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私達の金の子牛は何か

ウイリアム・モーア

2008.2.3.

 

 

聖書 出エジプト記32:1−14

 

出エジプトと十戒】

今日与えられた御言葉は旧約聖書の劇的な出来事の中でも、非常に印象的であります。もしデミル監督の有名な映画、「十戒」を見られたら、今日の個所を描写する場面をよく覚えていると思います。

 

【モーセとアロン】

イスラエルの民族が全能の神の奇跡的力によってエジプトの奴隷の家から導き出された時です。エジプトから約束された地カナンまで旅中の事件ですが、彼等のリーダー・モーセは神から十戒を含んだ律法を頂く為、独りでシナイ山に登りました。その帰りが遅いと思った人々はモーセの兄弟また助手であるアロンに行って、このように願いました。「さあ、我々に先立って進む神々を造って下さい。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか、分からないからです。

 

【金の子牛】

そして、不思議に思うのですが、アロンはその願いに応じて、皆が寄付した金の耳輪で、拝む為に子牛の鋳像(ちゅうぞう)を造りました。そしてその偶像を見ると人々はこのように言いました。「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ。」

 

【モーセの怒り】

すると、アロンは祭壇を作り、翌日に行うお祭りを宣言しました。人々は金の子牛を拝んで、飲み食いし、わいわいしました。モーセは山から下り、その光景を見ると大変怒りました。救い主である本当の生ける神の戒めをすぐ忘れ、偶像を造って拝むと言うのは信じられませんでした。モーセは子牛の像を取り、粉々に砕いて、水の上にまきちらし、罰として人々にそれを飲ませました。

 

【エジプトを出て約束の地へ】

イスラエルは全世界のどの国よりも、自分たちの為の神の御業を目撃しました。神のお陰で400年間の奴隷生活から解放されました。そして、神は彼等を新しい故郷になる地を約束して、導くところでした。更にイスラエルは神によって御自分の特別な民として選ばれ、イスラエルを通して世界中の全ての民を祝福すると言う素晴らしい使命が与えられました。しかし、彼等は神を直ぐ忘れ、周りの国のように人間によって作られ、目で見える偶像を拝んでしまいました。

 

【第一戒を破る】

その事によって十戒の第一戒と第二戒を破りました。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」それは第一戒です。

 

第二戒を破る

そして第二戒は、「あなたはいかなる像を造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」(出エジプト記20:27

 

偶像である金の子牛を造り、拝む事によってイスラエルは自分達を奴隷の家から救って下さった、唯一の真の神に背を向け、捨ててしまいました。全ての祝福の源である神に信じ従うより彼等は勝手に偶像を自分の手で造り、拝みました。そして、その大罪によって自分の民族に大変な悲劇を招いてしまいました。

 

【私たちにとっての金の子牛とは】

愛する兄弟姉妹、これは私達とは関係ない、ただ古い映画のような場面ではありません。金の子牛の事件は神の民の歴史に大変重要な時点であり、主を信じる者としてその歴史は私達の歴史にもなりました。なぜならば、その事件を通して私達は自分自身の姿と傾向を見る事が出来るからです。

 

私達も救い主である生ける神を信じ頼るより、自分の道と自分の判断と力に頼ってしまいます。イスラエルの人々同様、聖書から私達の幸福の為に授けられた神の戒めを勝手に軽んじて、自分の我儘な道を選びます。そうすると、神との関係が薄くなり、御神様の恵みを経験出来なくなり、廻りの者に対する主の証も弱って来ます。

 

【偶像崇拝】

イスラエルの人々は真の神の代わりに勝手に礼拝の対象として金の子牛を造りました。その為に彼等は喜んで耳輪をはずしてアロンに捧げました。何故なら、その空しい偶像には戒めもなければ、道徳的と霊的要求も全くなかった訳です。ただ飲み食いして、わいわいするお祭りで、その神に仕えました。そして、自分が造り出した神に従うと、彼等は直ぐにエジプトの奴隷の生活とあんまり変わらない、暗闇と失望と混乱の状態に戻ってしまいました。

 

【私たちも金の子牛の奴隷に】

蘇られた主イエス・キリストによって罪と死と失望から救われた私達は、また金の子牛のようなものの奴隷になる事があります。信仰の成長の道を歩んで、少しずつキリストに似て行く、その恵みと自由を経験しますが、躓きや試練などの故に信仰が試される時があります。そして、どうしますか。その事が切迫して来ると益々イエス・キリストに信じ頼りますか。唯一の真の希望をよりもっと強く掴んで、信仰が自分にとって尚更確かなものになりますか。それとも、金の子牛を探し、イスラエルの人々のようにその方へ走ってしまいますか。

 

八百万(やおよろず)の偶像】

実は、金の子牛は現在も八百万(やおよろず)です 。人によって異なりますが、私達の周りにある誘惑が私達のどんなに小さな隙間からでも入ろうとしています。私の信仰を妨げるものは何ですか。色々なものがありますが、 その魅力に騙され、捕われる可能性が十分あります。しかし、確かに金の子牛は空しいものです。そしてそのようなものに捕われると、霊的平安とキリスト者としての全体的の歩み、又私達の信仰が弱くなり、喜びに満たされるよりも不満と霊的不安定状態になります。

 

その望ましくない状態を避ける為、私達一人一人は自分にこの質問を問うた方が善いではないかと思います。それは、「私の金の子牛になろうとするものは何ですか。」

 

この世の金の子牛によって誘惑される事は決して難しくありません。周りに多くある金の子牛は何よりも私達を捕えたいのです。そして、私達は、その偶像に捕らえられるなら、真の神との関係が損なわれます。特に主イエス・キリストの戒めを守る事は難しくなります。主はこのように言われました。「だれも、二人の主人に使える事は出来ない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに使える事は出来ない」(マタイ福音書6:24

 

【金の子牛に支配されると】

この教えは富に限られていないと思います。間違えなく、この世の全ての金の子牛は「主人」になる恐れがあります。そして、そのものが主人になると、主イエスに従う事が難しくなります。例えば、人を心から赦す事が出来なくなり、恨みを抱いてしまいます。 人の仕打ちを受けるのではなく、 傷つけられたら、仕返しを企(たくら)みます。更に、「隣人を自分のように愛する」事は難しくなり、段々自己中心になってしまいます。

 

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(ヨハネ福音書14:15)とおっしゃった主イエスの掟は自分にとってそんなに大事ではなくなります。善い事、悪い事も主に聞くよりも、全てを自分の判断に任せます。そして、自分の毎日の歩みはイエス・キリストを知らない者とあんまり変わりません。

 

【金の子牛を捨てる】

その時こそ、神の助けによって金の子牛を捨てなければなりません。モーセのように金の子牛を砕く、自分の生活から取り除く必要があります。そして、悔い改めれば、神は私達を赦して、私達はまた造り変えられ、新しい日を迎えられます。

 

【イスラエルの罪】

今日の御言葉に神はイスラエルの罪を厳しく罰する気持ちがありました。7節を見ますとこのお話が記されています。「主はモーセに仰せになった。『直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くも私が命じた道からそれて、若い雄牛の 鋳像(ちゅうぞう)を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ」と叫んでいる。』主は更に、モーセに言われた。『私はこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、私を引き止めるな。私の怒りは彼等に対して燃え上がっている。私は彼等を滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする』と書いてあります。

 

【神様の慈愛】

イスラエルに対する神の怒りは正当でした。いくら言っても、彼等の罪は酷かったのです。しかし、彼等は神を捨てたのに、神は決して御自分の民を捨てる事が出来ませんでした。主はイスラエルの為、御自分の約束を覚え、その民を滅ぼしませんでした。「主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された」と14節に記されています。

 

【金の子牛を捨てると】

私達が持つそれぞれの金の子牛を悔い改め捨てると、主イエス・キリストの贖い死のお陰で、神は私達も赦して、御自分の豊かな恵みを新たに経験させて下さいます。どんな事でも金の子牛を捨てるようにと主が切に願っておられます。そして私達はそうすると、主は信仰から来るあらゆる喜びと平安を私達に豊かに満たして下さいます。(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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