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【阪神淡路大震災】 去る17日はに阪神淡路大震災の9周年記念がありました。9年後の今になっても、まだまだその後遺症で霊的と肉的において沢山の人々は苦しんでいると聞きました。特に、力強い神様の慰めと癒しがその方々一人一人の上にあります事をお祈りします。震災の日、朝早く、わずか20秒の間ですが、ほんのちょっとの間、どうしょうも出来ない事が起きました。その事で多くの人々の人生は完全にひっくり返てしまいました。その結果、5、500人が亡くなり、また35、000人の怪我人がありました。壊れた建物は18万軒、住む家を無くした者は30万人程でした。そして、地震が直接に起こした経済的被害は13兆円以上と思われています。
地が揺り動くと、多くの者は仕事の上で、家庭の上で、個人それぞれのプランや思いをこえ、人々の人生はすっかり変わりました。震災を経験した者一人一人は誰よりもその事をよく知っておられると思います。愛する者を亡くしたり、そして財産と職場が失われたり沢山の人々は現在も毎日、震災の影響の下で生きています。
【この世の変化】 恐らく地震はこの世の変化と変動の一番劇的な例であると思います。瞬間的に全てを大きく変えるからです。しかし、考えて見れば、この世の全ての事は常に変わります。特に人間の社会はますます変わって来ます。もし100年前の日本人が現在の日本を訪ねると、驚いてしまう事でしょう。変化があんまり大き過ぎて、きっとここは日本ではないのかと思ってしまいます。今の日本の社会には良い変化と良くない変化両方が沢山ありますから、恐らくここが日本だと信じ難いですね。
技術的な変化も結構沢山ありました。人間には不可能な多くの事が随分可能になりました。例えば、交通が良くなって飛行機で20時間以内にほどんど何処の国へでも行けます。また、電話とインタネットを通して即座の連絡が普通になって、色々な情報をすぐ入手出来ます。そして、医学の技術を通して、心臓移植のような以前には想像も出来なかった事が今は普通になりました。
約100年前のアメリカの特許局長は非常に面白い宣言をしました。その時は自動車と飛行機のような新しい物が沢山発明され刺激的な時代でした。その特許局長は素晴らしい新発明を見てこのように言いました。「私の仕事はもう必要ではないでしょう。全ての物は今もう既に発明されているので、これから新しい物が出て来ないだろう。」彼のお話は今私達が聞くと笑いますね。発明がなくなるどころか、時間が経つと共にますます沢山出て来ます。 実は、人間の社会と技術だけではなくて天地万物の全ての物は絶え間なく変化して行きます。ある山は崩れ少しずつ海の中に浸食するが、また他の山は火山活動によってもっと高くなります。言うまでもないが、私達の体さえも毎日変わって来ます。子供の成長を見る事は楽しい事ですが、少し年をとると自分の老化を経験するのはそれ程喜ばしい事ではありませんね。
全ての事が早いスピードでますます変わって行く今のこの世の中です。この中に生きている私達は絶対に頼れる事が出来、確かな変りのないものを必要としております。固定されているものに憧れ探し求めています。しかし、そうゆうものがあるのでしょうか。聖書の御言葉を通して見つけてみたいと思います。
【永遠に変わることのない神】 実は、聖書によると三つの事は絶対に変わる事がなくて、頼れます。そして、その三つの事はやはり唯一の全能の真の神に集中します。聖書に啓示されている神は始めもなければ終わりもありません永久の神です。そして、旧約聖書のマラキ書に神が御自身についてこのように言われます。「まことに、主である私は変わる事がない。」(3:6) その上、聖書は神の御子イエス・キリストについてこの御言葉があります。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わる事のない方です。」(ヘブライ人への手紙13:8)
神はどうして変わる事のないお方ですか。頑固なお爺さんのように変わりたくない、あるいは変える事が出来ないからですか。そう言う訳ではありません。神は全く完璧なお方ですから、変える理由と必要性がありません。全ての面でもう既に完璧で、現在よりもっと強く、もっと賢明、もっと正義になる事がありません。実は、もし神が変われば、その変りは必ずしも御自分の完璧さに障るから、完璧ではないお方になってしまいます。 私達の造り主、天の父なる神は全く変りのないお方ですから信じる事も、頼る事も出来ます。人間はよく気持ちを変えて計画も変わりますが、聖書における神は永遠から永遠まで不変なお方です。
【私達に対する神の愛は絶対に変わる事がない】 ですから、第一に覚えて頂きたい事は、私達に対する神の愛は絶対に変わる事がありません。エレミヤ書にこの神の御言葉が記されています。「私は、永久の愛をもってあなたを愛し、変わる事なく慈しみを注ぐ。」(31:3b) 聖書の他のところに「神は愛です」とも書いてあります。(ヨハネの手紙一4:16) あなたを愛する為に神があなたをお造りになって、毎日支えて下さいます。そして、更に、私達の永遠の救いの為に、神は御自分の御子イエス・キリストを私達に遣わして、死に至るまでも犠牲となったのです。人間の愛と違って、この神の愛は不変で永久のものです。ですから、どんな場合でも主は続けて私を愛して下さいます。罪を犯す時さえも神は私を愛します。もちろん、その罪を憎みますが、罪人である私を続けて愛します。また、神の愛は私がその愛を感じる時も感じない時も変わりがありません。何故なら、主の愛は私の行いと気持ちに基づいておりません。御自分の本質に基づいているのです。ですからどんな時でも、どんな場合でも神の愛を信じる事が出来ます。
使徒パウロはその事実をこのように良く表現しました。「私は確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私達の主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私達を引き離す事は出来ないのです。」(ローマ8:38)皆さん、全て他の事が変わっても、あなたに対して神の愛情が絶対に変わらないので、いつでもその愛を信じ、頼る事が出来ます。
【神の御言葉(みことば)は永遠に変わらない】 聖書によりますと、もう一つの変わらない事があります。それは神の御言葉です。「草は枯れ、花はしぼむが、私達の神の言葉は永久に立つ」とイザヤ書に記されています。(40:8)同じように主イエスはこのように言われました。「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35) 御言葉、すなわち聖書を通して神は私達に最も大事な事を教えて下さいます。御自分はどんな神なのか、どういうふうに主の救いを受けるか、そして私達はどのように生きるべきかは全部聖書に記されています。歳月がいくらたっても、その御言葉は変わらないで、いつも私達の為の神の生きている啓示です。
太平洋戦争の時、米軍兵士がある小さな島に着陸しました。一人の原住民に助けられ、その家に招かれました。彼はずっと前に宣教師から頂いた宝のように大事にしていた聖書を取り出し兵士に嬉しく見せました。すると、彼の大事な聖書を見た兵士はこのように言いました。「私は成長して、この本はもういらなくなりました。」原住民は笑ってこのように返事をしました。「この本の教えがなければ、今夜あなたは私達の晩御飯になってしまうところです。私達に聖書がいらなくなったら、あなたは大変です。」
御言葉の真理は変わる事がありません。全て他の本の内容は古くなり、やがて忘れられますが、聖書の真理は永久です。私達の愛する造り主からの最も大事なお手紙のようです。真の生き方と唯一の救いの道を教えて下さいます。主イエスはこのように言われました。「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 聖書に記されている神の御言葉は変わらない、不変なものですから、その教えを信じ絶対に頼る事が出来ます。
【神の国は揺り動かされる事のない永遠のもの】 最後に、もう一つの変らない事があります。その事は今日の聖書の朗読に載ってあります。それは神の国です。「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」(ヘブライ人への手紙12:28) 神の国は揺り動かされる事のないものです。何故なら、その国の王は永久の神その方です。この世の全ての国は倒れ、なくなりますが、神の国、すなわち、神の目的と支配はいつまでも続きます。そして、私達一人一人は今、イエス・キリストを信じ、その国の民になる事が出来、その国に仕える事も出来ます。信じない人には神の国は今隠れていますが、いつか皆がその国を見える日が来ます。その時、この世の国々は皆消え去り、全ての被造物は愛する神の支配の元に生きるようになります。神の国は揺り動かされる事のない永遠のものですから、その国を心から信じ、頼る事が出来ます。
神の愛、神の御言葉、神の国。その三つのものはいつまでも変わらないで、いつまでも残ります。ですから私達はその神の愛を受け入れ、その御言葉を心から信じ従い、そして、その国に仕えるべきです。そうすると、喜びと希望を持って、恐れずに、ますます変動するこの世の中にあって、全てのものに直面する事が出来ます。(おわり)
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メッセージ【私は何の為に生きていますか】 ウイリアム・モーア 2004年1月18日
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◆「タラントン」のたとえ マタイ25:14〜30 14:「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。 15:それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
16:五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。 17:同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。 18:しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
19:さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。 20:まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 21:主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 22:次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』 23:主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
24:ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
25:恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
26:主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。 27:それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。 28:さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
29:だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 30:この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
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メッセージ【私は何の為に生きていますか】 ウイリアム・モーア 2004年1月18日 |
【空を打つゴルフ】 ずっと前の出来事で、あまりゴルフが今のように盛んでない時ですが、あるスコットランド人は自分の国の新しく出来たスポーツ、ゴルフをアメリカのグラント大統領に紹介する事になりました。彼はホワイトハウスに招かれ、そのお庭でゴルフを大統領に教える事になりました。これ程偉い人に会わせられたのは始めてで、急に大変神経質になってしまいました。しかし、せっかくホワイトハウスに招かれましたから、ここで止める訳にはいきませんでした。手が震えてきたんですがゴルフボールを慎重にテイーに乗せて、一生懸命にスウィングをしました。しかし、残念ながらクラブはボールから外れ、代わりに芝生を強く打って大統領に土を浴びせてしまいました。大変恥ずかしくなった彼はもう一度スウィングをしましたけれども今回もミスをしました。そして、必死に何回もボールを打とうとしましたが、ボールには一つも当たらず、全部失敗になりました。
グラント大統領はじっとその光景を見てこのように批評しました。「この新しいスポーツは結構良い運動になりそうですが、何でその小さいボールをそこに置くのか。ボールの目的はちょっと分からないなあ」と言いました。
このストーリは一度聞くと笑い話に聞こえますが、人生について大事な真理を示していると思います。実は多くの人々は一所懸命に、まじめに生きようとしています。よく「頑張って下さい」とか「頑張ってね」と私達はお互いに言います。それは一所懸命にすると言う事でもありますね。しかし、一所懸命にしたら何でも良いのでしょうか。実は、多くの人々は人生の本当の目的を悟らずに生涯を送ってしまいます。
私達人間誰でも「私は何の為に生きているか」、「私の人生の目的は何か」のような質問を自分に問いかけるのは当然です。人間は動物と違って自分の存在について考える事が出来ます。人生の目的をも調べる事が出来ます。全能の唯一の神が私達人間をそのように特別にお造りになりましたからです。
【私は何の為に生きていますか】 今朝、御言葉を通して人生の目的を一緒に学びたいと思います。「私は何の為に生きていますか」と言う大事な質問に、神の御言葉に聞いて、その答えを発見したいです。しかし、この課題はいったいどうして大事でしょうか。このままあんまり考えないで、生きていてもかまわないのではないかと思われる事でしょう。しかし、知っていようが、いまいが、私達皆はこの課題について仮定を立て、生活を送る訳です。そして、毎日の生活の中の私達の選択、私達の価値観と生き方は、おもに人生の目的についての私の仮定で決められています。ですから、あんまり考えないで、ただうっかり自分の人生の目的を立てるのは望ましくはありません。この世での一つしかない一生を大事にする人には「私は何の為に生きている」という事について考えるはずです。
ある人は人生の目的について調べて、別に目的がないと結論を出します。偶然に生まれ育てられ、学校へ行って、就職して、そして死ぬ。それっきりです。自分の生涯には目的と意味が全くないという事です。短い生涯が死で終わると、存在がすっかり消えてしまいます。それだけです。つまり、人間の生涯は蝿の命と同じように無意味で価値のないものだと言うのです。シェイクスピアがマクベスでこの立場を良く表現しました。「人生はただ歩く陰、下手な俳優のように一時舞台で誇らしげに歩いてから、すぐ忘れられ、やかましいばかが語る作り話のように全く無意味だ。」
その反面、またある人は人生の意味を認めるけれども、その意味は始めから終わりまでその個人個人によって決められるのです。それは私達一人一人は自分の為にその意味を探し、自分の生涯にその意味を与える訳です。例えば、権力と名声を得る事や、富や、楽しい事をする事や、隣人に仕える事や、美術や、自分の子供を成功させる事などは自分にとって一番大事な目標になって人生に意味を与えます。実は、人生の意味と目的を見出す為に人々は色々な事に一身を捧げた事があります。
【創造主を忘れて人生の目的はない】 その多くのものは良い事ですが、基本的に人生の意味の問題には答えていません。いくら良い目標であっても、私達はただ良い生活を得る為や、子供を養育する為などでこの世に生まれたのではありません。何故なら、その全てのものの出発は人間からです。私達それぞれ自分が勝手に決めたものです。こう言う人々は「人間が全て」だと思います。天地万物の創造主、私達をお造りになり生きる目的まで下さった愛する神を忘れているので、「私は何の為にいきていますか」と言う質問に答えていません。ですから、この事を考えると、人間からではなくて、全能の唯一の神から出発すべきです。つまり、御言葉に記されている神の声を聞いてみましょう。 詩編にこのお話が書いてあります。「主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。」(33:11)また箴言に次の御言葉が記されています。「主は、御旨にそって全ての事をされる。」(16:4a)
私達人間はもちろん宇宙もこの世さえも創造しませんでした。また、言うまでもないが、私達自身は自分を計画して造りませんでした。神御自身は、私達を含めて全てを計画し、お造りになりました。ですから神のみが御自分の被造物の目的を決める権利がある訳です。「天にある物も地にある物も、見える物も見えない物も、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子の為に造られました」とコロサイの信徒への手紙に書いたとおりです。(1:16)
神は私達を大事に計画し、わざわざお造りになりましたから、人間の最大の目標は私達の為に立てて下さった神の目的を知り、その目的を果たす事ではないかと思います。そうです。そうすると本当の平安と満ち足りた人生を送る事が出来ます。他には道がありません。
【わたしたちは神の選び定められた者】 「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」とエフェソの信徒への手紙1:4、11に書いてあります。
また、詩編にこの御言葉があります。「秘められた所で私は造られ、深い地の底で織りなされた。あなたには、私の骨も隠されてはいない。胎児であった私をあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書に全て記されている。また、その一日も造られないうちから。」(139:15、16) 他の言葉で言えば、あなたの存在はただの偶然ではありません。どんな状況であってもあなたの生まれは間違いのないものです。神は永遠からあなたの生まれを楽しみに待って、私達一人一人の為に大事な計画を立てて下さいました。そして、愛する神はその計画を進めるつもりです。
私達一人一人は神によって造られ、主は私達の為に御計画を立てて下さいました。ですから、私達の使命はその御計画を知り、そのうちに生きるのです。 しかし、それが真実であったとしても、どうして神様の計画に従わなければなりませんかと言いながらも結局、多くの人々はその事さえもあんまり考えなくても、この世の歩みを最後まで何とか過ごす事が出来ます。
【この世の歩みが全てか?】 しかし、この世の歩みが全ての最後ではありません。この世での生涯は70年、80年、長くても100年まで続きますけれども、その後は永遠に向かいます。今の命は一時的ですが、これからの死後の存在は永久のものです。
そして、この世での信仰と生き方はこれからの死後の永遠の状態とは大きな関係があります。この世で愛する神を信じ、御自分の目的を果たし、主との交わりを持つのであるなら、イエスキリストの恵みによって、喜びを持ち永遠に神の御前に生きられるのです。今の「あっと言う間」の生涯の生き方はこれからの永遠の命に決定的な影響があるから、造り主である神を知り、あなたの為の御自分の目的を考えた方が賢明です。
実は、この世での生涯は私達のものではなくて、神によって託せられたものです。ですから、ただ好きな通りに、自己中心的に生きてはいけません。主イエスはその大事な真理を教えるように「タラントン」のたとえを語って下さいました。 ところで、1タラントンは大きなお金でした。労働者の20年間の収入になりました。 もう一度聞いて下さい。(マタイによる福音書25:14〜30前褐)
やはり、私達に与えられている全てのものは神様から頂いたものです。 愛する皆さん、私達は何の為に生きていますか。実は、神の者として主の為に生きています。私達はこの世に主の御旨を行う為に造られた者です。つまり、私達の人生を通して回りの人々に主の愛と救いを表す事です。それは私達の生き甲斐と最高の喜びです。
【ハーバーランドに行ったのは?】 この前の週末の事ですが、神戸のハ−バランドに出かけました。すごい人込みで車を駐車するのは大変でした。 ある人のお話ですが、週末にショピングモールに出かけましたが、やはり車を駐車出来なくて何回もくるくる回って、一時間程していました。そして、やっと一つの所が見つかりました。その所は最もすばらしい所で、すぐエレベータの前の所で、出口も目の前の所でした。彼はとても喜んで車を止めてショピングモールに入り、買い物をしました。そして、帰ろうとしましたが、一時間もかけて見つけた素晴らしい駐車スポットがあまりにももったいないと思い始めたあまり、自分の車をその場所に駐車したままにして、タクシーで家に帰ったそうです。彼は買い物の為にショッピングモールに行きましたか。それとも、彼は駐車する為に行ったのでしょうか。 どうか私達は人生の本当の目的から外れないように主イエスキリストに従いましょう。
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