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西谷聖書集会
日本キリスト改革派伊丹教会伝道所
完璧な贈り物      ウイリアム・モーア宣教師               2004年12月19日クリスマス礼拝
◆イエスの誕生          ルカ福音書2章
1:そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2:これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
3:人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4:ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5:身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6:ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7:初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
◆羊飼いと天使
8:その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9:すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10:天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
11:今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
12:あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
13:すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14:「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
15:天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
16:そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
17:その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
18:聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
19:しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20:羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
   
【子供だった頃】
私は子供の頃、一年中クリスマスが来るのを一番楽しみにしていたのでした。何故かと言えば、クリスマスに沢山のプレゼントが貰えるからです。我が家ではお年玉の伝統がなかったので、おもにクリスマスにプレゼントを頂きました。そして、我が家では、その包装紙とリボンで包んだプレゼントをクリスマスの前に絶対に開けてはいけないと言うルールがありました。ですから、子供の私には、クリスマスが来るまで待つのはとても難しいことでした。今も覚えていますが、クリスマスが近くなると母に毎日こう聞きました。「ママ、クリスマスまで後何日残ってる?」そして、その日数が小さくなる程、幼い私の興奮がますます高まりました。

ある年の事ですが、私はクリスマスの25日まで待ち切れなく、真夜中も眠れなくなりました。その晩私は密かにリビングへ行ってクリスマス・ツリーの下に置いたプレゼントを調べました。してはいけない事だと知りながらでも、私の名前が付いてあるプレゼントを探して、その内容を調べました。あるプレゼントは触るだけで内容が分りました。柔らかい物は大低セーター、あるいは他の洋服類でした。実は、幼子であった私には洋服はあんまり歓迎されていないプレゼントでした。また、あるプレゼントは振る事で分りました。それはジグソーパズルかプラモデルでした。そのような物を振ると独特な音がしました。そして、ある物は触る事と振る事だけでは分らず、ちょと開けて見ないと、分りませんでした。ラッビング紙を破らないように品物を注意深く一つのコーナーだけを開けて内容を確かめました。そして、やっと一番欲しかった物が見付かりました。どんなに嬉しかった事でしょう。両親は僕が本当に欲しかった物を買ってくれたのです。私は興奮と喜びでそのプレゼントのラッビングを直して、クリスマス・ツリの下に戻して、ベッドにこっそり戻りました。ずっと前の事ですからプレゼントの内容は忘れましたけれども、その喜びの気持ちは今も生々しくよく覚えています。
確かに、その時点で、幼い私には、それは完璧な贈り物でした。そして、クリスマスの日に家族と囲んでやっとそのプレゼントを開けて手に入れた時、私は幸せで一杯でした。何故なら、両親が私の願いを叶えて一番欲しかった物をくれたからです。

【贈り物の評価―1、価値のあるものか?】
今はクリスマスと年末をかねて、あちこちで贈り物をしています。そして、私達は贈り物を頂くと、色々な方法でその物を評価します。一つの方法はその物の価値です。すなわち、価値の高いプレゼントは低い価値の物よりも優れたと言う事です。人というものは、プレゼントを貰う時、すぐその物の価値を見積もる傾向があります。そして、高い物を高く評価して、安い物を安い程、低く評価します。

【贈り物の評価―2、ニーズのあるものか?】

また他の評価の仕方は自分にとって、その贈り物が実用的かどうかです。つまり、便利で使い道があれば、良いプレゼントと判断します。その反面、もし自分に役に立たない物の場合、その物を重んじません。ですから、プレゼントの値段がいくら高くても、もし自分のニーズに答えなかったら、その物はあんまり良いプレゼントではないと思うのです。

【贈り物の評価―3、愛のあるものか?】
さらに、もう一つの贈り物の評価の仕方があります。それは与える人の気持ちです。もし贈り物に愛か敬意が込められると、頂く人はその物を高く評価します。しかし、気持ちのない、形式的なプレゼントだったら、相当な価値があっても見くびってしまいます。

【ある三歳の女の子】

クリスマス・イブに、ある三歳の女の子が一生懸命に段ボール・ボックスを金色の紙で飾ってクリスマス・ツリの下に置こうとしました。お父さんはそれを見て、紙がもったいないと思って彼女を叱りました。それにも関わらず、次の日、クリスマスに、娘はそのボックスをお父さんにプレゼントしました。そして、お父さんはボックスを開けると、全くからっぽでした。前日の事を覚えてお父さんはちょっと腹を立て、「からっぽの箱はプレゼントにならない」と小さい娘に言ってしまいました。涙が込み上げて来た彼女はお父さんを見てこのように言いました。「箱はからっぽじゃない。投げキスをボックスに一杯入れたよ。全部はパパの為のキスだった。」そのお父さんは娘の純粋な愛に、自分の行動を恥ずかしく思いました。そして、娘から貰った箱が一番良いプレゼントになって、その時から自分の部屋に箱を飾りました。どうしてそんなにからっぽのボックスを高く評価しましたか。与えた人の動機と気持ちが優れたからです。

【完璧な贈り物】
完璧な贈り物はなかなか探し難いですけれども、もしその物があれば、きっと以上の三つの特徴があると思います。最も貴重な物、また、受ける人のニーズにぴったり答える実用的な物、そして、更に、心から愛を込めて贈られた物でなければなりません。その三つがあればきっと完璧な贈り物になります。
2004年前に、天使は真夜中、羊の群れの番をしていた羊飼い達に、神からの贈り物をこのように発表しました。
恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたの為に救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであおう。これがあなたがたへの印である」と。

今日、私達はクリスマスを祝っています。神の独り子イエス・キリストが私達の世にいらっして下さいましたからです。神は私達の希望を遥かに超える贈り物を送って下さいました。

それでは、そのイエス・キリストの贈り物とはどんなものでしょうか。価値の高い高価なものですか。
主イエス・キリストはこの世で最も貴重な贈り物です。その初めのクリスマスに父なる神は御自分の独り子、御自分の一番大事な者を私達に賜りました。神として、イエスは天国のあらゆる特権と栄光がありましたのに、人間になる為にその全てを失って、ローマの三流の植民地で、貧しい田舎の家族に生まれました。主イエスは神の愛と哀れみと正義を説きましたけれども、遂に全人類の救いの為に、十字架で殺されました。神が自ら進んで御自分に一番尊い者を贈り物として私達に下さいました。

人間の親には自分の子供は最も貴重な者だと思います。ですから、人の為に我が子を犠牲するのは大変難しいことです。ある場合には仕方がなく子供を人に譲りますけれどもそれは大低子供の将来の為です。しかし、神はイエスの受ける犠牲を知りながらでも私達に御自分の独り子を自由に賜りました。使徒パウロはこのプレゼントの貴重さについて考えた時、このように書きました。
「言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。」(2コリント9:15)

【最も高価で、最もニーズのある、至高の愛を】
最近マスコミで赤十字社への何億円の寄付の事を聞き、驚きます。確かにそれは立派な事ですが、クリスマスに神が下さった贈り物、御自分の御子は言い尽くせない程もっと貴重です。
そして、神からの贈り物、イエス・キリストは私達の最も重要なニーズに答えて下さるのでしょうか。実は、絶対に必要なモノなので、誰でもそのプレゼントをすぐに用いる事が出来ます。つまり、神の贈り物は私達の一番難しい問題を解決します。それは私達の罪の問題です。人間は自己中心になって、神が教えて下さった正しい生き方の代わりに自分勝手な道を選んでしまったのです。その結果は造り主なる神との関係が難しくなりました。しかし、イエスは御自分の十字架の死を通して私達の罪を贖い、私達の神との関係を回復させた下さいました。「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私達の主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」と聖書に記された通りです。

全て他のプレゼントはやがて古くなり、使えなくなりますが、神の完璧な贈り物は永遠です。いつまでも、この世にも、死後にも、豊かな、豊かな恵みをもたらして下さいます。
最後に、神は御自分からのクリスマス・プレゼント、イエス・キリストを完全な愛を込めて賜りました。この世には沢山の人が善い事を行います。しかし、私達人間は善い事をしても動機はいつも複雑です。例えば、人助けをする場合、愛の動機もあれば、同時に人に見せつける動機もよくあります。しかし、神がイエス・キリストをこの世に遣わされた時、動機はただ純粋な愛でした。ヨハネによる福音書にはこの素晴らしい御言葉が記されています。「
神は、その独り子をお与えになった程に、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る為である。」(3:16)確かに神の唯一の動機は愛でした。御自分が大事に造った人間の苦境(くきょう)にある事を見て、私達を救う為にイエス・キリストを通してこの世にいらっしゃいました。そして、そのたった一つの理由は御自分の私達に対する完璧な愛です。「神は愛である」(ヨハネ一4:8)と聖書に記されています。その大きな愛から主イエスを私達に遣わして下さいました。

イエス・キリストは私達の為の完璧な贈り物です。比べられない程価値のある貴重な、私達の最も重要なニーズに答える、完全な神の愛を込めて下さったプレゼントなのです。しかし、プレゼントはいくら完璧であっても、その恩恵を受けるように私達の方から一つの事が必要です。それはプレゼントを私のモノとして頂くのです。今日の朗読の羊飼い達は天使から神の贈り物の発表を聞くと「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせて下さったその出来事を見ようではないか」と話し合いました。そして、神の貴重な贈り物を頂く為に彼等は早速その晩、ベツレヘムへ出掛けました。ベツレヘムに着くと、マリヤとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある赤ちゃんイエスを探して、天使が知らせた事を確かめました。そして、今日の朗読が書いたように、「羊飼い達は、見聞きした事が全て天使の話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」
誰でも神の完璧な贈り物イエス・キリストを受け入れると、その同じ恵みと喜びは自分の物になります。「言葉では言い尽くせない贈り物」イエス・キリストの為に私達も神をあがめ、賛美しましょう。







 罪と弱さの中にも神の恵みが!―名将ダビデの人口調査令―                     市川康則神戸改革派神学校教授                 2004年8月8日
◆ダビデの人口調査          歴代誌上21章
1:サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った。 2:ダビデはヨアブと民の将軍たちに命じた。「出かけて行って、ベエル・シェバからダンに及ぶイスラエル人の数を数え、その結果をわたしに報告せよ。その数を知りたい。」 3:ヨアブは言った。「主がその民を百倍にも増やしてくださいますように。主君、王よ、彼らは皆主君の僕ではありませんか。主君はなぜ、このようなことをお望みになるのですか。どうしてイスラエルを罪のあるものとなさるのですか。」 4:しかし、ヨアブに対する王の命令は厳しかったので、ヨアブは退き、イスラエルをくまなく巡ってエルサレムに帰還した。 5:ヨアブは調べた民の数をダビデに報告した。全イスラエルには剣を取りうる男子が百十万、ユダには剣を取りうる男子が四十七万であ った。
6:ヨアブにとって王の命令は忌まわしいものであったので、彼はその際レビ人とベニヤミンの調査はしなかった。 7:神はこのことを悪と見なされ、イスラエルを撃たれた。 8:ダビデは神に言った。「わたしはこのようなことを行って重い罪を犯しました。どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。」
9:主はダビデの先見者ガドに告げられた。 10:「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』 と。」
11:ガドはダビデのもとに来て告げた。「主はこう言われる。『いずれかを受け取るがよい。 12:三年間の飢饉か、三か月間敵に蹂躙され、仇の剣に攻められること か、三日間この国に主の剣、疫病が起こり、主の御使いによってイスラエル全土に破滅がもたらされることか。』わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください。」 13:ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」 14:主はそこでイスラエルに疫病をもたらされ、イスラエル人のうち七万人が倒れた。 15:神は御使いをエルサレムに遣わし、これを滅ぼしてしまおうとされたが、御使いが滅ぼそうとするのを主は御覧になり、この災いを思い返され、滅ぼそうとする御使いに言われた。「もう十分だ。その 手を下ろせ。」主の御使いはエブス人オルナンの麦打ち場に立っていた。
16:ダビデが目を凝らすと主の御使いが地と天の間に立ち、剣を抜いて手に持ち、エルサレムに向けているのが見えた。粗布に身を包んでいたダビデと長老たちは地に顔をつけて伏した。 17:ダビデは神に言った。「民を数えることを命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪を行ったのはこのわたしです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。わたしの神、主よ、どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。あなたの民を災難に遭わせないでください。」
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