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なぜわたしをお見捨てになったのですか

ウイリアム・モーア

2009.4.5【受難週】

 

マタイによる福音書27章2750◆兵士から侮辱される

 27:それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。28:そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、29:茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。30:また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。31:このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

◆十字架につけられる

 32:兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33:そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34:苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。35:彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36:そこに座って見張りをしていた。37:イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38:折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。39:そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40:言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」41:同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。42:「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 43:神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」44:一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

◆イエスの死

 45:さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。46:三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47:そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。48:そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。 49:ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。50:しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。

          

【東独・放送タワーに現れた十字架】

旧東ドイツの共産主義の時代、あるシンボルがその国のキリスト者に大きな慰めと希望を与えました。それは高層テレビ放送タワーでした。政府がその放送タワーを通して無神論宣伝を国民に送りましたが、一つの問題があったのです。それはタワーの天辺に球状の形のレストランがありました。そして、太陽の光がその球状に当たると、いつも眩しい十字架が映されました。その十字架は有名になり、共産党の政権を当惑させられました。ですから、当局がその十字架を消す為に、あらゆる手段を尽くしました。ペンキを塗ったり、球状の表面にあったガラスにコーテイングを付けたりしましたが、全く役に立ちませんでした。十字架は尚更眩しく映され、キリスト者に大きな励みになりました。ある牧師が十字架の現象についてこのように言いました。「当局がいくらで無神論主義を主張しても、十字架を私達の国から消す事は出来ない。」

 

【十字架は我々の信仰の中心的シンボル】

十字架は我々の信仰の中心的シンボルとなります。建物の屋根にある十字架はキリスト教の教会堂を示します。多くの人々は十字架のジュエリーで身を飾ります。そして、墓石にも十字架が刻まれると、誰が見てもそれはキリスト者のお墓である事がすぐ分かります。十字架は大昔から、世界中キリスト教のシンボルになり、その意味が一般的に認められて来ました。 十字架は万物と全人類の造り主、唯一の全能の神の大きな犠牲的愛を現しますので、とても相応しいシンボルになります。

 

【受難週】

今日から受難週に入り、私達と全世界の教会は特に主イエス・キリストの十字架の死を覚え、神の限り無い愛を記念します。あなたと、私と、そして全人類の為の主イエスの贖い死の意味と重要性を新たに覚え、その測り知れない恵みの故に、神に感謝し、神を誉め讃えるベきではないかと思います。

 

【十字架刑】

十字架はキリスト教のシンボルになりましたが、元々そうではありませんでした。実は、イエス・キリストの当時は十字架は何よりも残酷な拷問と死と刑罰を表しました。というのは、ローマ帝国は最も悪い犯罪者を十字架に掛けたのです。反逆者や殺人者や悪名高い強盗などには一番厳しい刑罰になりました。その死に方は言い尽くせない程苦しいだけではなく、人間性を奪うような屈辱的な処刑でした。数日にわたり皆の前で死に至るまで苦悶を受けると誰も自分の威厳を守る事が出来ません。ローマ政権はそのような酷い死に方を通して、民衆を脅して、服従させました。つまり、「ローマを逆らうと、十字架の報酬を受けるんだ」と言う明確な意味でした。

 

【ユダヤ人の王】

今日与えられた御言葉はイエス・キリストの受難をはっきりと語ります。十字架に掛けられる前に、兵士達は主に恥をかかせようとしました。今日の個所マタイによる福音書27章28のところを見て下さい。「イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に乗せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、侮辱した」と記されています。御自分の裁判の時、「私の国はこの世には属していない」と宣言されたにもかかわらず、イエスは謀反を起こし、自分をユダヤ人の王とする罪で死刑を宣告されていたので、兵士達は主を偽の王としてばかにしました。王のように赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せました。また、兵士達は王権を示す棒を主に持たせて、イエスの前にひれ伏して「ユダヤ人の王、万歳」と叫び、あざけり笑いました。

 

【唾を吐きかけ、・・】

30節を見ると、兵士達は更に、イエスに「唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につける為に引いて行った」と記されています。このように不当に苦しまれ、侮辱されたのに、主イエスは何も言わずに、御自分の苦難を受けたのであります。

 

エルサレムの外れにあるゴルゴタ、すなわち「されこうべ」と言う死刑場に連れられてくると、兵士達は主の服を脱がして、釘で手と足を打ちつけ、イエス様を十字架につけてしまいました。そして、「くじを引いて主の服を分け合い、そこに座って見張りをしていた」と書いてあります。また、イエスをバカにする為に「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げました。

 

イエス・キリストの処刑は公に行われたので、エルサレムの住民はその光景を見に行ったのです。「そこを通りかかった人々は、頭をふりながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い』」とあざけりました。また、イスラエルの指導達、すなわち祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言いました。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」とイエスを罵りました。更に、イエスと一緒に十字架に付けられた二人の強盗さえも、主を侮辱しました。

 

しかし、侮辱され、酷い苦しみを耐えられたのに、主は何も言わず、御自分の苦難を受けられました。

 

わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか
しかし、最後に主イエスは口を開かれ、こう叫ばれたのです。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」そして、その言葉を言うと、「イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた」と記されています。

 

主イエス・キリストは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と皆が聞こえるように叫びました。実は、主はその質問の答えを御存じだったのです。聖書のルカによる福音書18章31の所を開いて下さい。

 

エルサレムに入る前に弟子達にこう言われました。「イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。『今、私達はエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いた事はみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼等は人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する』」と主イエスは御自分の受難と死と復活さえも予告しました。

 

【主イエスの贖いの死】

イエス・キリスト、神の独り子は、使命を果たす為にこの世に遣わされました。それは御自分の身をもって、私達人間の罪を償う為でした。罪の全く無い主イエスは私達の罪の為の罰を受け、私達を神に和解させて下さいました。そして、私達は神の子供になり、永遠まで御自分の恵みを受ける訳です。その故に天の父なる神は御子イエス・キリストを一時的に見捨てたのです。私達の為に主イエスはあらゆる侮辱を耐えて、十字架の酷い死に至るまでも、御自分を犠牲にして下さったのであります。

 

確かに、イエス・キリストは十字架で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたとき、その答えはもう既に明らかでした。実は、その質問は私達の為の質問です。つまり、「父なる神は何故御子イエス・キリストを見捨てたのですか、」と私達が聞くべきではないかと思います。

 

【神の人に対する愛の故に】

愛する兄弟姉妹、その答えは一つしかありません。私達人間に対する大きな愛の故に、父なる神が御子イエス・キリストをこの世に遣わし、十字架の使命を与えたのです。神は私達罪人の救いの為に御自分に一番貴い者、御子を十字架の死にさらして、見捨てたのです。それは神の限り無い大きな愛です。私達の中に、人の子供の為に自分自身の子供を死までも犠牲する者がいるのでしょうか。しかし、父なる神はそうなさいました。

 

御自分の受難を通して私達は子なる神、主イエスの死に至るまでの愛も経験出来ます。イエス・キリストは御自分の使命をやめる事も出来ました。神の御子として敵に勝つ力があって、十字架を避ける事が出来、しかもこの世の支配者になる能力が十分ありました。いざという時に、十字架から降りる奇跡的力もあったのです。しかし、私達の救いの為に自ら進んで、受難の道を積極的に選択されました。私達の為の御自分の愛の故に、沈黙を守り兵士達の卑しい侮辱と暴力と唾を吐きかける事を耐えられました。私達の為の御自分の愛の故に、十字架にかかり死に至るまで、人の罵りも受けました。 私達の為の御自分の愛の故に、十字架に付けられた強盗達の嘲りも仕返しせずに受ける事が出来ました。更に、 私達の為の御自分の愛の故に、イエス・キリストは十字架の死までも受けたのです。

 

【イースター(復活祭)のまえに】

来週の主の日にイースター、すなわち、復活祭を大きな喜びを持って、お祝いします。神の力によってイエス・キリストはお墓から蘇られました。しかし、今日は、神の素晴らしい愛を示す、また私達の永遠の救いをもたらした主の十字架の死を覚えます。

 

【聖餐式のパンと葡萄酒】

間もなく、私達は聖餐式にあずかろうとしています。聖餐式を通して私達の為に裂かれた主の体と、罪の赦しを得させるようにと流された主の血を覚え感謝します。愛する兄弟姉妹、主イエス・キリストはあなたと 私の為、御自分の愛の故に十字架で死んで下さいました。どうか、私達一人一人は感謝と喜びを持って主イエスを信じ、従いましょう。(おわり)

 

 

 

 

 

 

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