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使徒信条の学びシリーズ
合衆国長老教会宣教師、西谷聖書集会牧師   ウイリアム・モーア
使徒信条シリーズ8 【主は天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり
ヨハネによる福音書16:1ー15
 1:これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。
2:人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。
3:彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
4:しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」
◆聖霊の働き
:「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
5:今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。
6:むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。
7:しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
8:その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
9:罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、
10:義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、
11:また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
12:言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
13:しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
14:その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
15:父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、 わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

使徒言行録1:6ー11
◆イエス、天に上げられる
6:さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
7:イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
8:あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
9:こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
10:イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、
11:言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。 あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

西谷聖書集会9/21/03 【主は天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり】
【復活信仰―主は天に昇り】
キリスト信仰は世界の全ての宗教と比べるとユニークな点がかなりあると思います。その一つは、キリスト教以外、他の全ての宗教の創立者はそれぞれお墓があります。イスラム教も儒教も仏教などの場合も、全部は創立者の遺骨が残されています。そして、遺骨が納めた所は何処よりも神聖な場所になります。お墓を訪ねる事によって、信者は自分の宗教の一番大事な人物と近くにいる感じがして、敬意を表せます。実は、ある信者は創立者の遺骨を拝むほど大事にします。小さい骨を宝のように扱って、何よりも敬うようです。
しかし、イエス・キリストの場合、遺骨がありません。エルサレムに主のお墓が残されていますが、そのお墓には遺骨が全然納めていません。その理由はもちろん御存知のとおりです。実は、主イエスキリストの遺骨は存在していません。イエスが蘇させられましたからです。そして、更に、主は復活してからまた死んで遺骨を残しませんでした。聖書の証しと今日の使徒信条の個所によりますと「主は天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」です。つまり、イエス・キリストは神の力によって復活させられ、多くの人々に出会ってから、神と共にいらっしゃる為、天国に上げられました。

先程読ませて頂いた最初の聖書の朗読は今日の使徒信条の個所の背景になります。この御言葉で主イエスは御自分の弟子達に大事なお知らせを述べます。それは、主は御自分を「お遣わしになった方のもとに行こう」と言う事です。つまり、イエスはこれから天国に帰るつもりでした。そして、イエスの帰りに伴って、弟子達は厳しい迫害を受ける事になると教えられました。ヨハネによる福音書16:2を見ますと、この主のお話が記されています。

「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼等がこういう事をするのは、父をも私をも知らないからである。」

言うまでもないが、弟子達にはこれは恐ろしいお話でした。御言葉によりますと、彼等の「心は悲しみで満たされました。」彼等は全てを忘れ、イエスに従って来ましたのに、主によって見捨てられるような事になります。その上、イエスが去ると大変な迫害もこうむると教えられました。その恐ろしい事を聞くと弟子達の目の前は真っ暗になりました。今までの希望と献身は無駄だと思って、全く当惑した状態でした。

しかし、弟子達の悲しみに対してイエスは驚くべき事を言いました。
「実を言うと、私が去って行くのは、あなたがたの為になる」と記されています。

【弁護者―聖霊】
そのお話を聞くと弟子達は「とんでもない」と思った事でしょう。「赤ん坊が母によって捨てられる事がその子の為になるのであるなら、主イエスが去って行く事も私達の益になる」と思った事でしょう。しかし、イエスが続いてこのように言われました。「私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたの所に来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたの所に送る。」その当時、この約束はどのくらいの慰めになったかは分かりませんが、きっと弟子達は「弁護者」となる聖霊の代りに、イエスの体にある存在を望んだ事でしょう。
使徒言行録には主イエスの昇天の記録があります。1:8に主は「あなたがたの上に聖霊が下ると、あなたがたは力を受ける」ともう一度聖霊を約束してから、「イエスは彼等が見ているうちに天に上げられたが、雲におおわれて、彼等の目から見えなくなった」と書いてあります。

皆さん、我々現代の人間はこのお話を聞いてどう思われますか。少なくとも、イエスの昇天はちょっと空想的ではありませんか。実は、その当時の人々はこの世は平らであると思ったのです。そして、地獄は世界の下にあるし、天国は世界の上に位置されていると信じたのです。もちろん私達は世界が地球である事が知っていますから、その世界観はおかしいと思います。しかし、神様はその当時の人々に伝えたい重要な事があったので、彼等の世界観を通してコミュニケーションをして下さいました。つまり、「イエス・キリストが御自分の元に帰った」と言う事をはっきりと教えたかったので、弟子達の目の前で主を天に上げられたのです。彼等がすぐ分かりました。その劇的行為で神は結局このような宣言をしました。「イエスは本当に私の貴い独り子です。世にいる間、完璧に私に従って、地上の働きを成し遂げたので、私の元に戻らせました。」イエスを天国に帰らせる方法、そのものはそれ程大事ではないと思います。しかし、昇天の意味は重要であるから、神は彼等がすぐ分かる方法を選んで下さいました。

【主の御臨在】
前に言いましたけれども、イエス様がこの世を去って天国に帰った際、弟子達はかなり不安と悲しみを感じました。そして、主が預言されたように彼等は厳しい迫害を受けてしまいました。信仰の為に殉教者となった信者は少なくありませんでした。しかし、イエスは約束どおりに聖霊を彼等に遣わして下さいました。主はこの世での肉体的生涯が終わりましたげれども、聖霊を通して、御自分の臨在がまだ彼等と共にいました。そして、言われたとおりに、イエスが去って行ったのは、本当に彼等の為になりました。主は肉体を取って人間となった間、御自分の力は限られていましたが、聖霊を通して私達と共にいらっしゃるので、私達の為にもっと素晴らしい事が出来ました。例えば、人間のイエスは同時に至る所にいられませんでしたけれども、天にのぼった主の聖霊は、場所に制限されず、いつも信者一人一人と共にいらっしゃる事が出来ます。主イエスの霊は彼等を色々な面で助けて下さいました。イエスの御臨在は彼等を迫害にあっても慰め導いて下さったのです。また聖霊は弟子達に福音を「地の果てに至るまで」伝える力を与えて下さいました。彼等の経験によって、イエスの約束、「二人、または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいる」(マタイ18:20)事は本当の事でした。人間のイエスがいないのを懐かしく思ったかも知れませんが、主の聖霊の御臨在はよりもっと為になると分かって来ました。イエス・キリストは続いて彼等と共に行って、力や勇気や喜びや知恵などを豊かに授けて下さったからです。

愛する皆さん、初代教会の信者は心から聖霊を通してイエスの御臨在を信じ頼りました。恐らく、現在のクリスチャンの私達は彼等から学ぶ事が沢山あると思います。私達は生きている主イエスと共に歩んでいますか。初代教会のようにイエスの霊から生きる力と希望を毎日毎日受けていますか。

実は、私は時々イエスの弟子達をうらやましく見ます。何故なら、彼等は人間のイエスを自分の目で見て、自分の手で障って、そして自分の耳で主のお話を聞きました。その時こそ、イエスは本当に私達と共にいらっしゃたと思いがちからです。イエスを目で見る事が出来ないと言うのは、主の臨在そのものが、なにか実在的ではないように思いがちです。しかし、このような考え方は危険です。何故なら、私達の中に聖霊の働きを抑えてしまうからです。

現代の科学的文明は私達に何を教えるのでしょうか。もし何かを五感、すなわち、触るや、見るや、聞くなどで知る事が出来ないなら、その事は実在もしないし、本当ではありません。その考えに従うと、イエス様の御臨在が経験し難くなります。初代教会の皆は主イエスの生きておられる御霊を信じましたから、イエスの力強い御臨在を経験出来ました。彼等にはイエスが常に共にいらっしゃる事は何よりも事実でした。

イエス・キリストの霊は変わっていません。私達もそのようにイエスの聖霊を私達の日常生活において経験出来ます。主イエスはもちろん今も御自分の約束を守ります。心を開くのであるなら、このように集まっている私達の中にいらっしゃる事が分かります。聖霊の実在を心から信じたら、私達と共に行って、力をつけて下さいます。そして、弟子達と同じように肉体になったイエスが去って行くのは、私達の為になる事が本当に分かって来ます。
 
【全能の父なる神の右に座したまえり】
使徒信条は更にこのように述べます。主は「全能の父なる神の右に座したまえり」です。この表現は私達の耳にはちょっと不思議かも知れません。そのイメージは大昔のイスラエルの宮廷から借りています。王はその国の第一の権力者ですけれども、王の右に座った方は第ニの力と栄光の持主です。王はその方を通して国を治めました。ですから、使徒信条によりますと、イエス様は天国に昇られると、父なる神の次に権力と誉れを持つようになりました。皆さん、これはまた私達の為になる事です。主は今も父なる神の御前に私達を弁護して下さいます。御自分の大きな愛は今も私達の為に働いています。主は天国で私達の味方になって、私達の救いを保証して下さいます。裁きの日が来るとイエス・キリストこそは私達の弁護士のようになって、父なる神にこのように言って下さいます。
「私自身は十字架でこの人の罪の為の罰を受けましたから、彼は全く無罪になっています。」そして、喜びを持って私達はキリストが準備して下さった素晴らしい永遠の命に入る事が出来ます。

真に、主は「天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」という事は私達の益の為であります。イエス・キリストは現在、聖霊を通して私達と共にいらっしゃって、力と希望、また勇気と喜びを豊かに授けてくださいます。そして、主は同時に天国で父なる神の御前で、私達の為に味方して下さいます。これは本当に良いお知らせです。私達には最高の良い知らせになります。
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