信じるのはリスクがあります。だからこそキリスト信仰は信仰と言います。

【神はイエス・キリストの父
幸いに、私達はおもにこの世の毎日の現状を見る事によって神は「父なる神」である事を信じません。実は、神は私達の救い主、主イエス・キリストの御父ですので、神は私達の父である事を知るのです。今日与えられた聖書の朗読に記されていますが、「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてを遣わしになりました。それは律法の支配下にある者を購い出して、私達を神の子となさる為でした。」イエス・キリストの贖いを通して神は私達を養子にして下さいましたから、私達は神の子供になりました。そして、今日の御言葉の6節によりますと、私達が「子である事は、神が『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、私達の心に送って下さった事実から分かります。」イエスの贖いによって私達は神の子供になりました。そしてその恵みを確かめる為に神は私達に御自分を「アッバ」すなわちパパと叫ぶ信仰を授けて下さいました。だからこそ主を「父なる神」と信じられます。

【全能の父】
今日で学ぶ次ぎの言葉は「全能」です。我々は全能の父なる神を信ず。神はもちろん望まれる事を何でも出来ます。人間と違って、御自分の力は限られていません。しかし、神の力は道徳外の人格を持たない力ではありません。と言うのは、主は私達の為に、父として全能の神です。つまり、私達の父のようになる為に十分な力があります。そして、神は私達の父として御自分の力を常に用いて下さいます。どこでも善があるならば、神はそこで働いておられます。 主はこの世の全てを造ってから、決して私達を忘れていません。また、神は時々私達の事を覚えて遠くから御自分の被造物を見る訳でもありません。私達の為に神は常に御自分の力によってこの世を支え私達を助けて下さいます。詩編121遍4ー5p969)にこの御言葉があります。「見よ、イスラエルを見守る方はまどろむ事なく、眠る事もない。主はあなたを見守る方、あなたをおおう影、あなたの右にいます方。」

【力の神】
しかし、言うまでもないが、主の力も神の父たる事のように極めて明白ではありません。もし神は全能の神であるならば、どうして御自分の力をもう少ししきりに用いて下さらないでしょうか。どうして全ての不公平や苦しみや貧困や戦争などを止めさせないのですか。

その質問に答えるには色々な理論がありますが、いくら言っても神の力は説明し難い不思議なところがあります。それにもかかわらず、私達は全能の神を信じます。

【天地の造り主】
最後に、使徒信条によりますと神は天地の造り主です。これは具体的にどう言う意味でしょうか。第一に、神は御自分の創造的力によって無から全ての宇宙を造り出しました。聖書によると「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)それは聖書の出発点である、最初の聖句です。

この世と宇宙を研究する程、神の知恵と力と創造力が分かります。誰でも神の雄大な宇宙を見ると驚くはずです。神が数え切れない沢山の星と惑星を創造して今もそれを支えています。そして、神は私達の為にこの美しい地球をも造って、丁度このユニークな環境に私達に必要な物を全部備えて下さいました。確かに、何よりも主が造った宇宙は御自分の力と知恵を現します。

この事に伴って、もちろん宇宙はただ偶然になった訳ではありません。全能の父なる神がわざわざ、また大事に、大事に全てを造って下さいました。ですから、この世の存在とあなたと私がこの世に今ここに存在するのは大きな意味があります。

【何故神は世界を創造されたか
それは第一に神の栄光を表す為です。決して私達はただ偶然にこの世に生まれた訳ではありません。愛する父なる神があなたをわざわざ御自分の形に創造して、あなたの為に特別な計画と目的を持っておられます。この神様の御心は私達に力と光栄になります。
 
 詩編第139編13ー16はこの事をよく表現します。
「あなたは、私の内臓を造り、母の胎内に私を組み立てて下さった。私はあなたに感謝をささげる。私は恐ろしい力にとって驚くべき物に造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか私の魂はよく知っている。ひめられた所で私は造られ、深い地のそこでおりなされた。あなたには、私の骨も隠されてはいない。胎児であった私をあなたの目は見ておられた。私の日々はあなたの書に全て記されている、まだその一日も造られないうちから。」

【神は永遠なる方】
神は「天地の造り主」である事から、また覚えて頂きたい大事な事があります。それは神は決して天地万物の一部ではありません。宇宙と違って、永遠の唯一の神は造られたお方ではないし、初めもなければ終わりもありません。ですから、神が造られた物を拝んではいけません。神のみを礼拝すべきなのです。

そして、私達人間は神様によって創造された者ですので、私達は神になるのはとんでもありません。人はどんなに力や才能や地位などがあっても造られた者ですので絶対に神になれないし、死後でも神の被造物として残ります。

言うまでもないが、神は天地の造り主である事は色々な証拠がありますが、全く明白ではありません。近代科学は神の創造的働きを疑って、宇宙とこの世はだた偶然にこのようになったと仮定します。実は、両方の理論を明白に証明出来ません。この世は目的なしで誰もよらずに造られましたか。それとも、良い目的で全能の父なる神によって造られましたか。私の確信ですけれども、雄大な宇宙とこの素晴らしい世はただ偶然になったのは非常に信じ難い事です。宇宙は神の作品である事は遥かに信じやすい事だと思います。私達は神を天地の造り主として信じます。

【終わりに】
終わりにあたって、今日の課題、使徒信条の「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」の意味を纏めたいと思います。簡単に言えばそれは、始めから終わりまで私達は神のものです。神は私達一人一人をわざわざ造って、そして毎日全ての必要な物を与えて下さいます。また、イエス・キリストの贖いを通して神は私達を養子にして下さって、私とあなたには父なる神になりました。だからこそ私達は主のものです。天地の造り主、全能の父なる神のものになるのはどんなに大きな力と希望と慰めである事でしょう。

使徒パウロはこの真理がよく分かりました。ローマの信徒への手紙4:7ー8にこのように書きました。
「私達の中には、誰一人自分の為に生きる人はなく、誰一人自分の為に死ぬ人もいません。私達は、生きるとすれば主の為に生き、死ぬとすれば主の為に死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私達は主のものです。」

病院で私はこの大事な真理が分かった一人の信者と話し合いました。彼の病気は深刻で死に直面していました。兄弟はこのように言いました。「大丈夫です。どちらにしても、大丈夫です。僕は神のもので、私の生死は神の御手にありますから。」私達一人一人もこのような信仰に導かれますように祈ります。私達は「天地の造り主、全能の父なる神を信ず。」

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