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使徒信条の学びシリーズ
合衆国長老教会宣教師、西谷聖書集会牧師   ウイリアム・モーア
使徒信条シリーズ5 【主はポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け
◆ピラトから尋問される              マタイによる福音書27:11ー26
11:さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
12:祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
13:するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。
14:それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。
◆死刑の判決を受ける
15:ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。
16:そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
17:ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
18:人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
19:一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
20:しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。
21:そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。
22:ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。
23:ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。
24:ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
25:民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
26:そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

西谷聖書集会7/27/02 【主はポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け】
【ピラトの妻】
今日、与えられた御言葉にはイエス・キリストの裁判の事が述べられています。聖書の中でも結構よく知られた有名な個所ですけれども、そこには色々な不思議な所があります。その一つはイエスの裁判を行った総督ポンテオ・ピラトの奥さんの事です。今日の朗読の19節によりますと、
「ピラトが裁判の席に着いている時に、妻から伝言があった。『あの正しい人に関係しないで下さい。その人の事で、私は昨夜、夢で随分苦しめられました』」と記されています。
聖書にはその夢の内容までは記されていませんが、ドロシー・セーヤスと言う作家がピラトの妻の夢を想像してみました。セーヤス氏によりますと、その夢の中身は一つの表現でありましたが、その表現は一千人の声で、また、世界のあらゆる言葉で繰り返し、繰り返し言われて来ました。
その表現は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」であります。
 
その悪夢の内容は文字通りの事実になりました。2、000年後でもポンテオ・ピラトの名前が覚えられています。そして、日本語で、中国語で、ドイツ語で、英語で、韓国語で、またこの世の全ての国の言葉で毎日、毎日、使徒信条の表現「主はポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」が絶えずに繰り返されています。

ある面でこれは非常に奇妙な事です。実は、その当時のピラトは別に有名人でもありませんでした。彼はただ百数人のローマ帝国の植民地の総督の中の一人でした。そして、彼の任地、ユダヤは帝国の中の三流植民地にしかなりませんでした。また、ピラトは特別に勇気や良いリーダシップや長所などを持っていなかったし、却って非常に弱い人間でした。と言うのは、ピラトはイエス・キリストの無罪を知りながらも、また、何回も皆にその無罪を主張しながらも、血に飢える群衆に負けて、主を彼等に渡しました。そして、遂に主は十字架に掛けられ、死刑に処せられる結果をもたらしました。

【人間の正義感】
宗教改革者ジョン・カルビンは人間の正義感について非常に意味深い事を述べました。それは、我々人間は弱く、罪深いのに、人の事だったら、正義感が強くなりがち性格ですが、自分の利害に関係する場合、正義感がおかしくなって正しい判断が出来なくなってしまうと言う事です。自分のお金と仕事、自分の名誉と野心との関係がなかったら、私達はすぐ正義を悟るのですが、自分の利害に関係する瞬間、正義感が曲がって来て、人を不当に遇してしまいやすくなります。

総督ピラトはまさにその通りでした。イエス・キリストにおいて、彼は正義がすぐ分かりました。常識、またはローマの法律によりますとイエス・キリストの無罪は明らかな事でした。釈放するはずです。しかし、ユダヤ人の指導者達はこのように叫びました。
「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」(ヨハネ19:12)
その事を聞きますとピラトは恐くなり正義を忘れてしまいました。もし正義を守ってイエスを釈放するのだったら、「皇帝に背く者」と責められる可能性がありました。そこには自分の生存に関わる問題が目前にありました。そして、彼は水を持って来させ、皆の前で自分の手を洗って言いました。
「この人の血について、私には責任がない。お前達の問題だ。」
しかし、いくら洗っても奇麗になりませんでした。結局、プレッシャ―と恐れに負けて、大変な不正義を行いました。

ピラトは実に弱い人で、罪の全くない神の御子を死刑にした為、歴史の最も酷い悪党の中の一人になりました。このような人がいったい何故使徒信条に入ったのでしょうか。聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれた神の独り子、我らの主、イエス・キリストから「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」までは極端な差があります。まるで汚い犬が大聖堂に入り込むようです。ピラトの名前はどうして使徒信条に現れましたか。

【ピラトに見る私達人間の弱さと罪深さ】
少なくとも三つの理由があると思います。第一にピラトの存在は私達人間の弱さと罪深さを示します。ピラトは特別に酷い罪人ではないと思います。実は彼は極普通の人間で、私達の回りにどこにでもいる人の一人です。政治家が国民の払わなければならない税を値上げしながら、ちゃんと自分が払うべき分は出さないところに、ピラトはそこにいます。
また、製薬会社が儲ける為に欠陥のある薬を売り出すとき、ピラトはそこにいます。
そして、当局が力を持つ者の大きな犯罪を見落としながら、力のない人の比較的小さい過ちを厳しく罰するとき、確かにピラトに会えます。

そして、私達は自分の鏡でもピラトに会えます。私は人の行動を批判しながら、平気でその同じ行動をした事がよくあります。また、人の罪は厳しく観察しますが、自分の罪には軽んじる時が多いにあります。ピラトのように自分の利害とか名誉とかが関係する場合、正義感などは失われ、正しく判断するのは難しくなります。

私達とピラトの弱点はそんなに変わりありません。神と隣人の前に私達皆は罪人です。自己中心的です。ですから正義の神の裁きを受けるはずです。第一に、使徒信条にいるピラトの存在は私達一人一人の弱さと罪の事を思い起こさせる為です。

【ピラトは歴史の事実】
次は、使徒信条にあるピラトの名前は我々の信仰をはっきり歴史と繋がらせます。キリスト信仰は昔々のおとぎ話ではありません。神話でもありません。キリスト教は歴史的な出来事に基づく信仰で、その出来事は実に歴史において起こりました。キリスト信仰の最も大事な出来事、つまりイエス・キリストの十字架の贖い死と復活は約紀元30年にユダヤと言うローマの植民地で起こりました。その時、ピラトはユダヤの総督でした。
そして、もちろん、その紀元30年は今年の2003年との同じ年表に載っています。また、地図を見るとイスラエルのユダヤを探せるし、今も行く事が出来ます。
ですからイエス・キリストは特定の時点でこの世に生まれ、私達の為に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」られました。その出来事はフィクション、または伝説ではないから、信じられるし、私達はその歴史的出来事の上に信仰が基づきます。

愛する皆さん、キリスト信仰の歴史的出来事を信じると、同時にもっと深く、自分の毎日の現実に関係のある事も信じられます。それは、神の独り子イエスはこの世の歴史に入ると、今、私達が住む同じ世に入りました。当時は現在と同じように、支配するのは正義を知るのに正義を行わないこの世の罪深い為政者でした。しかし、主はその全ての困難に耐えて、最後まで忠実に神に仕え、罪一つも犯しませんでした。そして、最後まで私達人間を心から愛して下さいました。
主はポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受けたんですけれども御自分の復活によってその苦しみ、その死までも征服しました。
「あなたがたには世で苦難がある」とイエスは弟子達と私達に言われました。
「しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。(ヨハネ16:33) 
主イエスが私達の救い主であるから勇気を出す事が出来、主と共に世に勝つ事も出来ます。

【ピラトはイエスの無罪を証しした】
最後に、ピラトの名前が使徒信条に載るもう一つの理由があります。彼は主の裁判の時、はっきりとイエスの無罪の証しを立てました。そして、使徒信条にあるピラトの名前はその大事な事を私達に気付かせて下さいます。
 
ピラトにはその時は量り知る事も出来ませんでしたが、彼は歴史の最も重要な所に立ちました。実は、その時、全能の唯一の神は全人類の為の救いを計らっていました。つまり、御自分の御子イエス・キリストの贖い死を通して神は私達に救いの道を開いて下さったのです。誰でも自分の命を犠牲にする事によって私達の全ての罪を贖う事ではありません。もしイエスが私達のような罪人だったら、自分だけの罪の為の支払うべき罰を受ける事になった事でしょう。しかし、神の御子イエス・キリストは罪の全く無い方である故に、私達の罪を贖う事が出来ます。

ピラトには量り知れませんでしたが、神様の大事な御計画に与る役割があったのです。それは主イエスの無罪を宣言する事です。
裁判官ピラトは「私はこの男に何の罪を見いだせない」と皆の前で言いました。(ルカ23:4)その唯一の罪のない方は私達の身代りになり、私達の永遠の救いをもたらして下さいました。ですから、私達一人一人も罪の為に神の敵になっていたのに、イエスの贖いによって主の許された子供になりました。

「主はポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と使徒信条に記されています。私達の贖いの為に「主はポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受けました。」どうか私達一人も残らず自分の罪と弱さを認め、イエスの真理を信じ、そして主の贖いいを心から受け入れるように祈っております。

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