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霊の結ぶ実:愛

ウイリアム・モーア

2007.5.6.

 

聖書:ガラテヤの信徒への手紙5章16−25

【霊の実と肉の業】

 16:わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 17:肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

 18:しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。

 19:肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、20:偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、21:ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。

 22:これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23:柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。

 24:キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。25:わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。26:うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。

 

【キリスト者とは?

皆さん、「キリスト者であると言うのは、どんな事ですか」と聞かれると、どう答えられますか。その事について考えた事がありますか。多分色んな正しい答え方があるのですが、やはり一番大事なのは、キリスト者はイエス・キリストを唯一の救い主として信じ、頼ります。そして、更にキリスト者は毎日の生活にイエス・キリストに従って生きようとする者なのです。つまり、私達は主イエスを模範として生きたい。又、主イエスに似て行く熱望を持っています。

 

【「霊の導きに従って歩む」とは】

聖書の証を通して神はどのようにしてイエス・キリストのように生きるかを教えて下さいます。そして、ガラテヤの信徒への手紙5章にそのキリスト者に相応しい生き方の説明が載ってあります。それは、「霊の導きに従って歩む」事です。キリスト者になると、神の霊が私達に宿って下さいます。そして、霊の導きに従って歩むと、すなわち私達の内に霊の働きを許すと、キリスト者は「霊の結ぶ実」を現します。そのものは今日の御言葉の22節に記されています。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」と書いてあります。そして、毎日の生活にその実を現すと、私達はイエス・キリストに似て行って、キリスト者として相応しく生きています。

 

これから、数週間に渡ってこの個所にある霊の結ぶ実を一緒に学びたいと思います。そして、この学びを通して私達の内にいる聖霊の全ての働きを許して、その霊の実をよりもっと豊かに現す事が出来るように祈っております。

 

【霊の結ぶ実:愛】

今日は「愛」と言う霊の結ぶ実を学びましょう。愛がリストの最初になったのはただ偶然ではありません。愛は全て他の実を含んで、他の実を通して具体的に愛を現しますので、愛は第一の、最も重要な霊の結ぶ実となります。

 

信者の生活において愛の重要性は驚く事ではないのです。ヨハネの手紙一にこの大事な御言葉が記されています。「神は愛である。」(4:8)神の本質は愛であり、その愛の対象は私達罪人です。神の変わらぬ愛は、受けるに値しない、私達一人一人を探し出し、罪深い私達の事を諦めません。そして、その愛の最高の行為はイエス・キリストの十字架の贖い死です。

 

キリスト者の歩みには愛は優先的なものです。つまり、私達に、愛は随意的ではありません。実は、「愛する事のない者は神を知りません」(ヨハネの手紙一4:8)と聖書に記されています。何回も聖書の証は私達を愛に満ちた歩みに呼び掛けています。例えばこの御言葉があります。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、...あなたがたも愛によって歩みなさい。」(エフェソの信徒への手紙5:12「愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」コロサイの信徒への手紙3:14)。「何事も愛をもって行いなさい。」(コリントの信徒への手紙一16:14)又、「愛によって互いに仕えなさい」(ガラテヤの信徒への手紙5:13)と聖書に書いてあります。

 

【愛の種類】

私達は愛する使命がありますが、その愛はどういうものでしょうか。実は、新約聖書には私達が使う「愛」という単語の代わりに、三つの別個の単語があります。つまり、愛の種類によって別の単語を用います。その三つのギリシア語の単語はエロスとフィリアとアガペです。エロスは男女の愛です。フィリアは友人と兄弟の間のお互い愛です。そして、アガペは献身的な無私の愛です。アガペはお返しを求めず、無条件に相手の為に善い行いをします。今日の御言葉に於ける愛とは霊の結ぶ実アガペです。私達はキリスト者としてそのような愛を現します。

 

【アガペの愛】

コリントの信徒への手紙一に使徒パウロはアガペを説明して下さいます。コリントの信徒への手紙一13:4から見て下さい。「愛は忍耐強い。愛は情(なさ)け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える」と記されています。

 

アガペは私達の為の神の愛に手本があります。つまり、その愛は功なくして得たものです。私達の中には主イエス・キリストがもたらして下さった永遠の救いを受ける価値がありますか。アガペを実行する者は自分の利害を離れて愛の業を行います。主イエスは何も持ってない私達の為にこの世にいらっしゃると、天国の全ての特権を失ってしまいました。また、アガペは何よりも相手の幸せと福祉を考えます。私達の救いの為に父なる神は御自分の独り子イエス・キリストを死までも犠牲したのです。

 

ですから、アガベはリスクが伴います。その反応は分からないからです。更に、アガペにはコストがあります。ある時は、アガペを実行するように犠牲を払わなければなりません。それはただ言葉だけではありません。私達キリスト者にはそのような愛が使命となります。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である」(ヨハネによる福音書15:12)と主イエスは言われました。         

 

アガペを教えるために主イエスは「善いサマリア人」と言う譬話を語って下さいました。多分私達は何回もこのお話を聞いた事がありますけれども、愛と言う霊の結ぶ実について、大事な事を教えて下さいます。

 

【良きサマリア人】

ルカによる福音書10:25から記されていますが、このままで聞いて下さい。

 

「ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。『先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐ事が出来るでしょうか。』イエスが、『律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか』と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。『正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。』しかし、彼は自分を聖当化しようとして、『では、私の隣人とは誰ですか』と言った。イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油と葡萄酒を注ぎ、包帯をして、身分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱して下さい。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」さた、あなたはこの三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた.『行って、あなたも同じようにしなさい。』」

 

言うまでもないが、サマリア人はアガペを実行しました。その愛こそはお返しの如何に関わらない犠牲的愛でした。そして、その愛は私達に対する神の愛を反映します。

 

愛する兄弟姉妹、どのようにしてアガペを実行出来るようになりますか。確かに、利害を離れてこの高価な愛は易しい事ではありません。しかし、神は私達にアガペを望んでおられます。そして、神は決して不可能な事を私達に期待しません。愛と言う実をもっと豊かに結ぶように、幾つかの事をした方が良いと思います。

 

【愛(アガペ)の実を結ぶために】

第一に主イエスから愛を学ぶ必要があります。御言葉の福音書を新たに読んで、イエス・キリストがあなたの為に持っておられる愛を見て下さい。また、当時の人々の為にイエスが行ったアガペの行為を学んで下さい。そして、その同じ心を持つように神に祈りましょう。

 

次に、キリスト者同士との交わりを大事にして下さい。教会は愛の教室になります。兄弟姉妹の愛を受ける事によって、アガペを学び、自分もその同じような愛を実行出来るようになります。

 

又、神が自分の日々の生活に愛する機会を示すように祈って下さい。そして、神はその機会を教えると、遠慮しないで、主の助けによってアガペを実際に行って見て下さい。

 

霊的な筋肉は肉体的筋肉と同じように、使わないと弱くなります。そして、小さいアガペの行為を毎日の生活で実行出来ると、だんだんもっと大きな愛を現す事が出来ます。

神はもう既に御自分の愛を私達一人一人に授けて下さいました。そして、聖霊の力によってその愛を回りの者に分かち合う能力と意志も与えて下さいます。どうか、神に大きく用いられ、御自分の愛を隣人に豊かに分かち合う事が出来るように、聖霊の実を生かしましょう。

 

【さびれた修道院のこと】

ある修道院は長い輝かしい歴史があったのにもかかわらず、困難の時に陥(おちい)ってしまいました。修道院長と修道士四人しか残っていて、皆は熟年でした。修道院の将来はあんまり良くないと思って、その五人は悩んで、悩んでいました。しかし、いくら悩んで考えても解決策がなかなか出なかったのです。新しい修道士が入らないと修道院はもう閉鎖するほかないと、修道院長はアドバイスを求めに出掛けました。隣の町のラビ、すなわちユダヤ教の律法学者が非常に思慮深い者との評判があって、もしかして彼の知恵を借りたら、修道院の救いの方法があるかも知れないと修道院長が思いました。ラビの家に着いた時、院長が修道院の問題をラビに説明しましたが、ラビは彼にただ同情しか出来ませんでした。「最近私のユダヤ教会堂にも信者があんまり来ないから、私達も困っています」と言いました。そして、その二人は共に涙を流して自分達の問題について話し合いました。

 

【ラビのアドバイス】

帰ろうとした時、修道院長はもう一度ラビに尋ねました。「小さくても、アドバイスを持って帰りたいので、ぜひ修道院の将来の為に知恵を貸し下さい」と願いました。しかし、ラビはこの返事をしました。「申し訳ございませんが、アドバイスがありません。けれども、一つの事だけ、言える事は、解決策として、あなたたち五人の修道士の中の一人にあると思います。」

 

院長が修道院へ帰ると、皆は彼に聞きました。「ラビは何と言いましたか。解決方法を教えてくれましたか。」「残念ながら、ラビのアドバイスは何もありませんでした。私達はただお互いに同情して、話し合いました。しかし、帰る前にラビは不思議な事を言い出しました。意味がさっぱり分からないが、彼は、『解決方法はあなたたち五人の修道士の中の一人にあると思う』と教えてくれました」と院長が伝えました。

 

【互いの愛と尊敬がもたらしたもの】

その時からその五人はラビの言った事についてよく考えました。「解決策は私達の中の一人にある?どう言う意味でしょう。もし、私達の一人だったら、いったい誰ですか」と一緒に思案しました。そして、一緒に心を一つにして話し合う程、彼等互いの愛と尊敬は不思議により豊かになりました。と言うのは、もし自分達の中の一人が修道院の救いの道を開く者になるのなら、その人を尊敬し愛すべきだと皆が思いました。その一人が誰かとも分からなかったので、その5人皆はお互いに相手を大事にしました。

 

修道院のお庭がまだ奇麗かったので、町の住民はよくピクニックをしに来ました。そして、ピクニックを楽しみながら修道士の驚くべき変化に気づきました。それは彼等の互いの溢れる程の愛と尊敬でした。住民は思わずにその愛に引き付けられ、修道院を訪ねる人が多くなりました。町の人は友人も連れてその素晴らしい雰囲気にとけ込み、親しむようになりました。訪ねて来る青年達はだんだん修道士と話し合うようになり、彼等の素晴らしい愛と尊敬心は美しいものでした。そして、やっと一人が修道士になりたいと言いました。又、もう一人、そしてもう一人とその同じ決心を伝えたのです。そして、数年のうちに修道院がいっぱいになり、修道院は「愛の所」と呼ばれるようになりました。

 

霊の結ぶ実、愛にはその力があります。どうか、私達も、家庭で、職場で、また西谷集会で、神の愛の戒めが実行出来るように。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を時分のように愛しなさい。」(おわり)

      

          

          

 

 


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