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ウイリアム・モーア

2009.2.8

 

詩編14篇1−71:【指揮者によって。ダビデの詩。】神を知らぬ者は心に言う/「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。

  2:主は天から人の子らを見渡し、探される/目覚めた人、神を求める人はいないか、と。

  3:だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。

  4:悪を行う者は知っているはずではないか。パンを食らうかのようにわたしの民を食らい/主を呼び求めることをしない者よ。5:そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。神は従う人々の群れにいます。

  6:貧しい人の計らいをお前たちが挫折させても/主は必ず、避けどころとなってくださる。7:どうか、イスラエルの救いが/シオンから起こるように。主が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき/ヤコブは喜び躍り/イスラエルは喜び祝うであろう。

 

 

【熊に襲われた無神論者】

ある日一人の無神論者が深い山に入り、進化論がもたらした美しい大自然を敬服しながら歩き回りました。突然、後ろからの酷いウオーと唸る声を聞いて、振り返って見ると背丈2メートル程の巨大な熊が自分の方へ襲って来ました。無神論者は出来るだけ速く逃げましたが、熊は段々追い迫ってきました。彼は一生懸命に速く走ったけれども、熊は益々近づき、今すぐでも熊に食われる状況でした。心臓がドキドキしていた彼は必死でしたが、ついに石に躓いて転びました。そして、立ち上がろうとしたが、熊は彼の上に立って、前の足で攻撃するところでした。言うまでもなく、無神論者は非常に恐怖を感じ、われ知らずに、「神よ、助けて下さい」と叫びました。

 

【天からの声】

そうすると、不思議にその瞬間時間が止まりました。熊はじっとして動きませんでした。森林は全く静かになりました。川も凍結されたのです。次に眩しい光が男の人を照らし、天から大きい声が聞こえました。「あなたはずーと私の存在を疑って、更に他の人にまで私は存在していないと言い続けていたのに、今更私の助けを求めますか。キリスト者になりたいのか」と言う声でした。無神論者は光に向かってこのように答えました。「御存知のように私は無神論者だからキリスト者になりたくないが、もし可能だったら、どうかこの熊をキリスト者に造って下さい。」

 

すると、天からの声は、「あなたはあんまりかわいそうだから、願いを叶えます。熊をキリスト者にしてあげよう」と言いました。そうすると、天からの声が聞こえなくなり、眩しい光が消え、止まっていた時間は動き始めました。そして熊は跪いて、手を合わせて、非常に穏やかになり、こう祈りました。「食前の祈りを致します。神様、この御馳走を備えて下さり心から感謝します。どうか、この美味しい又新鮮な食事を通して私の健康を守って下さい。アーメン。」

 

【神を無視する者】

今日は神の御言葉、詩編第14編が与えられました。その一節にこう記されています。「神を知らぬ者は心に言う、『神などない』と。」他の翻訳は原文のヘブライ語を又このように訳します。「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。」恐らく、両方の訳は足りないかも知れません。何故なら、詩編全体は神を全く知らないと言う人がいないと仮定します。詩編に、誰でも神の存在の証拠を正直に探したら、主の存在を悟ると言う基本的な原理があります。例えば、詩編第19編にこう書いてあります。「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話す事も、語る事もなく、声は聞こえなくても、その響(ひび)きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」(詩編19篇2−5)

 

つまり、主を知ろうとする心があれば、神の存在の証拠は十分でありますから、実際に「神を知らぬ」人はいません。しかし、神を知ろうとしない、神を信じたくない、あるいは神に面と向かうのではなく、後回しにしたり、避けようとする人が大勢おります。今日の御言葉はそのような人について語っています。

 

又、一節の「愚かな者」もちょっと誤解しやすい翻訳ではないかと思います。愚かな者と訳されたヘブライ語の単語は決して頭が悪い知的障害を持つような者の意味ではありません。知能の問題ではない訳です。ある無神論者の頭はとても良いけれども、実際の事、つまり神の存在の事については大間違いをします。神の存在の証拠があるのにも関わらず、それを無視して、「心に言う、『神などない』と」言います。ですから、詩編第14編は神を知らぬ者と頭が悪い愚かな者よりも、神を信じようとしない、神を無視する者について書いてあります。

 

【人は何故に神を無視するか】

皆さん、人は何故そう言う立場を取るのでしょうか。 神の存在を疑い信じようとしないで主を無視しますか。先程の熊と無神論者のストーリーのように、強い証拠があっても無神論者は基本的に神を信じたくなかったのです。自分よりも、熊がキリスト者になって欲しかったのです。何故なら、唯一の全知全能の神の存在を認め、主を信じるならば、それに伴う責任が付いて来ます。つまり、自分が決めた勝手な道よりも、神が教えて下さった道に従わなければなりません。神の存在を認めると、自分自身の上に神の権限も認める必要がある訳です。もちろん神の教えと御指導は始めから終わりまで私達人間の祝福と益の為ですが、ある人は善い事でも、救いに至る事でも、言われたくないのです。それぞれ自分の目に正しいとする事を行いたい、自分が決めたところが悪くても慣れて来た今までの道のままが楽だと思い込みます為、神を受け入れたくありません。

 

【無神論者トマス•ナーゲル】

トマス•ナーゲルと言う無神論者の作家はこう書きました。「私は何よりも、無神論が真理であると思いたいのです。しかし、私はただ神を信じないのではありませんが、神が存在しない事は私の切なる希望であります。神の存在を認めたくないのです。そのような宇宙が欲しくないからです。実は神の権限の問題を扱いたくありません。」

 

【善を行う者は一人もいない】

やはり、トマス•ナーゲルさんも自分の目に正しいとする事を行いたいです。だからこそ神が存在しない事を主張します。しかしながら、その結果はあんまり望ましくはありません。人が神と御自身の教えと権限を無視すると、この世はどちらの方向に向かうのでしょうか。人間は神の正しい道から迷うとき、神に対して、また隣人に対して罪を犯します。今日の詩編の一節の後半の所を見て下さい。「人々は腐敗している。忌(い)むべき行いをする。善を行う者はいない。主は天から人の子らを見渡し、探される、目覚めた人、神を求める人はいないか、と。だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。一人もいない。」

 

 

【神よりお金を愛する人の結末】

現在の金融危機と不景気は色んな原因があったのですが、そのおもな理由は自己中心と強欲ではないかと思います。何よりも、神さえよりも、お金を大事にした人々は全世界をこの危機にさらしてしまいました。彼等は落とし穴を深く堀り、仕掛けたその穴に自分達自身が落ちてしまいました。そして残念ながら世界中の数え切れない程の失業者と住む家と老後の蓄えを無くした者も大きな被害を受けました。私達一人一人を大事に造って下さった愛する神の存在と教えを無視すると、その醜い結果になります。神の知恵と助けを無視すると自分の権力や高慢に包まれ、ついには愚かな者になり、自分が掘った落とし穴に落ちてしまいます。「我々はこの目で倒れる事を決して見ない」と言った大手企業が破綻するのを見たのではありませんか。

 

 

 

【キリスト者も時に自己中心である】

キリスト者である私達は無神論者とは違って、もちろん神の存在を認めます。しかし、その事に満足する前にちょっと考えて見て下さい。私達は神の存在を認めながらでも、ある時、主が存在していないような生き方をしているのではないのでしょうか。神の存在を認めますが、毎日の生活に神の恵みと神の要求を忘れ、神御自身の存在は私達とあまり関係がないような生活をしてはいませんか。そして、ある場合、自分を神の目から隠れる事が出来ると信じたいのです。つまり、神の存在を信じても、時々は神がいないように生きたがっています。特に罪を犯す時はそうであります。自分の思う通りにならないから全く正義でない態度を取ったり自分に得にならないから人を無視する態度をとったり、自分には分からないからと言ってどうでも良い態度をするのです。主の代わりに自分の知恵と力に頼る時もそうです。神の御心には振り向かず、自分のわがままな道に走り、耳を傾けようともしません。そういう時は祈りも出来ません。神が私達の事を見て欲しくないと思う時もそうです。

 

しかし、いかなる時にも神は常に私達を見て、私達の全ての思いも見抜きます。詩編第139編にこう記されています。「主よ、あなたは私をきわめ、私を知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くから私のはからいを悟っておられる。歩くのもふすのも見分け、私の道にことごとく通じておられる。私の舌がまだひと事も語らぬ先に、主よ、あなたは全てを知っておられる。」

 

全くその通りです。何処へ行っても主はいつも私達と共にいて、支えて下さいます。さらに、私達の全ての思いまでも御存知であります。ですから、神を存在していないように生きようとするのはとても愚かな事で、ただ自分を馬鹿にする自己欺瞞です。主を無視して、神御自身が準備して下さった正しい道から迷うと、私達は空しくなり、主に対しても、隣人に対しても罪を犯してしまいます。

 

【主とともに歩む人生】

愛する兄弟姉妹、救い主である主イエス・キリストのお陰で、私達は神の愛された子供になりました。私達の全ての罪は赦され、神と和解させて頂きました。ですから、罪を捨てて、喜んで全ての事を見給う神と共に歩む事が出来ます。神は私達を豊かに祝福して、この世で御自分の働きに参加させて下さいます。そして、私達の為に天国で素晴らしい家を用意して下さいます。そこは思い煩いも苦しみも痛みも無い、平安で愛に満たされ、永遠に神との交わりを楽しむ事が出来ます。

 

皆さん、神はこのような愛の神でありますから、私達は喜んで主に従い、常に共に歩みたいのです。この神から自らを隠す必要がないのです。また、神が存在していないかのような生活をしなくても良いのです。私達が心を開き主イエス・キリストこそが私の救い主である事を告白すると、神はありのままの私達を受け入れて下さいます。どうか、私達は愚かな事全てを捨てて、神の恵みと喜びに生きましょう。(おわり) 

 

 

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