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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

漁に行こう

ウイリアム・モーア

2009.4.19

 

ヨハネによる福音書21章1−14

◆イエス、七人の弟子に現れる

  1:その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2:シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が    一緒にいた。3:シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4:既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5:イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6:イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれ    るはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7:イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をま    とって湖に飛び込んだ。8:ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9:さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10:イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11:シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12:イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。

 13:イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14:イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 

 

 

【スーザン•ボイル】

最近、ほんの一週間の間に、声楽の世界に新しいスターが生まれました。スーザン•ボイルと言う英国の小さな田舎町出身の歌手が、全世界のセンセーションになりました。先週、彼女は「アメリカン・アイドル」と言う人気テレビ番組の英国版に初めて舞台を踏みました。それは観衆を驚かせる歌唱力でした。そして、マスコミの力でスーザン•ボイルは一夜にして全世界中に知られ、話題になりました。

 

【見栄えのしない小母さん】

実は、彼女が舞台に上がった時、観衆は大笑いで嘲りました。何故なら、その様子というか姿はポピュラー音楽の歌手にはあまりに掛け離れていたからです。ボイルさんは極普通の中年の田舎の小母さんでした。いや、普通より、もっと時代遅れのように見えました。彼女はまるで1950年代の洋服と髪形で、更に、丸々太った、そんな所に出そうな感じが全くしませんでした。

 

その故に、数千人の舞台に立つと、観衆にからかわれ、彼女は大笑い者にされると皆は思ったに違いありません。その様子だったら、間違いなく歌が下手糞という先入観を持って、端からあざけりました。

 

【天使の歌声】

しかし、ボイルさんが口を開くと、皆は歓声を上げました。まさに天使の歌のように聞こえました。オペラの一流歌姫の演奏になりました。演奏はミュージカルのレミゼラブルからの「夢やぶれて」と言う歌でしたが、ボイルさんの夢は決して破れませんでした。あという間に、観衆の嘲りは尊敬と賞賛に変えられ、皆は一斉に立ち上がっての万雷の拍手が彼女に送られました。その上、いつも厳しい音楽審査員たちも口を開けっ放して、最高の点数をボイルさんに与えました。自分の歌を多くの人の前で演奏すると言う彼女の夢が叶えられ、彼女は喜びのあまりに震えていました。その日のコンサート・ホールの観衆だけでなく、生テレビ放送で何百万人もがボイルさんの歌を聞きました。そして、マスコミとインターネットを通して、現在まで数千万人が彼女の演奏を楽しんだそうです。

 

【ボイルさんの前半生】

ボイルさんの背景を知っていれば彼女の溢れる喜びが分かります。九人兄弟の末子で、家はそれ程恵まれていませんでした。そして、生まれた時、酸素不足の為、学習障害を受けてしまいました。ですから、学校では勉強があまりに難しくて、続けられませんでした。その故、また、むさ苦しい外見の故、生徒同士によって苛められっ放しだったそうです。しかし、小さい時から歌が大好きで、声楽を習いました。しかし、兄弟たちが大きくなり、家を出た後、寡婦で病気をかかえていたお母さんの介護をボイルさん一人で長年やって来ました。お母さんが娘の才能を信じて、亡くなる前に、「是非、リスクを冒して、多くの人の前で歌って御覧」と励ましたそうです。

ボイルさんはお母さんの言葉を覚えて、勇気を出してやっと48歳でデビューしました。大変緊張しましたが、勝利を得て、新しいスターに生まれ変わりました。

 

【十字架に架けられた主イエス・キリスト】

私はボイルさんの光景を拝見していると、主イエス・キリストの十字架に架けられた時の事を思い出しました。ボイルさんと似たように、主イエスを見た人々は彼には勝算が全くないと思い込みました。イザヤ書のキリスト預言の通りです。「乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私達に顔を隠し、私達は彼を軽蔑し、無視していた。」(53章1−3)

 

【この世から軽蔑され、無視された主イエス】

この世の全ての権力がイエス・キリストを滅ぼうそうとしました。当時、西洋を治めたローマ帝国は主に反対しました。ユダヤ教の指導者達も主に反対しました。エルサレムの市民も主イエスに対して、「十字架に付けよ、十字架に付けよ」と叫び続けました。主と共に十字架の刑を受けた強盗さえも、イエスを侮辱しました。敵は葦の棒で主の頭をたたき、茨の冠を主にかぶらせ、恥をかかせました。イエスに唾を吐きかけ、ばかにしました。そして、死に至る十字架に掛けられ、言い尽くせない苦しみを受けられました。それは全く敵の勝利としか見えませんでした。主イエスにはかすかな望みもなかったと皆が思いました。

 

【三日目に甦られた主イエス】

しかし、預言者と主イエス御自身が預言されたように、三日目に神は主をお墓から蘇らせました。天使達が、「あの方は復活なさった、ここにはおられない」と証言した通りです。主イエス・キリストの十字架の死はただ無意味の悲劇でなかったし、それは私達の贖いの為でありました。復活されたイエス・キリストは生きておられ、罪と死の上に無上の勝利を得て、歴史がすっかり変えました。

 

先週の主の日のイースターに、私達と全世界のキリスト教会は大きな喜びを持って、そのイエス・キリストの勝利を覚え、お祝いました。

 

【復活の主イエス・キリストとその勝利】

2,000年前の初めてのイースターに弟子達も大きな喜びを持って主イエスの復活をお祝いしました。復活なさった主イエス・キリストは何回も弟子達に現れました。そして、弟子達は生きておられる主に出会い、自分の目でキリストを見ると、彼等の人生がすっかり変わりました。つまり、敗北と悲劇ばかりだと見えた主の十字架の死は、復活の目で見ると、神の大きな、大きな勝利になりました。そして、神の勝利は私達主イエスを信じる者の勝利にもなります。死と罪は私達をもう滅ぼす力がないからです。使徒パウロが書いたように、「私達の主イエス・キリストによって私達に勝利を賜る神に、感謝しよう。」(コリントの信徒への手紙一15章57) 

 

 

【テイベリアス湖畔で】

今日与えられた御言葉は、蘇られた主イエス・キリストの一つの出会いの記録です。日の出るころ、朝早くイエス・キリストはテイベリアス湖畔で弟子達に現れました。主が十字架に架かり死ぬと、弟子達は主に会う前のそれぞれの職業に戻りました。ですから、弟子達の中の漁師はその職場に復帰しました。そして、ペトロが、「私は漁に行く」と言うと、6人の弟子同士が彼と共に出掛けました。彼等は舟に乗り込んで、湖へ出て行きましたが、夜中から朝までずっと頑張っても一匹も取れませんでした。諦めて、帰ろうとした時、主イエスが湖畔から100メートル離れた彼等に呼び掛けました。距離があんまり遠いからか、不思議に目が遮られたか知りませんが、弟子達は、それがイエスだとは分かりませんでした。

 

【主イエスの呼びかけと大漁】

「子達よ、何か食べる物があるか」と主が大きい声で訪ねると、彼等は、「ありません」と答えました。そして、今日の個所の6節を見ますと主イエスはこう言われました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」(ヨハネによる福音書21章6)と教えて下さいました。弟子達はどんな気持ちでその知らない人からの指示を受けたかは分かりませんが、恐らく、言われた通りにしても損にはならないと思って、舟の右側に網を打ちました。そうすると、「魚があまり多くて、もはや網を引き上げる事が出来なかった」と記されています。

 

その驚くべき豊かな大漁に「イエスの愛しておられた弟子」、恐らくヨハネが、ペトロに「主だ」と言いました。

 

私達は日常生活でごく小さい事を通して悟らされる事があります。ある独特な口癖や目付きで失われた人が戻って来ることがあります。このように私達は霊的に主から遠くはなれていても、また再び主に回復される時があります。それは主が弟子達に現れたように私達に低くして来て下さり、現れて下さるからです。そして、ペトロが喜びのあまり海に飛び込んで、岸まで泳いで主イエス・キリストを出迎えるように、私達も同じ喜びを味わいます。

 

【勝利者の謙(へりくだ)り】

浜辺でイエス・キリストこそが弟子達の為に、炭火の上で、朝食を作って下さいました。お墓から蘇られた神の御子イエス・キリストは何故その役割を果たすのですか?死の上に勝利を得たイエスはへりくだって弟子達に仕えました。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と彼等を招いて下さいました。蘇られた主は夜間働いた漁師達を食べさせるのであります。

 

間違いなく主イエスは他の形で御自分を弟子達に現す事が出来ました。突然、目を眩ますような栄光で現す事も十分出来たはずです。しかし、御自分の奉仕と愛を通して弟子達に現れました。そして、「弟子達だれも、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしませんでした。主である事を知っていたからである」と記されています。

 

 

 

愛する兄弟姉妹、今日の御言葉を通して神は私達に何を教えられるのでしょうか。少なくとも二つの大事な事が覚えられると思います。

 

【自分の力でなく】

先ず、弟子達は自分の力と知恵で実を結ぶ事が出来ませんでした。夜中ずっと働きましたが、魚一匹もとれませんでした。漁師として経験が豊であったにもかかわらず、その時、彼等は大失敗しました。しかし、イエスの知恵、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」との言葉に素直に従うと大成功でした。網は破れそうになる程大漁だったと記されています。

 

【主の知恵と力に頼ること】

このしるしを通して、主イエスは大事な事を弟子達に教えられました。つまり、これから主イエスの弟子として実を結ぼうとするならば、自分の知恵と力ではなく、主の知恵と力に頼らなければなりません。主と共に歩んだ間に、教えられた事を実行しないと失敗になります。主イエスの霊に導かれないと、神の国の為に実を結ぶ事はなかなか難しい事なのです。

 

【福音宣教】

主イエスが天に上げられてから、弟子達は今日の御言葉に於ける大事な事をしっかり覚えて、キリストの福音を遠い国までも伝え、迫害を受けてもキリスト教会は発展しました。イエス・キリストの教えを忠実に実行して、主の知恵と力に徹底的に頼りましたからです。

 

主は今日の御言葉を通して、私達にもその同じ事を教えられます。私達も自分の知恵と力よりも、神からの知恵と力に頼る限り、主は必ず私達の集会を祝福して、成長させて下さいます。

 

【互いに愛し合いなさい】

主イエスは今日の個所を通して、また他の大事な事を教えて下さいます。それは、へりくだりと奉仕の精神です。主は弟子達の為に朝食を準備して、彼等を食べさせました。弟子達の主は僕になり、御自分の愛を実行しました。主はこう言われました。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子である事を、皆が知るようになる」(ヨハネ福音書13章34)と弟子達に教えられました。彼等は主イエスの奉仕の精神と愛を模範として、素晴らしい証を立てる事が出来ました。そして、私達も一人も残らず僕としての態度を取らなければなりません。そうすると、私達もイエス・キリストの弟子である事を、皆が知るようになります。

 

愛する兄弟姉妹、どうか私達も復活の主の知恵と力に頼り、主イエスと同じように愛の人になりましょう。(おわり)

 

      

 

 

 

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