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霊の結ぶ実:喜び

ウイリアム・モーア

2007.5.20

ヨハネによる福音書15章1−12

◆イエスはまことのぶどうの木

  1:「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。2:わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。3:わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。4:わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながってい    る。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5:わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。6:わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。7:あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。8:あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。  9:父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10:わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることに    なる。11:これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12:わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

 

ガラテヤの信徒への手紙5章22−23

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」


【イエス・キリストに似るために】

今日、先々週から始まった「霊の結ぶ実」の学びを続けたいと思います。キリスト者になると、神の霊は私達に宿って下さいます。そして、霊の導きに従って歩むと言うのは、すなわち私達の内に霊の働きを許す事です。そして、私達キリスト者は「霊の結ぶ実」を現します。そのものは先程読まして頂いたガラテヤの信徒への手紙5章22−23に記されています。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」と書いてあります。毎日の生活にその実を現すと、私達はイエス・キリストに似て行って、キリスト者として相応しく生きられます。この霊の結ぶ実の学びを通して私達の内にいらっしゃる聖霊の全ての働きを許し、その霊の実をよりもっと豊かに結ぶ事が出来ます。

 

【アガペの愛】

私達は先々週に霊の結ぶ実「愛」を学びました。

愛は全て他の実を含んで、他の実を通して具体的に愛を現しますので、愛は第一の、最も重要な実となります。

学びましたように、イエス・キリストが教えた愛は「アガペ」と言います。それは献身的な愛です。アガペはお返しの有無にも関わらず、無条件で相手の為になす善い行動です。

 

そして、そのような愛を現す為に第一に主イエスからアガベを学ぶ必要があります。御言葉を新たに読んで、イエス・キリストがあなたの為に持っておられる愛を見る事です。また、当時の人々の為にイエスが行った愛の御業を学びます。そして、その同じ心を持つように神に祈って、毎日の生活に愛の業を積極的に実行する事です。

 

【霊の結ぶ実の二番目:喜び】

今朝は霊の結ぶ実の二番目の項目を学びましょう。それは「喜び」です。今日のヨハネによる福音書の朗読にこの主イエスの御言葉が記されています。ヨハネによる福音書15章11の所を見て下さい。「これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされる為である。」私達誰でも神が提供して下さる喜びを経験したいと思います。しかし、その喜びはどう言うものでしょうか。又、どのようにして豊かに得られますか。

 

【不平不満の製造業者】

有名な説教者ノーマン•ビンセント•ピール先生はある日、汽車を乗って旅行をしていました。そのピール先生が座っている向かい側にある中年の夫婦が座りましたが、その奥さんは座る途端(とたん)に止まらず不平を言い出しました。席が不便で、窓が汚らしい、乗務員は不親切で、また風通しも良くないと引き続き不平を絶え間なく続けていたのです。

 

側に座っているご主人はちょっとそういう妻の姿に、申し訳なかったのか、または話を変えるかのように、ピール先生にこのように自己紹介を始めました。「実は私は弁護士で、家内は製造業に従事しています。」そしたら、ピール先生が、「製造業と言えば、何を製造していらっしゃるのですか、」と聞きました。すると、御主人は照れ臭そうに笑いながら答えました。「家内は不平不満の製造業者ですよ。」

 

皆さん、この世には不平と恨みを零(こぼ)す人がいれば、その反面、感謝と賛美と喜びを表しながら生きる者がいます。何故皆同じ人生を生きて行くのに、ある人は不平不満を零しているのに、ある人は感謝と喜びを表すのでしょうか。その理由は簡単であります。それは心に抱く物が違うからです。

 

心の中に神の愛と恵みを抱いて生きる人は決して不平を零しません。環境が自分に逆らい、思い通りにならない、どんなに難しい問題が切迫しても、その苦しみの真ん中にいても、そこで一つの感謝の喜びの歌を見つけ出します。しかし、その心に自己中心的と野心で満たされた人には、いかに多く祝福が与えられても、感謝と感激、喜びがありません。むしろ、多くの祝福を背にして恨み、不平を並べるのが多くなります。

 

【この世の幸せ】

この世の殆ど皆の人々は「幸せ」を何よりも掴みたいのです。「幸せになりたい」と言う願いを常に抱いています。そして、誰でも時々幸せと言う気持ちを経験します。例えば、新しい家か車を購入すると幸せです。また、予測しなかったお金が手に入ると幸せな気分です。同じように大変なトラブルから解放されると幸せです。そして、やっと良い仕事を見つけると幸せでしょう。しかし、その幸せをもたらしたものが無くなると、どうなりますか。もちろん幸せな気分も消えてしまいます。車が事故でメチャクチャになると、幸せですか。お金が乏しくなると幸せよりも心配を感じます。また、新たなトラブルが襲って来ると困ります。そして、リストラで仕事を無くすと、もちろん幸せを感じなくなります。やはり、幸せはおもに私達の環境から来るものなのです。そしてその環境は特にこの時代では目が回る程よく変わってしまいます。景気が良い時期だと思ったのに、すぐ不景気にもなります。昨日まで元気だった人が病に襲われています。この世には事故とトラブルと逆境もあります。ですから、私達の気分は昨日と今日とずいぶん違います。また明日もどうなるか分かりません。幸せはよく移り変わります。

 

【神からくる幸せ】

しかし、神の賜物と霊の結ぶ実、喜びは私達の廻りの環境と条件から来るものではありません。聖書に於ける喜びは愛である神から来るものなのです。そして、信仰を通してその賜物を受け、豊かに経験出来ます。しかも、神御自身が喜びを私達に授けて下さるので、誰も、何もその賜物を私達から取り上げる事が出来ません。

 

喜びはただ感情よりも、神に基づいた積極的な態度です。つまり、私達は全能の愛する神に頼り信頼します。その神は御自分の力で全てを創造され、今も万物を支えて下さいます。私達を救う為に御自分の独り子イエス・キリストを死までも犠牲した程私達を愛します。そして、主イエスの救いを受け入れた者にはこの世は決して全てではありません。実は、これからの天国での人生を楽しみに待つ事が出来ます。更に、どんな事があっても、神はこの世を治め、働いておられます。 そして、私達にどんな事があっても、神のお陰で私には『万事が益となるように』と約束されている事をよく知っています。また、主イエス・キリストによって示された神の愛から私達を引き離す事は全くないと約束されていますので、勝利と喜び溢れる態度と信仰を持っています。

 

【喜びの秘訣】

実は、今日与えられた御言葉にこの喜びの秘訣が主イエスによって啓示されています。「これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされる為である」と11節にイエスの御言葉が記されています。しかし、この聖句の「これらのこと」は何でしょうか。実は、主がおっしゃった「これらのこと」は満たされる喜びの鍵であります。今日の個所を調べると主イエスは三つ程のことを話して下さいました。それは4節に、「私につながっていなさい。」そして、9節に、「私の愛にとどまりなさい。」また、最後に12節に、主は、「互いに愛し合いなさい」と勧めて下さいます。この三つの事を心からするなら、私達の喜びが満たされると主イエスが約束して下さいます。

 

【主イエスはは葡萄の木】

「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている」と主が私達に言います。ここで主は葡萄の木とその枝のイメージを用います。「私は葡萄の木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と主は約束しています。言うまでもなく、葡萄の枝は木から栄養を取り、その存在さえも木のお陰です。もし枝は木に繋がっていなかったら、すぐ枯れてしまいます。同じように私達は喜びと言う実を結ぶためには、主イエス・キリストと繋がらなければなりません。つまり、主イエスを救い主、また、最も良き友として知り、私達の人生の中心的お方になるべきです。やはり神と繋がっている事は喜びの源であります。

 

そして、9節に、「私の愛にとどまりなさい」と主は言われます。神は私達一人一人を心から愛して下さいます。その愛はただ口先のものではなくて、犠牲的愛です。主イエスは私達の為に死ぬまでも御自身を犠牲したのです。私達は主イエスによって愛され、友と呼ばれ、また主によって特別に選ばれた者です。その主イエスの愛にとどまっていますか。祈りを通して主との交わりを定期的に持っていますか。また礼拝で兄弟姉妹と共に神の愛を心から感謝、賛美しますか。

 

10節にこのイエス・キリストの重要な御言葉があります。「私の掟を守るなら、私の愛にとどまっている事になる。」やはり、主イエスを本当に愛すると、御自分の教えを大事にして、その戒めを日々の生活に実行するべきです。イエス・キリストを「愛します」と言いながら、その教えを無視することは、極めて矛盾した事です。イエスの掟を守ると、主の愛にととまって、喜びが満たされます。

 

そして、最後に、12節に記されているように、「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」やはり、喜びは私達の互いの愛と繋がっています。アガベの愛を実行して、また受ける事によって喜びが多くなります。特に、兄弟姉妹の間で、愛を分かち合うと喜びが増えます。

 

「私につながっていなさい。私の愛にとどまりなさい。互いに愛し合いなさい。」この道に従うと、霊の結ぶ実、イエス・キリストの喜びが私達の内にあり、私達の喜びが満たされます。

 

【火災ですべてを失っても『喜びがある』】

ある男の人が町の外れで立派なお屋敷に住んでいました。そのお屋敷は丘の上に建てられ、町の住民皆によく知られた建造物でした。家のインテリアは高価な物ばかりで、まるで美術館の様子でした。ご主人の奥さんは病気で亡くなって、子供は大きくなり遠い所に住んでいましたので、彼は独り暮らしをしました。ある日主人は用事で町の中心に出掛けた時、彼は消防車のサイレンを聞き、回りを調べて見ると自分の家の方から一条の煙が立ち上っていました。彼は多くの町の人と共に煙の方向へ飛んで見に行きました。そして、主人は自分の家に近寄ると大変な光景が見えて来ました。愛された屋敷は焼けて灰といぶる瓦礫になってしまいました。

 

言うまでもないが、ご主人はその酷い場面を見るとショックを受けました。それ程の光景は今まで見た事がありませんでした。そして、町の人々は彼を慰める為に彼にやって来ました。しかし、彼は驚くべき言葉を言いました。それは、「神よ、私は喜びがまだあるから、感謝します。」その言葉を聞くと、ある人は彼に言いました。「奥さんが亡くなり、屋敷が全焼、今着ている洋服しか残っていないのに、どうして、『喜びがある』と言えますか。あなたは本当に正気ですか。」すると、彼は答えました。「確かに今着ているこのスーツ一着しか残っていないし、持ち物と家内さえも失われたけれども、屋敷に住んでいる時と同じように神は私と共にいて下さり喜びを持っています。

 

今度はご主人の牧師が慰めに来ました。ご主人はきっと絶望した状態であると思った牧師は驚きました。何故なら、ご主人は、「神よ、損失を受けても、喜びを下さり、ありがとうございます」と言う祈りを捧げたからです。そうすると、牧師は言いました。「あなたは家と全ての財算を失い、またここには助けて下さる家族がないのに、『喜びがある』と言うはずがありません。ご主人は衝撃をあまりにも受けたから、頭がおかしくなったでしょう。嘆きをしても良いのです」と牧師が言いました。そして、ご主人は返事しました。「先生、私の信仰を理解して下さい。私は独りではありません。神の御霊はいつも共にいて、助けて下さいます。 神のお陰で私には『万事が益となるように』と知っています。(ローマの信徒への手紙8:28)物が無くしても、私は力強い忠実である愛する神に仕えるので、喜びはまだあります。」(おわり)

 

 

 

 


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