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イースターの約束

ウイリアム・モーア

2009.4.12

 

ルカによる福音書24:1−12;36−49

◆復活する

1:そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。2:見ると、石が墓のわきに転がしてあり、3:中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。4:そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。5:婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。6:あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。7:人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」8:そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。9:そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。10:それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、11:使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。12:しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

 

◆弟子たちに現れる

 36:こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。37:彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。38:そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。39:わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」40:こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41:彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42:そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43:イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。44:イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45:そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46:言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47:また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48:あなたがたはこれらのことの証人となる。49:わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

 

【主イエスの受難】

悪夢のような一週間でした。しかし、それは幻想ではありません。明白な事実でした。全く信じられない事が起ってしまいました。祈る為に主イエス・キリストと御自分の弟子達がエルサレムに近いオリブと言う山へ行くと、突然、刀と棒を持った群衆が現れました。そして、十二の弟子の一人、ユダは、その群衆から出て来て、「先生、いかがですか」と挨拶して、主イエスを接吻しました。そうすると主はこのように言われました。「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか。」

 

【弟子の一人が祭司長の僕の耳を切り落とした】

神殿警察官が主を逮捕しようとすると、一人の弟子はイエスを守る為に刀を抜いて、祭司長の僕の耳を切り落としましたが、主がすぐその暴力を止めさせ、祭司長の僕を治されました。イエスは戦わなく、逃げようともしませんでした。寧ろ御自分の逮捕を許されたのです。

 

【ユダヤ人指導者達の尋問】

オリブ山から祭司長の家まで連行され、そこでイエスはむち打たれました。またユダヤ人の指導者達が、「あなたは神の子なのか」と尋問すると主はこのように言われました。「あなたがたの言うとおりである。」

 

【ローマ総督ピラトの裁判】

それから、ユダヤ人の当局は主をローマ帝国の総督ピラトの所へ連れていって、ピラトにイエスに対して色んな偽りを言いましたけれども、総督は彼等を信じませんでした。「私はこの人に何の罪も認めない」と宣言しましたが、群衆はその判決を受け入れませんでした。「十字架に付けよ、十字架に付けよ」と叫び続けました。そして、やがて群衆の声が勝ち、ピラトは主イエス」を彼等に渡しました。結局、自分の煩わしい臣民を黙させる為、罪の全く無い主イエスの処刑を許してしまいました。

 

【二人の強盗と共に十字架に】

御自分の弟子達と親しい者たちの目前でイエス・キリストは刑場に連れられ、他に二人の強盗と共に十字架に架けられました。最も残酷な刑を受けた時、主はこのように祈られました。「父よ、彼等をお赦しください。彼等は何をしているのか、分からずにいるのです。」何時間も十字架の上で言い尽くせない程の肉体的と霊的苦しみを受けてから、主は叫んで言われました。「父よ、私の霊を御手に委ねます。」そうして、息を引き取られました。

 

【裕福なアリマタヤのヨセフの墓に葬られる】

イエスを尊敬していたある裕福な人がピラトの所へ行って主の遺体を引き取る許可を得て、主イエスはお墓に納められました。間違いなく、その時は主イエスの敵が勝ったかのように見えました。ユダヤ人の指導者達はもう全てが終わった、これ以上イエスの事については心配が要らなくなったと確信したに間違いありません。イエスは人々に直ぐに忘れられると思ったのです。誰も十字架に架けられ、死んでしまった人に従う者は、あるはずがありません。

 

【弟子達の失望】

言うまでもなく、弟子達は大変なショックを受けました。自分の愛する先生の命が突然、残酷的に奪われました。彼等はイスラエルを救うのはイエスだと信じ、全ての望みを主に掛けていました。また、弟子達は大変悲しんでいました。主イエスの完全な愛を経験した彼等は今後、その愛が分からなくなるような気がしたのです。その上、弟子達は自分の先生の死の意味がまだ分かりませんでした。もし、イエスが神の子でいらっしゃったならば、神は何故御自分の御子を救わなかったでしょうか。主の死は意味のない悲劇にすぎないと思ったのです。ですから、皆それぞれ故郷に帰ってイエスを忘れた方が賢明だと思ったのです。その悪夢のような出来事を水に流して、これからの事を考えなければなりませんでした。主はいつも、「神の国は近づいている」と話しましたが、今、弟子達にはそれはただのおとぎ話にすぎませんでした。弟子達はイエスが死なれた事で当然希望を失いました。

 

【二人の天使】

ところで、イエスの女性弟子達は主のお墓から戻ると、とんでもないお話がありました。お墓の中に入ってみると、主の遺体が見当たりませんでした。すると、二人の天使が現れ、こう言いました。「なぜ生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになった事を思い出しなさい。人の子は必ず罪人の手に渡され、十字架に付けられ、三日目に復活する事になっていると言われたではないか。」

 

It’s too good to be true

女性達は急いでお墓から帰って来て、弟子達にその嬉しいお話をしましたが、彼等は信じませんでした。今日の御言葉によりますと、弟子達はその話が「たわ言のように思われたので、夫人達を信じなかった」と記されています。(ルカ24:11

 

弟子達は夫人達のお話を聞くと、こう思ったのでしょう。「きみ達は変な夢を見たんじゃないか。私達の目の前で主イエスは十字架の上で亡くなりました。しかも、主の遺体はもうお墓に納めてしまいました。誰でも知っているように、死んだ人は蘇られない。」

 

事実、夫人達が伝えたイエス・キリストの復活のお話はあまりにも素晴らしい、良いもので、弟子達は信じる事が出来ませんでした。英語でこの表現があります。It’s too good to be true. すなわち、「あまり良過ぎて信じられない」特に広告の宣伝文はそうです。人は物を売る為に大げさに言う傾向が強いのです。宣伝がいくら誇張しても、一週間で10キロも痩せる薬や、月100万円の収入を貰える内職や、必ずいつも競馬で儲ける秘訣など、ありませんので懐疑的な態度をとる方が賢明です。恐らく私達皆は一度はだまされた経験がありますので、あまり良い話を聞くと、不審を抱くようになります。人間の約束は注意する方が賢いです。特別に、あまり良い約束、あまり良い話の場合、気をつける事は当然です。ですから、弟子は夫人達の「イエスが復活された」というお話を聞くと疑いました。あまりに良すぎる話ですから、信じられませんでした。

 

【全能なる神様の約束をなぜ疑うか】

しかし、弟子達は非常に大事な事を忘れたのです。万物の造り主、全能の愛する唯一の神の約束になりますと、あまり良すぎる話においても信じない方が賢明と言うポリシーは全く無効であります。神様にとって不可能はありません。ですから、私達はその約束を信じ、主のお話を徹底的に頼る事が出来ます。

 

【第一のイースターの約束:罪の許し】

今朝、復活祭にイエス・キリストを信じる私達に神はイースターの約束をして下さいます。第一のイースターの約束は罪の赦しです。つまり、どんな罪を犯しても神の赦しを受ける事が出来ます。詩編103篇に記されているように、「東が西から遠い程、(神は)私達の背きの罪を遠ざけて下さる。父がその子を憐れむように、主は主を畏れる人を憐れんで下さる。」(詩編103篇12、13)

 

神の力によって復活されたイエス・キリストの贖い死のお陰で、罪を告白し、悔改めれば、どんな過ちでも赦されます。十字架で主イエスは私達の全ての罪の罰を御自分の身に受けて下さいましたので、神は御子を信じる者に赦しを約束する事が出来ます。そして、今日、私達が祝う主の復活を通して、父なる神は主イエスの贖い死の力を承認されました。つまり、罪の赦しは御旨でなければ、神は決してイエスを復活させられませんでした。

 

【すべての人に必要な罪の許し】
しかし、「私にはそのような赦しが必要ではない」と思う人がいるかも知れません。私は「人を殺したり、家族の者を捨てたり、大金を盗んだような罪を犯した事がありませんから。」割合に小さい過ちの場合、神の赦しは別に受けなくても済むでしょう」と言う者が大勢いるかも知れません。実は、完璧である神には過ちがどんなに小さくても罪は罪であるし、憎まれます。主イエスはこう言われました。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイによる福音書
5:48

 

ですから、どんなに小さい罪でも罪は罪です。神の赦しを絶対に必要とします。そして、信仰を通して神の赦しを頂くと、神によって受け入れられ、神御自身の全ての祝福を頂けます。イースターの際に愛する神はその素晴らしい恵みをあなたに約束します。そして、どんな事があっても、真実の神はその約束を守って下さいます。

 

【第二のイースターの約束:生きる目的と力】

第二のイースターの約束は、生きる為の目的と力です。神は私達一人一人を高く評価して下さいますので、人生の大きな目的を持っています。御言葉によりますと、人類を造った時、他の被造物と違って、「神は御自分にかたどって人を創造された」と記されています。万物の造り主は私達を一人も残らず、大事に、大事に造って、そして、この世を管理をするように委託されました。更に、御自分にかたどって創造された私達は、神を知り、主との親しい交わりと祝福を楽しむ事も出来ます。そして、同時に私達は言葉と行いを通して神の愛と救いを隣人に紹介し、主を証しするお働きを託せられました。さらに、その使命を果たす為に、神は必要な力と知恵を授けて下さいます。蘇られた主イエスの御霊は私達と共にいて、どんな事があっても助けて慰めて下さいます。ですから、イースターの約束として、神は生きる為の目的と力を約束します。

 

【第三の約束:確かな希望】

そして、最後に神は将来の為の確かな希望を約束します。生きる為に誰でも希望が必要であります。それは将来に良い事を期待する確信です。希望を失うと、人生は重いものになり、諦める気持ちが強いのです。希望は大事ですけれども、その希望の源が確かなものでなければなりません。そうでないと、私達は自分自身を欺いて、いつか大がっかりします。

 

【主イエスの復活は約束の保証】

愛する兄弟姉妹、神の恵みのお陰で私達の希望は確かであるし、頼る事が出来ます。そして、私達の希望はイエス・キリストの復活によって保証されています。つまり、神が主イエスを復活された同じ力で、主を信じる者を永遠の命に復活して下さいます。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬ事はない」(ヨハネによる福音書1125)とイエス・キリストが約束して下します。

 

つまり、イエスの復活のお陰で死の「とげ」が私達から取り除かれています。実は、死後の状態に対して私達、主を信じる者は大きい希望を持っています。神によって完全にされ、永遠まで私達の救い主と共にいて、喜びと平安に満たされています。

 

愛する皆さん、今年のイースターの際、是非、信仰を通して真の神の約束をしっかり掴んで下さい。その約束は、父なる神の赦しと、生きる為の大きい目的と力と、将来の為の確かな希望であります。御自分の大きな愛の故、神はその三つの比べることのできない恵みの約束を無償で提供します。そして、神は必ず御自分の約束を保証し、果たして下さいます。愛する皆さん、神の確かな約束を信じ頼りながら、死から蘇られた復活の主イエス・キリストに従いましょう。(おわり)  

 

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