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使徒信条の学びシリーズ
合衆国長老教会宣教師、西谷聖書集会牧師   ウイリアム・モーア
使徒信条シリーズ3 【その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず
◆洗礼者ヨハネとイエス ルカ7:18ー23
18:ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、
19:主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
20:二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」
21:そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。
22:それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。
23:わたしにつまずかない人は幸いである。」

◆神は御子によって語られた ヘブライ人への手紙1:1ー4
1:神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、
2:この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。
3:御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
4:御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
西谷聖書集会6/22/03 【その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず】                 
【洗礼者ヨハネ】
彼は囚人でした。数カ月間、暗い独房に閉じ込められてしまいましたから、やっと刑務所の戸外運動場に出て来れると、日ざしが眩しくて目の上に手をかざしました。長い間、髪の毛は切って貰わなかった為、大変長くなって、シラミと垢だらけでした。そして、刑務所の飯がとても足りないので、体は骨と皮ばっかりでした。

ある囚人は彼に呼び掛けました。「おい、ヨハネ、お前は本当に預言者か。弟子達が沢山あったのに今、誰一人もいない。」また、他の人がこのように言ってしまいました。「あんたは馬鹿ではないか。いくら言ってもヘロデ王を公に批判するのは自分の首をしめる。死ぬまで刑務所の世話になるよ。」

独房に帰ってヨハネは色々な事を考えました。自分のルウマチはだんだん悪くなって、腐った飯でお腹を壊してしまった。その上、刑務所の同僚からのいじめは彼を苦しめた事でしょう。 振り返って見ると、刑務所の前の時は本当に良かったと思いました。。「天の国は近づいた」とヨハネが宣言して、大勢の人は自分の説教を聞く為に集めて来ました。また、罪の許しを得させる為に悔い改めの洗礼を説きました。「まむしの子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳しく説教して、人々はぞくぞくと出て来て彼から洗礼を受けました。

ヨハネは弟子達を集め、多くの人は彼をメシア、すなわち待ち望んだ救い主であると思った程、成功した力強い働きをしたのです。しかし、ヨハネはその役割をはっきりと拒否しました。「私はあなた達に水で洗礼を授けるが、私よりも優れた方が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打もない。その方は、聖霊と火であなた達に洗礼をお授けになる。(ルカ3:16)ヨハネが言ったその「優れた方」こそはイエス・キリストでした。
しかし、今、ヨハネは監獄に入れられてしまいました。そして、彼の目から見ると外では変わりは何もありませんでした。

腐敗した政治家は国を駄目にしながら、国民から無理に税金を取り集め、外国のローマ政権に渡しました。その上、ヨハネは自分の地位をイエスに譲ったのに、イエスはほとんど何もしていないようでした。イエスは神から授けられた救い主だと思いましたけれども、彼はただ国を巡回しながら譬え話を言ったり、病気の人を治したり、罪人と付き合ったりしました。イエスは決して、堕落したヘロデ王の政権と戦っていないし、社会の全ての不正を正していません。そして、イエスはヨハネを刑務所から解放させませんでした。ヨハネは天の国は近づいたと信じたのに、現実に天の国はまだまだ遠いと見えたのです。ですから、ヨハネはもう我慢出来なくて、刑務所からイエスに一つの質問を密かに送りました。
それは、

「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」

【その独り子、我らの主、イエス・キリスト】
使徒信条の今日の個所はヨハネの質問にはっきりと答えて下さいます。リスクがあっても私達はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信じ委ねます。だからこそ私達はほかの方を待っていません。私達の全ての希望はイエス・キリストに掛けています。その為に我々は「キリスト者」あるいは「クリスチャン」と呼ばれています。

今日の使徒信条の取り扱う個所は「その独り子、我らの主、イエス・キリスト」です。この前の時「天地の造り主、全能の父なる神」と言う表現を学びましたけれども、今日からイエス・キリストの事を強調したいと思います。私達は「その独り子、我らの主、イエス・キリストを信じます。」

【独り子とは】
さて、使徒信条によりますと、イエスは「神の独り子」です。しかし、この使徒信条のすぐ前の所では神は私達の「父なる神」と教えられています。ですから、私達皆は神の子供です。もし神は私達の父なる神であるならば、イエス・キリストはどうして神の独り子であるのでしょうか。ちょっと矛盾したようですね。しかし、ここでの「独り子」と言う表現の意味が分かったら、ちっとも矛盾ではありません。私達は神の子供ですけれども、イエス・キリストは私達と違います。聖書によりますと、主イエスは神であって、初めに神と共にあり、万物は主によってなりました。ですから、神の子イエス・キリストは特別です。非常にユニークです。と言うのは、主の資格を持っているお方は一人しかいません。それがここでの「独り子」の意味です。

ヘブライ人への手紙は主イエスのユニークネスを良く表現します。ヘブライ人への手紙1:1ー4を見て下さい。

「神は、かつて預言者達によって、多くの形で、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によって私達に語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使達より優れた者となられました。天使達の名より優れた名を受けつがれたからです。」

私達は神の被造物として造られた者ですが、イエス・キリストは永遠の神なのです。私達は神の形に似せて造られたのですが、神ではありません。そして、イエス・キリストと違って、私達は決して「神の本質の完全な現れ」ではない。また、私達は人々の罪を清める事が出来ないし、天国で神の右に座してもいないし、天使達より優れた者でもありません。

イエス様は私達の為にその唯一の神の独り子です。私達の為に人間になり、この世にいらして神の性格を完全に現し、十字架で私達の罪を贖って下さいました。また、今、私達の為に天国で執り成して下さいます。
主イエスは神の唯一の独り子ですので、私達はほかの方を待っていません。神は主イエスを通して唯一無二の救いの道を開いて下さいましたので、ほかの道はありません。主イエスは神の独り子として私達の救いなのです。

【我らの主】
続いて、使徒信条では、私達はイエス・キリストを「我らの主」として告白します。
「主」と言う意味は何でしょうか。それは簡単です。主はボス、かしら、また最高指導者です。つまり、イエス・キリストは「我らの主」であるならば、私達はイエスの教え、イエスの言う事を従うべきです。私達がイエス・キリストを「主」と言いながら、御自身の戒めを無視するなら、主と言う意味が分かりません。イエスはこのように言われました。「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入る訳ではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ7:21)

そして、主の戒めは「天の父の御心」です。聖書には主のその戒めが記されています。例えば、「敵を愛し、自分を迫害するものと為に祈りなさい。」(マタイ5:44)「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにする為である。」(マタイ7:1)「自分の命の事で何を食べようか何を飲もうかと、また自分の身体の事で何を着ようかと思い悩むな。神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの物はみな加えて与えられる。」(マタイ6)
イエスが私達の主であるならば、御自身の大事な教えを聞かなければなりません。

そして、イエス・キリストは主として私達を守って、自分の命を犠牲する程、私達を愛して下さいます。どんな罪を犯しても、悔い改めた心を持っていたら、私達を完全に許して、決して見捨てません。更に、私達の為に天国で場所を用意して下さいます。そこで永遠に神との交わりを楽しむ事が出来ます。イエスはこのような主であるので、私達はほかの方を待っていません。主イエスは私達のかしら、私達の主であります。

【イエスという名】
最後に、私達の主の名前を調べたいと思います。使徒信条によりますと、我々はイエス・キリストを信ず。実は、「イエス」はその時代の普通の男性の名前でした。つまり、多くのユダヤ人はイエスと言う名前を持っていました。その意味は、主は神でありながら、同時に人間でした。そして、人間イエスとして私達が経験する事を全部体験されました。主は私達のように夜寝て、朝起きる、御飯を食べて、また、水などを飲みましたけれども、もっと大事な事に、イエスは私達が知る試練と誘惑も全部経験されました。ですから、主は私達の事を完全に分かっているので、私達を憐れみ、必要なところで必要な事に一番良いものを授けて下さいます。

イエスと言う名前は一般に使われた名前でしたが、特別な意味があります。それは「救いは神にあり」または「神は救う」です。マタイによる福音書に記されていますが、イエスが生まれる前に天使がヨセフに夢で現れて言いました。「マリヤは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(1:21)このように、御自分の名前によって主の地上のお働きが示されています。
  
【キリストという称号】
イエスと違って「キリスト」は本当に名前ではないが、タイトルです。イエスは子供の頃、マリヤは決して「おーい、キリスト、家にに早く帰りなさい」と呼びませんでした。キリストはメシヤ、すなわち、長く期待された救い主と言うタイトルです。イスラエルの預言者達は神様からその救い主の約束を頂いて、長年の間その方の来る事を待ち望んでいました。その神様から遣わされたキリストはイスラエルの本当の王、大いなる祭司と最高の預言者になると約束されていました。そして、そのキリストは世界の全ての民に救いと祝福を授けると言う期待があったのです。

【イエスはキリストである】
イエスはキリストであると信じているので、私達はほかの方を待っていません。イエスは私達の唯一の救い主、私達の最高の希望であるからです。
刑務所からヨハネはイエスに質問をしました。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 

答えとしてイエスはどうおっしゃいましたか。「ヨハネ、もう少し我慢してくれ。あなたが預言した神の裁きはやがて来るから。その時、ヘロデ王のような悪人は倒れ、あなたのような善人が勝ち取り、偉くなる。そして、きっと全ての民は私をキリスト、メシヤとして認める。」いいえ、イエスはそのようにおっしゃいませんでした。このように言われました。(ルカ7:22p116)「行って、見聞きした事をヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、癩病をわずらっている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである。」
 
聖書には記されていませんから、ヨハネはその返事に対してどんな反応があったのは分かりません。もしかすると、彼はイエスのお話を聞いて、自分の信仰が遥かに強くなった事でしょう。イエスは本当にキリストであると信じたと思います。もしヘロデ王は彼を刑務所から呼んで、このように誘惑したらヨハネはどうなさったのでしょう。「ヨハネ、明日は私の誕生日で寛大な気持になった。イエスの事を忘れ、そして、おれの批判と裁きの話しを取り消してくれるなら、明日からでも自由にさせる。どうでしょう。」きっとヨハネはこのように言うでしょう。「ヘロデ、そんな事は出来ません。イエスはまことの神、キリストです。神の独り子、私の主であるからです。」

初代教会の時代にはポリカープと言う司教がいました。信仰の故の迫害でローマ帝国当局が彼を逮捕してこのように押し付けました。「お前は86歳の老人なのに、どうしてカエサル皇帝を拝んで、『あなたこそが主である』と言えないの」と聞きました。そしたら、「イエス・キリストは主ですから、そう言う事は出来ません」と返事をしました。そして、その場で殉教されました。

またドイツでマチン・ニーモラーという神学者がいました。「ヒット−ラ総統を認めなさい。そうすると解放され、良い地位をあげるよ」と言われると、「イエス・キリストは私の総統です」と返事をしました。
 
ヨハネとポリカープとマチン・ニーモラーは愚かな者と思う人がいるかもしれません。しかし、ヘロデの王国は消え去り、ローマ帝国は無くなり、ヒットラーも滅ぼしてしまいました。しかし、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、癩病をわずらっている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」イエスの国とお働きは現在までも続いています。私達は神の独り子、我らの主、イエス・キリストを信じますので、ほかの方を待っていません。
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