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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

 悪から善を

ウイリアム・モーア

2008.3.16

 

 

マタイによる福音書27章32−56

◆十字架につけられる

 32:兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。 33:そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34:苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめた だけで、飲もうとされなかった。 35:彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、 36:そこに座って見張りをしていた。

 37:イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書い た罪状書きを掲げた。 38:折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。 39:そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40:言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」 41:同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。42:「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 43:神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わた しは神の子だ』と言っていたのだから。」

 44:一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

◆イエスの死

 45:さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 46:三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 47:そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。 48:そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。 49:ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。

 50:しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 51:そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、 52:墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。

 53:そして、イエスの復活の後、墓から/出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。 54:百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 55:またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。 56:その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。

 

【受難週】

今日で私達と全世界の教会は受難週に入ります。イエス・キリストが受難を前にエルサレムに入った日曜日からの一週間をキリスト者は特に主の十字架の貴い犠牲を新たに覚え、その意味と恵みについて思案します。私達は受難週の際、主イエスが払った犠牲に集中すべきです。何故なら、来週の主の日にイエス様の復活をお祝います。

 

【十字架と復活】

イースター、すなわち復活祭は教会暦の中の一番喜びに溢れる日になります。しかし、主イエスが受難を受けなかったら復活も救いもありません。そして、私達は主イエスの十字架の死の意味と重要性が分からなかったら、その蘇りの意味と喜びも分かるはずがありません。ですから、今朝、主の十字架の犠牲について一緒に考えたいと思います。

 

先程読ませて頂いた御言葉は主イエスの十字架と死の次第を語ります。イエスは不当な裁判で死刑が宣告されてから、ローマの兵士達は朝はやく主をゴルゴタという死刑所までつれました。そこで兵士達は釘で主を二人の強盗の真ん中の十字架につけてしまいました。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きがつけてありました。そして、その所を通りかかった人々は刑を受ける主イエスを色々な侮辱的な言葉で罵りました。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架からおりるがいい。そうすれば、信じてやろう」と言われてしまいました。

 

昼の12時に全地は暗くなりそれが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」そして、主は再び大声で叫び、息を引き取られました。

 

【肉体的苦しみ】

十字架にかけられた間、主は言い尽くせない程肉体的苦しみを経験されました。ローマ帝国の死刑の方法として十字架の死は一番ひどい拷問でした。普通の犯人は他にもっと速い方法で処刑されたのですが、国に対して謀反のような重い犯罪を犯した場合、十字架を用いました。その刑を受ける人は長い間の苦しみの後、やっと亡くなりました。私達には主が受けた苦しみと比べられる経験はありません。その十字架の死の肉体的苦悶が想像出来ないと思います。

 

【主の霊的・精神的苦悶】

しかし、主は肉体的苦しみの上にまた大変な霊的と精神的苦悶も受けられました。全人類を救う為にこの世に遣わされましたが、人々に拒否され、最後に罪を犯さなかったにもかかわらず、死刑にされてしまいました。

 

【父から見捨てられる】

更に、最も苦しい事はイエスが父なる神に見捨てられたかのように見えた事です。十字架にかけられた間に主は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫びました。イエスは最後まで完全に神に従い、また完全に隣人を愛したのに、そのような恥ずかしく苦しい死を体験しなければなりませんでした。

 

実は、イエス・キリストの十字架の死の際に、この世の全ての悪が焦点に集まりました。主の十字架は我々人類の罪の最も酷い表れで、愛する神に対して私達の謀反の最悪の表現でした。しかし、それと同時に起こった自然現象はこの贖い死である事がよく分かりました。今日の御言葉の51節によりますと主イエスが息を引き取られた瞬間、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」と書いてあります。

 

【生け贄】

これはイエス・キリストが自ら生け贄として捧げられたのです。それによって私達は神の御前に出られるようになりました。イエスが十字架につけられ、死に至るまでも人々は無知で悪を行いましたが、神の救いの御計画は成し遂げられました。主イエスの死を見ていた百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった」と告白しました。

 

今日私達にも沢山の困難がありますが、神の救いの御計画は止まりません。自然万物も創造主なる神を知り、反応しているのを悟られましたか。主イエスの苦しみを思いながら、私達は毎日の生活を通して大きい問題や小さい問題などをどう扱っているのでしょうか。

 

 

 

【良き金曜日Good Friday

主イエスは十字架の苦しみを受難週の金曜日に受けられました。不思議に昔から受難週の金曜日は 英語でGood Friday と言われるようになりました。つまり、「良い金曜日」です。しかし、その日はGood Friday よりもBad Friday、悪い金曜日、と呼んだ方がいいのではないでしょうか。

 

【悪から善に】

しかし、よく考えて見ますと、父なる神はその最悪の日、御自分の御子が殺された金曜日を Good Friday に変えて下さいました。実は神はそのもっとも悲劇的事件から、もっとも素晴らしい結果を(もたら)して下さいました。神はその悪を善に変えて下さったのです。主イエスは十字架で私達の罪を負って、罪の故に私達が支払うべき罰を御自分の身に受けて下さいました。イエス・キリストは罪の全くないお方であるからこそ、全人類の罪を贖う資格がありました。もし主が私達のような罪人であるなら、御自分の罪の為の報酬しか払う事が出来ませんでした。しかし、全く清い完璧である主は御自分の十字架の死を通して私達の全ての罪を贖って下さったのです。その故に父なる神は主イエスを信じる者の罪を赦す事が出来ます。

 

【主イエスのゆえに】

そして神は私達を見ると私達の汚れと罪の代わりに御子イエス・キリストの清さと義を見て、どんなに酷くても主は信じる者の罪を赦し、御自分の家族に受け入れて下さいます。そして、永遠の滅びに向かう私達は永遠の命が授けられます。それは、死んでも神の御前に出て、いつまでもその喜びの内に生きられます。ヨハネによる福音書316節に記された通りです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 

人間は神の御子に悪を企んで十字架につけましたが、神はそれを善に変え、最も善い結果を齎して下さいました。主イエスの苦悶と死はただ悪夢のような悲劇的事件ではありませんでした。父なる神はその最も酷い悪を持って、私達の為に大きな大きな祝福を授けて下さいました。

 

神は私達に永遠の救いを齎すように主イエスの死の悪を善に変えて下さいました。しかし、その時だけではなく、主は今も私達が経験する悪から善を齎します。使徒パウロはその確信をこのように表現しました。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召され者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。」(ローマの信徒への手紙8:28

主は私達が経験する悪、また全ての不幸と逆境も益となす力があります。

 

【壊れた名器】

ピーダー•クロッパーと言う教授は英国人の有名なヴァイオリン奏者です。青年の時、彼は音楽の天才として認められ、ロンドンにあるロイヤル音楽アカデミーがクロッパーさんにストラデイヴァリウス•ヴァイオリンを貸して下さいました。そのヴァイオリンは250年前にイタリアでストラデイヴァリ一家が製作した作品で、品質と音が世界一で値踏みの出来ない物でした。そのような優れた楽器を弾くのは全てのヴァイオリン奏者の夢ですから、彼は大喜びました。その託せられたヴァイオリンを何よりも大事にしましたが、ある日、思い掛けない事故が起こりました。フィンランドでの演奏の休憩の間に彼の足の先がよろけて、体の全ての重さがヴァイオリンの上に転んでしまいました。その結果、楽器が目茶苦茶に壊れ、全く駄目になりました。言うまでもないが、クロッパーさんは恥と悲しみに沈んで、どうしょうもない状態でした。しかし、ロンドンに帰ると彼はヴァイオリン•ブローカーと相談して、楽器修理の達人に紹介され、希望があんまり高くはなかったけれども、他の道がないから、その方に壊れたヴァイオリンを託しました。

 

【傷は完全に癒された】

時間がかなりかかりましたが、やっと修理が完成されました。ヴァイッリンを見ると驚きました。傷が全く見えなくて、事故の前の姿でした。そして、その楽器を持って弾くと、クロッパーさんは更に驚きました。実は、その音が前と比べるともっと美しくかった。何故なら、ばらばらになった楽器は達人の癒しの手にかかり、その達人がヴァイオリンを完璧に直して、もっと素晴らしい物になりました。達人はその事故の悪から善を齎して下さいました。

 

【達人イエスの手により】

同じように、私達は悲しみや罪や不幸などの故に砕かれる時、神の癒しの御手に自分の人生に託しますと、達人である修理工、主イエス・キリストは砕かれた私達を御手に取って直して下さいます。そして、私達は以前よりもずっと成長し、もっとよくなります。神は私達の為に悪から善を齎して下さいます。

 

間もなく聖餐式を行います。聖餐にあずかる間、私達の救いの為、Good Fridayに受けられた主イエスの犠牲について新たに覚えたいと思います。また、私達の為に全ての悪から善を齎す力を持つ主を心から信じ、感謝しましょう。(おわり)

      

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