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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

主は備えてくださる

ウイリアム・モーア

2007.3.4.

 

創世記22章1−19

 

【男はなぜ溺れ死んだか】

急な大洪水の故にある男の人は避難出来なくて、自分の家に閉じ込められてしまいました。洪水が家の一階に入ると二階へ逃げました。そして、二階にも水が上がって来たので、屋根に上りました。やがて、ヘリコプターが飛んで来て、彼を救う為に梯子を屋根まで下ろしました。ヘリコプターの人が、「梯子を引っ掴んで下さい。上まで引っ張るから」と叫びました。そして、男の人はこう断りました。「結構です。神が私を救うから、いいですよ。私の神は備えて下さる。」洪水の水がだんだん上がるとまた救助隊が今度は船でやって来て男の人を救おうとしました。「溺れてしまうから、船に乗って下さい」と言いましたのに、男の人はまたこのように答えました。 「結構です。神が私を救うから、いいですよ。私の神は備えて下さる。」水が屋根の天辺まで上がった時、 救命胴衣(どうい)を引っ張った犬が男の人の方へ泳いで来ました。しかし、彼はもう一度、「結構です。神が私を救うから、いいですよ。私の神は備えて下さる」と断りました。

 

丁度その瞬間、大きな波が襲って来て、男の人を屋根からさらわれ、彼は溺れ死んでしまいました。彼はイエス・キリストを信じたので天国に着きました。そして、彼は早速主に聞きました。「どうして私を洪水から救いませんでしたか。大きな信仰を持って神の助けを待ちました。神が備えて下さると信じたのに。」そうすると、主は彼を見てこのように返事をしました。「私はヘリコプターと船と犬までもあなたに送ってやりましたが、あなたはその全てを断ってしまったね。それは私が備えてやったのに。」

 

【神の種々の御働き】

聖書には唯一の全能の神の名前が色々あります。例えば、ヤーウェ•シャロム、すなわち平和の神。ヤーウェ•ロフェ、癒して下さる神。ヤーウェ•エロヒム、主なる神。ヤーウェ•ロヒ、羊飼いである神。この様々な神の名前を通して私達の神はどのような神なのかが分かって来ます。特に、この名前によって、神は私達の為に何をして下さる事が啓示されています。つまり、神は平和と癒しを与えて下さる神です。 また、神は羊飼いのように私達を養って下さいます。更に、神は私達の頭、支配する主なる神です。

 

【備えて下さる神】

聖書には神の名前が沢山ありますが、今日はその中の一つの名前を学びたいと思います。それはヤーウェ•イルエと言う、「備えて下さる神」です。今朝与えられた聖書の朗読にはその名前の起源が現れています。このアブラハムがイサクを捧げるお話は旧約聖書の中の良く知られた、有名な個所ですが、新たに一緒に学びたいと思います。この御言葉を通して神は最も大事な事を現したいと信じております。

 

【アブラハムの召命

さて、今日の朗読の背景を紹介させて頂きます。アブラハムと言う人物は神によって選ばれ、「あなたは生まれ故郷、父の家から離れて私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福しあなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る」(創世記12:1−3)とアブラハムを召命され、また約束して下さいました。

 

アブラハムは直ちに神の言う事に従い、遠い国へ渡りました。外国で色んな危機があったのですが、アブラハムは神によって守られ盛んになりました。しかし、一つの問題があったのです。それは、彼と妻のサライには子供がいませんでした。しかも、その二人は高齢者でした。もちろん、子孫がいないと、神の約束、つまり、大いなる民になる事と、地上の氏族は全てアブラハムによって祝福に入る事も叶えられません。けれども神の約束通りに高齢のアブラハムとサライには男の子が奇跡的に生まれ、その子にイサクと言う名を付けました。子孫をやっと儲けたアブラハムとサライは大喜びで、その子を大事に育てました。

 

【神のご命令】

しかし、ある日、思いがけない事が起こりました。その事件は今日与えられた個所に載ってあります。神がアブラハムの信仰を試す為にこのように言われました。「あなたの息子、あなたの愛する一人子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい」と言われました。アブラハムはその命令を受けるとどう言う気持ちだったでしょう。私達は容易に想像出来ると思います。間違いなく、イサクは自分には一番尊いものでした。全ての希望はイサクに掛っていましたので、そのご命令を聞くと大変恐れたでしょう。しかし、神を徹底的に信じたアブラハムは主が言われた通りにしました。今日の朗読の3節を見ますと、この御言葉が記されています。

 

「次の朝早く、アブラハムがろばに鞍を置き、捧げ物に用いる薪(たきぎ)を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った」

と書いてあります。旅の三日目に、生け贄を捧げる山に近づきました。アブラハムは家来達を待つようにと言って、薪を息子イサクに背負わせ、刃物と火を持って、その二人は山に向かいました。そして、歩きながらイサクは父にこのように聞きました。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす捧げ物にする子羊はどこにいるのですか。」私達はアブラハムの立場になって考えると、その事を息子から聞く彼の深い苦しみが分かると思います。しかし、その気持ちにも関わらず、彼はこのように答えました。「私の子よ、焼き尽くす捧げ物の子羊はきっと神が備えて下さる」と言いました。アブラハムはその時点、イサクが子羊になるか、神が他の生け贄を備えて下さるかは知りませんでした。けれども、その事が分からなくても彼は主に信じ頼り、「神が備えて下さる」とイサクに答えたのです。

 

命じられた所に着くと、アブラハムは祭壇を作ってから愛する息子イサクを縛って、祭壇の薪の上に載せました。そうして、聖書に記されたように、「手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」そのきわどいところで、天使の声が天から聞こえました。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を恐れる者である事が、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、私に捧げる事を惜しまなかった。」その声を聞くアブラハムは何と言う気持ちだったのでしょう。その大変な心配が完全に除き去られて、言い尽くせない喜びが彼を波のように溢れました。結局、死んでしまったような独り息子が生きて、共に家へ帰る事が出来ます。神の約束は真実であり、アブラハムの子孫は多くなり、全世界の人々はその子孫を通して祝福を受ける事が出来ます。

 

そして、今度は喜び溢れる気持ちで一杯のアブラハムは珍しい光景を見ました。近くに、ある一匹の雄羊が木の茂みに自分の角を取られていて逃げられませんでした。アブラハムは雄羊を取って、息子の代わりに祭壇の上に捧げました。そうして彼は、その場所をヤーウェ•イルエと名付けました。すなわち、「主は備えて下さる」と言う意味なのです。

 

そして、アブラハムは神の天使の声を再び聞きました。

「私は自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民は全て、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたが私の声に聞き従ったからである」と宣言しました。

 

【ヤーウェ•イルエ(備えてくださる神)】

アブラハムの信仰が神によって試されました。そして、その経験を通して神はアブラハムにはヤーウェ•イルエとなりました。すなわち、主は彼には備えて下さる神となりました。前と比べるとアブラハムは神の摂理に頼り、全ての事において主を信頼しました。どんな事があってもアブラハムは、ヤーウェ•イルエが自分と自分の家を守ると心から信じました。

 

私達も主を備えて下さる神として経験しています。神は様々な面で私達の毎日の生活を支えて下さいます。日用の糧を豊かに備えて下さるし、生きるために他の物質も賜ります。また、働く為に健康と力も十分備えて下さいます。さらに、家族の者や、信仰における兄弟姉妹や、友人などを通して私達を支え、豊かに祝福して下さいます。私達は一人も残らず主

を備えて下さる神として経験しているはずです。

詩編23編に記された通りに、「主は羊飼い、私には何も欠

ける事がない。」

 

【受難節を覚えて】

神は霊的にも私達を豊かに支えて下さいます。私達はもう一度レント、すなわち受難節に入りました。そのイースターまでの40日間には、キリスト教会は主イエス・キリストから頂いた神の霊的な恵みを新たに覚え、感謝します。特に、受難節に主イエスの十字架を通して得た祝福に集中する時期であります。

 

【イエス・キリストの犠牲】

実は、今日与えられた御言葉はイエス・キリストの十字架の贖い死を予表します。アブラハムは神の言う事に従って、生け贄として独り子イサクを惜しまず捧げようとしましたが、神がイサクの代わりに他の捧げ物を備えて下さいました。しかし、神の独り子が十字架に向かった時、身代わりになる者がいませんでした。また、神はきわどい時にその残酷な十字架の死を止めませんでした。神はアブラハムに許されなかった事を御自分にしてしまいました。つまり、神はアブラハムの独り子イサクの死を許しませんでしたが、御自分の独り子イエスには死ぬままにさせておきました。何故なら、全く罪のないイエスのみが私達の罪を贖う力があるからです。罪人は自分自身の罪の報酬しか払えませんが、完全に清い主イエスはこの世の全ての罪を負う資格があります。イエス・キリストは私達の罪を贖う為に、私達の代わりに死に、私達が受けるべき罰を御自分の身に受けてくださいました。ですから、私達に主は備えて下さる神であります。私達の一番重要なニーズ、罪の赦しと永遠の命を御子イエスを通して備えて下さいました。御自分の御子を心から受け入れ信じる者にはその比べる事が出来ない程の恵みを備えて下さいました。アブラハムへの神の約束がイエス・キリストによって実現されました。アブラハムの子孫イエス・キリストを通して、地上の諸国民は全て大きな祝福を頂きました。

 

愛する皆さん、神の愛はどんなに大きいでしょう。ヨハネによる福音書に記された通りであります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3:16)

 

【御子イエスただ一つの救い】

御自分の愛の故に神はその救いを全人類に提供します。しかし、私達はその救いを積極的に受け取る必要があります。先程の洪水のストーリに戻りますが、神はその男の人を救う為に助けを送りました。しかし、彼は他の救いを待っていて、神が備えて下さった救いを拒否したのです。その故に溺れ死んでしまいました。全人類の永遠の救いの為に神は一つの救いのみを備えて下さいます。それは御自分の独り子イエス・キリストの十字架の贖いです。他の救いを待たなくてもいいのです。

 

【主イエスを見上げよう】

今年の受難節に際して、もう一度私達の為の救い主イエス・キリストの贖い死の恵みについて一緒に思案したいと思います。どうか私達一人一人は、目が開き、備えて下さる神の豊かな、豊かな祝福をはっきりと見る事が出来るように祈っております。そしますと、御自分の弟子達に言ったように主イエスは私達にも、「あなたがたの目は見ているから幸いだ」とおっしゃって下さいます。(おわり)

 

 

 

 


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