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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

やもめの献金

イリアム・モーア

2008.6.8

 

マルコによる福音書12章41−44

◆やもめの献金

 41:イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

 42:ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。

 43:イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

 44:皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

 

【エルサレムの神殿で】

エルサレムの安息日の朝。日がまだ強くならないうちに人々は礼拝する為に、もう神殿の入り口に寄せて来ました。焼き尽くす捧げ物の独特の臭いが空気に浸透していました。そして、信徒達は皆並んで献金を捧げようとしました。金持ちも貧乏人も、また、その中間の人々も、神に捧げる献金を持って、賽銭箱がある部屋に入りました。その賽銭箱は金属製の漏斗形の投げ口があって、信徒達はそこに硬貨を入れました。その時代、紙幣がなかったからです。言うまでもなく、硬貨を箱に投げると、カチンと鳴る音が響きました。

 

【主イエスと弟子たち】

人々は献金をして、礼拝する為、すぐそのお部屋を出ましたが、一人の人と彼の弟子達は献金が済んでからも部屋の隅に残りました。そして、今日与えられた御言葉によりますと、主イエスは、群衆が賽銭箱にお金を入れる様子を見ていました。 

 

【金持ちとやもめ】

間違いなく祭司達もそのお部屋に残り、献金を監視しました。お金持ちが沢山の重い硬貨を賽銭箱に投げると、大きな音が立ちました。そうすると祭司達はその気前の良さを認めてお金持ちを笑顔で迎えた事でしょう。しかし、あるか弱いおばあさんが賽銭箱の部屋に入ると、誰一人注目しませんでした。つまり、主イエスのほかは彼女に気付きませんでした。

 

【レプトン銅貨二枚】

おばあさんは賽銭箱の前に立ち、財布を出して硬貨二枚を手に取りました。そのレプトン銅貨は当時のローマ帝国が使っていた一番価値の小さい硬貨でした。それは現在の一円玉相当のお金になりました。おばあさんはそのちっちゃな銅貨二枚を箱に投げると音が殆どしませんでした。実は、お金持ちが投げた重い硬貨はその小さな音を消してしまい、誰も聞えませんでした。誰も彼女の存在を認めませんでした。結局、彼女の献金はあんまり小さいから祭司達とその回りの者にとって何もなりませんでした。

 

【やもめは持ち物全てを】

しかし、神の御子主イエス・キリストがおばあさんの事を見て、彼女によって強く印象づけられました。そして、主イエスは弟子達を呼び寄せてこのようにおっしゃいました。「はっきり言っておく。この貧しいいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりも沢山入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物を全て、生活費を全部入れたからである」と主は言われました。イエスはおばあさんの献金を高く評価して、その日、神殿で捧げた、誰の献金よりも貴重であると宣言されました。

 

【無理に捧げなくても】

愛する兄弟姉妹、この御言葉を聞くとどう思われますか。正直に言えば、主イエスがおばあさんの献金を見て、もしくはこう言うべきかも知れません。それを賽銭箱に投げる前に彼女の手を取って、「私は十分解っています。献金する余裕があんまりないでしょう。その銅貨二枚を財布に戻して下さい。持っているお金を全て献金すると、どうするんですか。生活が出来なくて大変困るでしょう。今日、献金をしなくても神は十分解って下さいます。」

 

主イエスがそのようにおっしゃったら、合理的です。また、おばあさんに対する御自分の配慮を現したお言葉ですね。しかし、主イエスは何も言わずにおばあさんが献金してから、その捧げ物を高く評価されました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりも沢山入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物を全て、生活費を全部入れたからである」と言われました。

 

【銅貨二枚の献金がなぜ神に喜ばれたか】

主はいったいどうして銅貨二枚を捧げたやもめを認めて、その献金を高く評価されましたか。今朝、この質問に一緒に答えたいと思います。そして、私たちの学びを通して主イエス・キリストが御自分を信じる者から求めておられる事と、信仰の意味をもう少し深く理解したいのです。

 

【隠れたことも見抜かれる主イエス】

第一に、主はおばあさんの事を不思議に見抜く事が出来ました。恐らくおばあさんのぼろぼろの衣服を見て主は彼女の財政的状態が分かりました。また、独りで神殿に来たのでやもめである事も推測したはずです。しかし、どうしておばあさんは銅貨二枚しか残ってない事が分かりましたか。実に、神の御子として主は他の人から隠された事を見抜く力があり、おばあさんの事情がよく分かりました。

 

【人の心の中までご存じの主】

同様に主はサマリアの女の個人的情報が分かり、また、徴税人ザアカイの名前も知っていました。主はおばあさんの事情だけではなく、彼女の心の底までも見抜く目がありました。そして、心で注視すると何かを見たのです。御言葉に記されていなのですが、神を愛する心を見たに違いありません。やはり、神に対する燃えるような愛がなければ、生活費全てまでも捧げる事は出来なかったはずです。神を心から愛したので、捧げたかったのです。喜びと感謝を持って精いっぱい献金しました。おばあさんはその心を現したので、主イエスは彼女を認めて下さいました。

 

【金持ちより多く捧げたやもめ】

神は私達一人一人の心を見ておられます。誰よりもその内を見抜きよく御存知です。実は、神は私達を完全に知っておられます。主は、私達自身よりも私達の心が分かります。ですから、主が沢山捧げた金持ちの代わりに、やもめを認めて、その銅貨二枚の献金を高く評価されました。

 

【憐れみ深い神】

達の心配と不安、私達が受けた心の傷、私達の全ての悩み、私達が犯した、人から隠れた罪、私達の弱さと失敗も全て御存知でおります。しかし、そう言う私達の神は憐れみ深い神です。やもめの銅貨二枚の献金を高く評価するお方です。私達のありのままを受け入れ、認めて下さるお方なのです。そして、そのニーズに答えて下さる神です。

 

【やもめは彼女自身を献げた】

第二に、主イエスはやもめの献金する時の態度に印象づけられました。実は、彼女は献金する義務がありませんでした。つまり、銅貨より小さいお金がなかったので、銅貨二枚の十一献金は不可能でした。しかし、彼女はどうしても自分の捧げ物を通して神の働きに参加したかったので、献金しました。おばあさんはその僅かの献金を皆の前で捧げるのは恥ずかしいと思って、神殿に出なくても、私達は彼女の気持ちが十分理解出来ますが、人の反応を考えず、持っている物全てを神の働きの為に惜しまずに譲りました。逆に、彼女は自分の献身的な献金を皆に見せる事が出来ると思います。「私は持っている物を全て捧げました。お金は何も残っていないので、誰よりも高い、十分の十献金をしましたよ」と正直に言える事が出来たと思います。しかし、やもめは静かに持っている物を全て捧げました。主イエスのみが彼女の献身に気づきました。やはり、献金は自分と神の間の問題と信じ喜びを持って静かに捧げるのです。主イエスはそれを見て感動して、弟子達に彼女の模範を褒めて下さいました。ですから、神は私達の内側を見て高く評価して下さいます。

 

【見せかけの献金】

その反面主イエスは律法学者の見せかけを非難しました。今日の個所の直ぐ前の所に主はこのように言われました。マルコによる福音書12章38節の所を見て下さい。「イエスは教えの中でこう言われた。『律法学者に気をつけなさい。彼等は、長い衣をまとって歩き回る事や、広場で挨拶される事、会堂では上席、宴会では上席に座る事を望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受ける事になる。』」おばあさんと違って、律法学者達は神との関係よりも、第一に人の褒め言葉と人前の振る舞いを大事にしました。そうすることで、彼等はこの世で自分の褒美と報を受けます。

 

【やもめの信仰】

最後に、そして、最も大事に、主イエスはやもめの信仰に印象づけられました。つまり、彼女は自分の命を神の御手に置いて、生活を徹底的に主に委ねました。彼女は神以外には味方がありませんでした。主人を亡くして貧困者になってしまいました。支えになる親戚もなかった事でしょう。もしあれば、ユダヤ人の律法によると、彼女のような状態にいる人は親族から援助を受けるべきでした。やもめは多分全く独りになって、頼る人がいませんでした。ですから、その銅貨二枚は彼女にとって大変重要なお金でした。

 

【一円玉の値打ち】

この頃は一円玉、十円玉も、あんまり価値がないですね。もし道で一円硬貨を見付けたら、わざわざ拾う程の価値があるでしょうか。実は、お釣りで貰う一円玉は邪魔になる時もあります。私は一円硬貨を貰うと、家に帰って、大きな壷に入れときますが、決してそのお金は退職金になるはずがありません。

 

【信仰の実践】

しかし、献金をしたやもめにとっては、その銅貨二枚は生活費の全てになりました。恐らく、彼女はそのお金で次の食事の材料を買うつもりでした。それは自分の持っている物全てでした。そして、その銅貨二枚を賽銭箱に入れ、神に捧げて、やもめは完全に主に頼りました。自分の信仰は理論的なものから具体的なものになりました。彼女は信仰を持って神の摂理(せつり)を心から信じましたので、その大胆な事が出来ました。そして、主イエスはやもめのその立派な信仰を認めて高く評価されました。

 

【すべてのことを主に頼る】

愛する兄弟姉妹、恐らく私達もその同じような信仰を現す必要があります。ここで別に献金の事を考えている訳ではありません。やもめの場合は捧げた献金を通してその信仰を現しましたが、私達は色んな事を通しても神を完全に頼り、信頼出来ます。例えば、人に証を立てると、知恵と適切な言葉の為に主に頼らなければなりません。また、病気になると主の支えて下さる力と慰めと癒しを完全に頼るべきです。気が滅入って来る時、主の希望と約束のみを掴んで神を信じなければなりません。そして、やもめのように完全に神に頼ると、主は30倍、60倍、100倍にして祝福して下さいます。神は私達の信仰を認めて、高く評価して下さいます。主イエスはこう言われました。「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

 

【このやもめのように】

聖書にはやもめについてあまり知らされていません。彼女の年齢、名前、未亡人になった事以外に家族の事も分かりません。しかし、主イエスはやもめの神に対する愛と、捧げる心と、主に完全に頼る信仰を認めて、大きな恵みを彼女に注がれました。間違いなく、主はやもめを十分に支えて、豊かに報いて下さいました。私達もやもめのような信仰を目指すと、きっと同じような信仰から来る喜びと祝福が期待出来るのです。(おわり)

 

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