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霊の結ぶ実:親切

ウイリアム・モーア

2007.6.10

 

ルカによる福音書6章32−36「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善い事をしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人も同じ事をしている。返して貰う事を当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返して貰おうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善い事をし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、沢山の報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」」

ガラテヤの信徒への手紙5:22−23

 

 

【小さな親切】

ある青年が自分の高校の時の体験談を語りました。「私は高校一年生の時、学校から家へ帰る途中、同級生ヘンリーを見かけました。週末の初め、金曜日なのに、彼は山程の教科書を手で運んで歩いていましたので、ヘンリーは余程ガリ勉屋だと思いました。私は週末にはいつもパーテイーとスポーツで楽しい予定がありましたから、勉強する余裕がありませんでした。突然、不良連中がヘンリーの方へ走って行って、何も言わずに彼が持っている教科書を取って地面に投げ捨てました。そして、彼等はヘンリーを強く蹴って倒しました。彼の眼鏡は数メートルまで飛んで行って芝生に落ちました。連中が去ってからヘンリーが顔を上げた時、私は彼の目に恐ろしい悲しみを見ました。

 

ヘンリーは私の仲間ではなかったけど、この事を見ると私の心は痛みました。私は彼の方へ走って眼鏡を捜しました。眼鏡を渡すと彼の目に涙があふれました。私は、『あの連中は本当にしょうがないね』と言うと、ヘンリーは『ありがとう』と返事して、笑顔を見せてくれました。一緒にヘンリーの教科書を地面から拾いながら、僕は彼の家の所を聞きました。彼の家は私と近かったので、一緒に歩いて帰りました。ヘンリーと話して見ると僕と彼は気が合って、結構いいやつだと思いました。その週末彼は僕の家に来て、友達と一緒にフットボールをやりました。それから、高校の三年間を通してヘンリーと僕はベスト•フレンドになりました。色んな楽しい思い出を一緒に作りました。

 

やがて高校の卒業の日が来ました。卒業生の中でヘンリーの成績は一番なので、生徒の代表として彼は卒業式でスピーチをする事になりました。そして、彼は講壇に立って、このように言いました。『卒業式の際、私達は校長先生を初め、また他の先生、と両親にも感謝を表すべきです。その方々のお陰で今日、高校を卒業する事が出来ました。しかしながら、私にとって友人の支えはとても大事でありました。実は、高校を通して私に友人が出来た事は一番良いプレゼントになりました。なぜなら。私のお話を聞いたら分かります。』

 

そして、ヘンリーは三年前、連中に襲われた日の事を語り始めました。実は、その週末、自分の命を取ろうとする計画が密かに彼の中にあったのです。友達が出来なくて、虐められたヘンリーは生きる力と意志を失ってしまいました。そして、後でお母さんが自分のロッカーを片付けなくても良いように、その日、自分の手でロッカーを片付け教科書を全部家へ持って帰ろうとしました。

 

ヘンリーは僕の方を見て笑いながら言いました。『大変ありがたい事に、私は救われました。その日、私の友人となったある人が口にするのも恐ろしい程の事から私を救ってくれたので、その友人のお陰で今日このように皆さんの前に立つ事が出来ました』。

 

【聖霊の結ぶ実:親切】

その時、私は小さな親切の力を悟りました。一つの親切の意思表示は人の人生をすっかり変える力があります。

今日は聖霊なる神の結ぶ実「親切」を学びたいと思います。今まで愛と喜びと平和と寛容を学んで来ました。いかがでしょうか。その四つの徳目を自分の日々の生活によりもっと現す事が出来ましたか。もう既に覚えたように聖霊の結ぶ実は神の賜物です。つまり、キリスト者なら、神の霊は私達に宿り、霊の結ぶ実、愛と喜びと平和と寛容など、 それらのものは自分のものになりました。しかし、その徳目を現す為、私達の内に聖霊の働きを心から許さなければなりません。それぞれの徳目を実行する意志が必要です。つまり、神の助けでその賜物を生かす訳です。

 

今日は次の聖霊の実「親切」を学びましょう。イエス・キリストに従う者は毎日の歩みに親切を現すべきです。しかし、親切とはどういうものでしょうか。簡単に言えば、親切は「良い事、良いものを人に与える事」です。そして、その徳目は毎日の生活に数え切れない程の行為で現す事が出来ます。小さな思いやりから大きな犠牲的愛の業まで私達は親切を実行出来ます。そして、先程述べた青年の親切の行為のように、その力は大きいです。

 

励ましの言葉を言う事や、施しをする事や、寂しい者の友になる事や、病気の者を訪ねる事や、困っている人の助けになる事などは全て親切の行為です。そして、親切を通して私達が神によって賜られた愛を具体的に実行します。親切は聖霊の結ぶ実ですので、その実の源、神の親切を先ず学びましょう。

 

【神の親切】

唯一の愛である神は親切をどのように現しますか。きょうのルカによる福音書の御言葉を見ますとこの主イエスのお話が記されています。ルカによる福音書6章35の後半を見て下さい。「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い」です。実は、ここで「情け深い」と訳された原文は「親切」となります。結局、「いと高き方は、(すなわち神は)恩を知らない者にも悪人にも、親切」ですと記されています。また、マタイによる福音書5章45にイエス・キリストはこのように言われます。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」と。つまり、神の親切は無条件です。御自分を無視する者、御自分に対して恩知らずの者、御自分に逆らう者にも届きます。そして、私達にさえも届きます。考えて見て下さい。恐らく私達も恩知らずに、神の親切を当然の事と思った事があるかも知れません。しかし、神は続けて私達一人一人は受けるに足りないにもかかわらず御自分の親切を現します。

 

【イエス・キリストの親切】

私達の模範であるイエス・キリストは常に親切を現しました。覚えていると思いますが、ある時、イエスに手を置いて祈って頂く為に、人々は自分の小さい子供を連れて来ました。イエスは大変忙しいので弟子達はその人々を叱って帰らせようとしました。しかし、主はその事を見て言われました。「子供達を来させなさい。私の所に来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者達のものである。」(マタイによる福音書19:13)そして、主イエスは子供達に御自分の手を置いて、祝福しました。忙しいはずなのに、イエスは子供達の為に時間を取って、彼等を大事にし、誉めて下さいました。弟子達の不親切に対して主の親切と思いやりは対蹠的ですね。

 

又ある時、長い病気で患った女の人は癒される為に密かに後ろから勝手にイエスの服に触れました。そうすると彼女の病気が瞬間に治りました。混雑する群衆の中にいても主は不思議に 御自分から力が出て行った事を感じました。 そうすると、「私に触れたのは誰か」と聞きました。断りなく主イエスに触れた事で批判されると思って彼女は震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由と癒された事を皆の前で話しました。イエスは彼女にどうしましたか。主は彼女を責めませんでした。却って、このように言ってくれました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(ルカによる福音書8:48)イエスは御自分の服を触れるだけで治ると信じた女の人の信仰を誉めて上げました。さらに、主は彼女を安心させて行かせました。震える程恐れた女の人に大きな親切と御配慮を下さったのです。常にこのような親切を現したイエス・キリストは私達に従うべき模範を示して下さいます。

 

それでは、私達の親切の対象は誰でしょうか。自分の家族、自分の仲間、自分に親切な人に限られていませんか。今日の御言葉に主はその問題にはっきり答えて下さいます。ルカによる福音書6章32節を見て下さい。

「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善い事をしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人も同じ事をしている。返して貰う事を当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返して貰おうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善い事をし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、沢山の報いがあり、いと高き方の子となる。」

 

ここでのイエス・キリストの教えは明白です。私達の親切は敵にさえ届くべきなのです。そして、親切は自分に親切を示す人、また自分の家族と仲間に限られたら、それは足りないです。間違いなく、恩返しは大事な事です。当然、自分によくしてくれる人に善い事をするべきです。誰でもその事を知っているはずです。しかし、主イエスによりますと、私達の親切はそのようなものを超える必要があります。また、関係ない人と敵にさえも届くべきです。つまり、私達の親切の対象は全人類です。

 

主イエスは堕落した、嫌われた民族から来たサマリア人の女の人を相手にして親切を示しました。そして、罪深い彼女を責めませんでした。却って、主は御自分の救いを彼女と彼女の民族に提供して、多くの人々はイエスを信じたと記されています。

 

【全人類のための救い】

イエス・キリストの救いは御自分の民族ユダヤ人に限られていません。その恵みと祝福は全人類の為です。そして、私達がまだ罪人であった時、キリストが私達の為に死んで下さいました。イエス・キリストが私達の主であるなら、私達は主の親切を模範として歩むべきです。

 

【いと高き方の子となる霊的報い】

主イエスは御自分の親切を見習って実行する者には「沢山の報いがある」と約束して下さいます。それはどう言う報いでしょうか。「いと高き方の子となる」と言う霊的な賜物を受けます。つまり、親切の行為を通して私達は唯一全能なる神の働きに参加する事が出来ます。神の協力者になり、この世でイエス・キリストの戒めを守る事は霊的な特権です。もちろんその事によって私達の永遠の救いを勝ち得る事は不可能です。それは全く神の一方的賜物です。しかし、私達は親切を実行すると、神を喜ばして、神御自身の栄光を現します。私達はその素晴らしい事が出来ると言うのは、「いと高き方の子となる」霊的な恵みになります。

 

【精神的と身体的の報い】

しかも、不思議にほかの報いもあります。親切を示すと、様々な精神的と身体的健康にも成果があります。科学的研究によります、人は親切の行為を実行しますと、より楽観的な態度が得られます。力が与えられ、鬱と心寂しさと救いがたい気持ちを減らすんだそうです。また、リラックス出来、落ち着いた気分が得られます。実は、人の為に善い事をすると体はモルヒネ様作用を示すエンドルフィンを分泌して、色んな面で気分がよくなります。

 

精神的効果の上に、親切は身体的な益もあるのだそうです。特に、心臓と血管に良いです。血圧と心臓病を減らし、血液の循環も良くなります。リウマチに対して痛み止めのような効果もあります。親切の行為に参加すると手術の回復時間も短くなります。他にも効果が沢山あるんだそうです。恐らく主イエスは、親切を実行すると「沢山の報いがある」とおっしゃった時、霊的報いと身体的報いの両方を考えられたかも知れません。

 

聖霊の結ぶ実は親切です。どうか、神の為に、廻りの者の為に、そして、自分の為に、人間の人生を変える力を持つ親切を今日からでももっと豊かに実行して行きましょう。(おわり)

 

 

 

 


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