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合衆国長老教会宣教師、西谷聖書集会牧師   ウイリアム・モーア
使徒信条シリーズ7 【主は三日目に死人のうちより蘇り
◆復活する ルカ24:1ー35
  :婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。
1:そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。
2:見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
3:中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
4:そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
5:婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
6:あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
7:人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」
8:そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
9:そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
10:それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
11:使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
12:しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
◆エマオで現れる
13:ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
14:この一切の出来事について話し合っていた。
15:話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
16:しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
17:イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。
18:その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
19:イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
20:それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。
21:わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。
22:ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、
23:遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。
24:仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
25:そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
26:メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
27:そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
28:一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
29:二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
30:一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
31:すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
32:二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
33:そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、
34:本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
35:二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
西谷聖書9/14/02 【主は三日目に死人のうちより蘇り】
【イエス捕らえられる】
悪夢のような一週間でした。しかし、それは幻想ではありません。明白な事実でした。全く信じられない事が起こってしまいました。エルサレムに近いオリブと言う山で始まりました。その夜からイエス様の弟子達は何となく変な気持を感じました。晩餐の間にイエスは弟子の為の御自分の難儀について色々な分かり難い事をおっしゃいました。御自分の血を流す事と一人の弟子が自分を裏切って、もう一人は三度も自分を知らないと言う事を言われました。イエスは前にも弟子達にとって分かり難いお話をなさいましたけれども、今度は感じが違いました。今度は、主が悲しみの重荷を負うように話していました。しかし、弟子達はもうすぐ起こる事がどんな事であるかは分かりませんでした。

突然、刀と棒を持っている群衆が現れました。十二人の弟子の一人、ユダは、その群衆の中から出て来て、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻しました。そうすると主はこのように言われました。「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか。」一人の弟子はイエスを守ろうと刀を持って、祭司長の僕の耳を切り落としましたが、主がすぐその暴力を止めさせ、祭司長の僕を治されました。イエスは戦わなかった、逃げなかった、むしろ御自分の逮捕を許されました。

【不義の裁判】
オリブの山から祭司長の家まで連れられ、そこでイエスが打ちたたかれました。またはユダヤ人の指導者達が「あなたは神の子なのか」と尋問するとイエスはこのように言われました。「あなたがたの言うとおりである。」そして、群衆は主をローマの総督ピラトの所へ連れて行きました。ピラトにイエスについて色んな偽りを言いましたけれども、総督は彼等を信じませんでした。「私はこの人に何の罪も認めない」と宣言しましたが、群衆はその判決を受入れませんでした。「十字架に付けよ、彼を十字架に付けよ」と叫び続けました。そして、遂に群衆の声が勝ってピラトは主を彼等に渡しました。やはり、自分の臣民を喜ばせる為に罪の全くないイエスの死刑を許してしまいました。

【十字架】
自分の弟子達と友人の目の前でイエスは刑場に連れられ、他に二人の犯罪人と共に十字架に掛けられました。最も残酷な刑を受ける時、主はこのようい言われました。「父よ、彼等をお許し下さい。彼等は何をしているのか、分からずにいるのです。」何時間も十字架の上で苦しみを受けてから、イエスは叫んで言われました。「父よ、私の霊をみ手に委ねます。」と言って息を引き取られました。

【埋葬】
あるお金持ちがイエスを尊敬していましたので、ピラトの所へ行って主の遺体を求め、お墓に納めました。間違いなく、その時はイエスの敵が勝ったように見えました。ユダヤ人の指導者達はイエスの事について心配がいらなくなりました。人々皆はイエスをすぐに忘れると思ったのです。誰も十字架で死刑され、死んでしまった人に従うはずがないでしょう。

イエスの弟子達はどんな気持でしたか。もちろん大変なショックを受けました。自分の愛する先生の命が突然、残酷に取られましたから。彼等はイスラエルを救うのはイエスだと全ての望みを掛けていました。また、弟子達は大変悲しんでいました。自分たちに対して主イエスの完全な愛を体験した彼等は今後からその愛が分からなくなるような気がしたのです。その上、彼等は自分たちの先生の死の意味がまだ分かりませんでした。もし、イエスが神からいらっしゃったならば、神が何故御自分の御子を救わなかったのでしょうか。主の死は意味のない悲劇だけだと思ったでしょう。ですから皆それぞれ故郷に帰ってイエスを忘れた方が賢明だと思ったのではないでしょうか。出来るだけこの悪夢のような出来事を水に流して、イエスに会う前の仕事へ戻った方が良いでしょう。主はいつも「神の国は近づいている」と弟子達に話しましたが、今、弟子達にはそれはただのお話だけにしか思えませんでした。

【復活】
ところで、イエスの女性の弟子達は主のお墓へ行って帰ってから、とんでもないお話がありました。お墓の中に入って見ると、主イエスの遺体が見当たりませんでした。すると、天使のような者が現れ、こう言いました。「何故生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になった事を思い出しなさい。人の子は必ず罪人の手に渡され、十字架に付けられ、三日目に復活する事になっている、と言われたではないか。」

女性達はお墓から帰って弟子にそのお話しをしましたが、彼等は信じませんでした。「あなた達は変な夢を見たんじゃないか。私達の目の前でイエスは十字架の上で亡くなりました。死んだ人は蘇られません。」

【エマオ途上】
今朝の朗読によりますと、二人の弟子がエルサレムから10キロぐらい離れたエマオと言う村に歩いていました。歩きながら悲しそうにイエスの事を話し合いました。そして、イエス御自身が近づいて来て共に歩きましたが、弟子はその方が主である事が認められませんでした。「歩きながら、やり取りしているその話は何の事ですか」と主がお尋ねになりますとこのように言いました。

「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こった事を、あなただけは御存知なかったのですか。ナザレのイエスは神と民全体の前で、行ないにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、私達の祭司長達や議員達は、死刑にする為引き渡して、十字架に付けてしまったのです。私達は、あの方こそイスラエルを解放して下さると望みを掛けていました。しかも、その事があってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人達が私達を驚かせました。婦人達は朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使達が現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行って見たのですが、婦人達が言った通りで、あの方は見当たりませんでした。」

そして、まだ認められていないイエスが弟子にこのように言われました。「ああ、物分かりが悪く心がにぶく、預言者達の言った事全てを信じられない者達、メシアはこう言う苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」それから、イエスは聖書全体から御自分についておしえられました。彼等はやっとイエス様の死の必要性と意味が分かって来ました。イエスの十字架の死を通して神は私達人間を購って、救って下さいました。弟子達はこのお話を聞くと大変喜びましたので、エマオに着くとイエスを一緒に泊まるように願いました。そして、食事をする前にイエスがパンを取って祝福された時、彼等はその方がイエスだと悟られました。そうすると主は彼等には見えなくなりました。

言うまでもないが、弟子達がその方はイエスだと認めると、大喜びました。自分の愛する先生は一度死んだのに今は生きていました。十字架の悲劇は神の勝利になりました。深い悲しみと失望が全部消え、喜びのあまり、早速その晩エルサレムに戻って、自分たちが経験した事を仲間に教えました。実はその二人だけではなく、他の弟子達も生きておられる主イエスを見ました。「本当に主は復活して、シモンに現れた」と仲間から聞きました。

【復活の事実】
今朝、私達の使徒信条の学びを続けたいと思います。そして、与えられた個所はこれです。「主は三日目に死人のうちより蘇り」です。皆さん、イエス・キリストの復活はどうして使徒信条に入った程そんなに重要でしょうか。実は、多くの人々にはイエスの復活が「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ」と同じように信じ難く、躓きになります。誰でも知っているはずですけれども、死んでしまった人は絶対に蘇りません。それなのにどうして使徒信条とキリスト教会はイエスの復活をそんなに主張するのでしょうか。恐らく、イエスは弟子達の心に蘇ったんですが、実際に、文字どおりに復活したのは難しいと思う人は少なくないと思います。もしキリスト教はイエスの復活の事をもう少しうまく言い逃れると、誰もが信仰を受入れやすくなるのではないでしょうか。しかし、初めから今日までキリスト教会は主の復活を強調して、信仰の最も中心となった出来事として信じたのです。

実に、復活がなかったらキリスト信仰と教会は存在していなかった事でしょう。弟子達は皆それぞれの家に帰って、イエスを忘れさった事でしょう。もし復活がなかったら、イエスは大失敗してしまったと皆が思ったでしょう。また、復活がなかったら、主はとんでもない嘘つきになってしまったでしょう。

しかし、復活を通して神様はイエスがなさった事と言われた事を承認されました。イエスが嘘つきならば、神が主を蘇らさせるはずがないです。もしイエスは神が授けて下さった御子ではなかったら、神によって復活させられる理由が全くありません。確かに、イエスがなさった事と言われた事が正しくなかったら、神はこのままイエスをお墓に置かれた事です。イエスは「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらなければ、父の御元に行く事は出来ない」と言われると、私達は信じるべきです。何故なら、これは真実かとんでもない嘘かを神様は復活できっぱりと決められました。ですから、復活は私達には力強い保証になります。つまり、復活の事で私達はイエスを徹底的に信じ、従うべきお方であるのは知っています。

【イエスの復活は罪の許しの保証】
次は、イエスの復活は罪の許しをも保証します。コリントの信徒への手紙一15:17の所を見て下さい。

「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にある事になります。」

主の復活を通して神が私達の為のイエスの贖い死を受け、それは私達の全ての罪を赦す力があると神が宣言しました。誰でも蘇らせられた主イエスを自分の救い主として信じるならば、罪の赦しの確信が出来ます。全ての罪が赦されたから、受入れ愛された子供のように神の御前に出る事が出来ます。罪の意識と恥じから解放され、神の救いと交わりと助けを自由に頂きます。イエス・キリストの復活は神からの罪の赦しの保証になります。だからこそ主の復活は大事であります。

【永遠の命の保証】
最後に、主の復活はあなたと私の永遠の命の保証になります。もう一度コリントの信徒への手紙一15章を見て下さい。18節から読みます。

「そうだとすると、(すなわち、イエスが復活しなかったら)キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまった訳です。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、私達は全ての人の中で最も惨めな者です。」

主の復活によって神は死を征服しました。お墓は最後のところではありません。神が主イエスを復活させる力があれば、私達、御自分の愛され、許された者をも永遠の命に復活させる力と意思があります。ですから、主の復活は大事であります。

【まとめ】
愛する皆さん、イエス・キリストの復活は私達には三つの重要な保証になります。第一に、主は従うべきお方である事を保証します。次に、イエスの復活は私達の罪の許しをも保証します。そして、最後に、主の復活はあなたと私の永遠の命の保証になります。
1930年にソビエトの共産党の偉い幹部ブカリンはモスクワからキエフに行きました。その目的は大会でスピーチをする為です。そして、その課題は無神論でした。数千人の前で彼は一生懸命にキリスト教を反論して無神論を説きました。一時間程のスピーチが終わると、ブカリンが大満足したように皆を見て、観衆に講議についての質問を招きました。死のような沈黙が続きました。やっと一人の男が立ち上がって講壇の方へ歩いて、ブカリン幹部の側に行きました。彼は皆をよく見回して、そして、大きい声でロシア正教会の伝統的挨拶を言いました。「キリストは蘇られました。」そうすると観衆一人も残らず起立して、一緒に大声をあげてその挨拶に応答しました。「キリストは本当に蘇られました。」
皆さん、キリストは本当に蘇られましたから私達は大きな、大きな希望があります。どうか、私達一人一人もその比べられない程素晴らしい希望と喜びが経験出来るように祈っております。
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