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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

神に倣う者

ウイリアム・モーア

2008.6.15

 

エフェソの信徒への手紙4章25−5章2

◆新しい生き方

 25:だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。

 26:怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。27:悪魔にすきを与えてはなりません。28:盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。 29:悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。30:神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。31:無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。32:互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。

5

1:あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。2:キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

 

 

【父親の代わりに】

ある営業マンが仕事の為に数週間、外国へ出張する事になりました。彼は切符を買って、洋服を鞄に詰めて、そして、空港へのタクシーを呼びました。留守の間、奥さんの事が心配になりましたので、彼は、9歳の長男を呼んで、このように頼みました。「お願いがある。パパがいない間、ママを助けてちょうだい。家でパパがする事をパパの代わりにしてくれたら、有り難い。頼んだぞ。」お父さんは、ゴミを出す事や、赤ちゃんの面倒を見る事や、犬の散歩などを考えていました。長男はお父さんの願いを少し考えてる様子でしたが、直ぐにすんなり、喜んで承知しました。

 

【父を真似る】

お父さんは安心して主張に出掛けて、数週間後、ようやく家に帰った時、妻に長男の振る舞いについて訪ねました。彼女はこのように答えました。「実は、お父さんがいない間、彼はちょっとおかしくなりましたわ。毎朝、必ず、私が助けを願っても、彼はコーヒーを飲みながら居間で新聞をゆっくり読んでいました。そして、学校から帰ると、何も言わずに早速冷蔵庫を開けて、あなたのビールを飲もうとしましたのよ。大変だったわよ。」

 

【子どもは大人を真似る】

やはり、子供達は親をよく見ています。そして、間違いなく、その真似をします。口で親がいくら立派な事を言っても、親にない心配りが子に伝わるはずがありません。子供は善い行動とあんまり善くない行動もスポンジのように周りの大人から吸収します。幼稚園の園長として最近私はその事によく気づきます。特に遊び方にもよく見られます。子供達を自由に遊ばせると砂箱でお菓子屋さんのようにケーキやお饅頭を作ります。三輪車に乗って、タクシーの運転手のように友達に呼び掛け乗せます。そして、もちろんある時、彼等は大人のように喧嘩して大騒ぎになります。しかし、不思議に大人と違って、大喧嘩しても、その事を直ぐに忘れ、仲直りします。

 

【神に倣う者とは】

今日の御言葉のエフェソの信徒への手紙5章1に私達は神に愛されている子供のように、「神に倣う者となりなさい」と教えられています。皆さんの気持ちは分からないのですが、実は、私はこのように勧められると、ちょっと抵抗を感じます。と言うのは、神に倣う事は実に難しいから、いや、出来ないから、ここで御言葉は私達には不可能な事を要求しているようです。そして、自分には不可能な事が要求されると、いやな気持ちですね。そして、ある時は恐ろしいです。

 

【不得意な懸垂】

中学校二年生の時ですが、とても厳しい体育先生がいました。そして、ある日、いきなりに20回の懸垂を皆にやらせました。体育は得意ではありませんから20回は私には、とても無理でした。一生懸命に頑張ったら懸垂3回程度は出来ると思っていたが、20回は夢にも想像出来ない程でした。しかし、先生がやらせたんだから、トライしなければなりませんでした。「出来なかったらどうしよう。失敗したら皆の前の恥だ。しかも、体育の成績が下がるかも知れません。」その不安と恐れの気持ちでゆっくり一回、二回、三回、何とか出来ましたが、四回しようとすると力が完全に抜けて、棒から落ちてしまいました。その体験を通して、不可能な事が要求されるのは嫌であるとよく分かって来ました。

 

【御言葉に対する抵抗感】

ですから、「神に倣う者となりなさい」と言われますと、抵抗を感じます。全知全能の神の能力と比べると私達人間は本当に無力と見えます。神は宇宙とその全ての物を創造し、支えて下さいます。更に、主は永遠の神です。つまり、始めもなければ終わりもない、造られたお方ではありません。その反面、私達は神によって造られた被造物です。始めがあって、そして、神の恵みがなければ、終わりもあります。神は全ての事に於いて完全、完璧なお方です。言うまでもなく、私達人間は弱くて、失敗が多いです。ですから、人間と神の差があんまり大きいから、私達はいったいどういうふうにして神に倣う者となれるのでしょうか。

 

【主に似ていく成長の旅路】

先ず、この問題について一つの大事な事を覚えて頂きたいです。それは、ここで神は決して私達に不可能な事を要求しません。主は私達をお造りになりましたので、誰よりも、私達の能力を御存知っております。ですから愛する天のお父様は私達が出来ない事を求めるはずがありません。それは御自分の性格に逆らう事になるからです。もちろん人間は完璧に神に倣えませんが、信仰生活は主に似ていく旅路のようなものです。そして、神に似ていくのなら、何よりも主に倣う者とならなければなりません。赤ちゃんは親の言葉を聞いたり、歩き方を見たり、すぐに言葉が出来るはずがありません。瞬間的に走られません。初めにバブバブ言ってはいはいします。つまり、小さい時、お父さんとお母さん程の能力がないにもかかわらず、親に倣う事によって、段々上達します。同じように、私達は天のお父様を見て、主の倣う者となるべきです。そして、この世で完璧ではないが、又、先程の9歳の長男のストーリのような間違いなどをします。私達キリスト者は主に似ていく道を歩んでいます。

 

【神の愛に倣う】

今日の御言葉を学ぶと少なくとも神に倣う事に二つがあります。最も重要なのは私達が神の愛を倣うべきです。今日の個所の5章1節の所を見て下さい。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストが私達を愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私達の為に神に献げて下さったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」と記されています。神が主イエス・キリストを通して私達を愛して下さいましたように、その同じような愛を持って相手を愛します。その愛を倣って隣人にそれを現すべきだと教えられています。

 

【神の愛とは】

神の愛の特徴は何でしょうか。それはお返しにも係らず一方的、又、犠牲的愛なのです。先程読んだ御言葉に書いてありますが、主イエスは私達の為に、神に献げられたいけにえになりました。つまり、我々の罪を贖う為に、主は十字架でその罪の罰、死を御自分の身に受けて私達を神に和解させて下さいました。すなわち、滅びに走っていた私達の永遠の救いの道を開いて下さったのです。そして、その動機は始めから終わりまで御自分の一方的、犠牲的愛でした。

 

【敵を愛せ】

神に倣って、キリストが私達を愛したように私達は回りの者を愛するようにと教えられています。主はこう言われました。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい。」(マタイによる福音書5章4344

 

 

そのような敵さえも愛する愛は難しいけれども神は、敵であったときでさえ私達を愛し御子の死によって私達を御自分と和解して下さいました。主の助けによって、私達は回りの者の為にそのような愛を倣う者となります。

 

【ホームレスが教会に】

ある教会の主の日の礼拝がもう始まっていました。そして、礼拝途中で中年の男が現れて、空席を探しに前の方へ歩き始めました。誰もその人を知りませんでしたが、様子を見ると間違いなく彼はホームレスの姿をしました。ぼろぼろの洋服は大変汚くて、何週間もお風呂に入ってない事が明らかでした。彼は会堂の前の方へ進みましたが、会堂は満席で、座る所がありませんでした。そして、男は困った顔をして、急に講壇の直ぐ前の所の床に座りました。今度は何をするかと皆は不審な彼に目を注ぎました。そうすると、会堂の後ろに結構年をとった長老が立ち上がって前の方へ歩きました。きっと長老は礼拝の迷惑になる男を取り去って、礼拝をいつものように行えると皆は思いました。しかし、前の方へ着くと長老は床で男の側に座りそこで彼と共に礼拝を守りました。そうすると、牧師がこう言いました。「これから説教が始まりますが、皆さんはその内容をすぐ忘れるかも知れません。しかし、先程皆さんが見た事は一生忘れられないでしょう。」実に、この長老は神に倣って、愛を男の人に心から現したのです。

 

(きよ)い生活】

私達は神の神聖と清さに倣うべきです。旧約聖書に神はこう言われました。「私はあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。私が聖なる者だからである。」(レビ記11章44)。

 

神の祝福を受ける為、主を喜ばす為、また、善き証を立てる為に、私達キリスト者は神の民に相応しく生きるべきです。神に倣って清らかな生活を歩みます。

 

【聖い生活対する具体的なアドバイス】

今日の御言葉の5章25節から神聖な生活を送るように、相応しい生き方が教えられています。かなり具体的なアドバイスが記されています。もう一度25節から聞いて下さい。「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私達は、互いに体の一部なのです。怒る事があっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。すしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤、怒り、わめき、そしりなど全てを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦して下さったように、赦し合いなさい」と書いてあります。

 

【聖霊の導きによって】

この勧めは素晴らしいです。主はそのような徳目を現し、その生き方こそは私達の為の神の御心です。この個所の一つ一つの点を詳しく学ぶべきですが、今日、時間がありません。しかし、その御言葉を聞くと、どう思いましたか。皆さんが、私もそうですが、恐らく、自分の足りない点を悟ったのではありませんか。神に倣う者はその清い生き方を現します。私達は人を裁く前に自分が人にして貰いたい事を自分も人にしているか、再確認する必要があります。私のお勧めですが、今週、もう一度、今日与えられた個所をゆっくり読んでみて下さい。そして、読みながら聖霊が自分に語りかけるように祈って下さい。特に、愛と神聖に関して、よりもっと忠実に神に倣う者になるように祈りましょう。愛する兄弟姉妹、益々全ての事に於いて神に倣いましょう。(おわり)

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