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足のともし火    

江戸浩三伊丹教会長老

2009.8.9

                                聖書:詩篇119篇105

あなたのみことばは私の足のともし火、私の道の光です” 

ルカ福音書8章16~17

ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入ってくる人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。  

 

【ともし火】

きょう、皆さんにお伝えする言葉は、ともしび、です。ともし火と聞くと小さな火を連想できます。とろとろと燃えている火をともし火、と表現しますが電気の光でも、ともし火と言えるでしょう。遠方に見える、ぼんやり見える小さな光。

どこかの外灯かもしれません。歩く動きに合わせて左右に揺れる提灯の灯り。

 

霧のなかの灯台の灯り。小さく見えて頼りなさそうな一筋の光ですがとても重要な役目を持っていることは言うまでもありません。その光を頼りに難を逃れて目的地にたどり着けることはほんとうにうれしいことです。

 

【欠かすことのできないもの】

ともし火は新約の時代にあって、生活、家庭用品として欠かせないものでした。

当時の暗い部屋の照明だけでなく、容易に得ることのできない火種の確保のために灯油を常に絶えさ無いように“ともし続ける”のが習慣でした。

そのような生活背景から、ともし火が消えるとはその家が滅びたことを意味しました。

 

【二つの役目】

明かりには二つの役目があります。

1. 足元を安全に照らすともしびとしての役目

2. 進むべき正しい道の方向を示す光としての役目

 

【人生のともし火】

聖書は私たちの足のともし火です。このともし火がないとき、人生に迷ったり絶望したりします。人生が明るい時にこそともし火なる聖書の言葉を蓄えておきたいものです。人生に暗い影が忍び寄る時、わたし達が蓄えたともし火である聖書の言葉が大いなる 道しるべ となることでしょう。

 

【イエス、キリストはこの世の光】

このともし火、光こそイエス、キリストです。

このイエス様という光に私たちが照らされる時、17節にあるように“隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、遂には知られ、公にならないものはない”のです。

 

【全てのことがキリストの光に照らされる】

私たちが心に抱いている良い思いも悪い思いも、私たちがすべきでないことをしている事も、すべきことをしていない事も、                       

私がしている良い業も、この光、ともし火によって、教会のなすべき使命も私たちがなすべき使命も全て明確にされるのです。

 

【悔い改め】

悔い改めることがあれば悔い改め、主に委ねることがあれば全てを委ね、主のともし火に照らされつつ主の道を歩んでいきたいものです。

主のともし火をともし続けるのは誰でもない私たち一人一人なのです。

 

小さく弱弱しい、ともし火の光でいいじゃありませんか。50集まれば明るくなります。イエス、キリストの福音という光を人々に見えるようにすることが私たちと教会の使命です。

 

【聖書は人生のカーナビ

聖書はこの世の旅路を歩む私たちにとってはいわば地図です。カーナビです。

今、どこにいてどこに向かっていけばよいのか、どこを曲がっていけばよいのか示してくれます。人生の指針である聖書に従って歩みたいものです。

 

聖書の言葉は遠くにあるのではなくて“あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心の中にあって、あなたはこれを行うことができる”申命記30-14  とあるように、今この世にいる私に直接与えられているのです。

 

【み言葉によって守られる】

聖書、み言葉は暗闇の中にあって、わたしの足元を照らし私が穴に落ちたり、危険な目にあったりすることから守ってくださる。

しかし、この教えは聖書を学ぶ事なくしては与えられません。よく学び理解し、何よりも自分から近づかなければこの恵は与えられないことは明白です。また、他人の学びによって自分も益をえることはありえません。代々クリスチャンだから私は黙っていてもこの良き福音の恵にあずかれる、わけがありません。世襲制ではないのです。神様の恵みを子々孫々に至るまで受け継がれることのできる幸いはそれなりの神への謙遜と努力を必要とします。

 

【聖書を自分に適応する】

私たちが神を愛するなら、神が私たちに与えてくださったみことばを大事にしなくてはいけません。

何度も読み返して、意味を探り、自分にあてはめて考えることも必要であり、大切な方法でしょう。聖書をよく読むということは、単に知識をふやすだけのものではない。単なる興味の対象でもない。実際に手足を動かすことが必要であります。

自分流にやりたい、やりたくない、怠けたいという心をも従わせることが大事、と教えています。

                          

【聖書とは?】

 次のように表現する人がいました。

1.人間の取り扱い説明書、人間を作った神“メーカー”が人間につけて送り出したいわばマニュアルみたいなもの。

人間の性格や目的、弱点(罪)、故障のときにどうしたらよいか具体的に書かれている。

2. また、聖書は神から私へのラブレターです。神が私を愛している証拠。だから私たちは喜んで読む。書いた人(神)の気持ちを考えながら。

 

この二つはいずれも、神様と人との関係を表しています。聖書をマニュアルだのラブレターだのといっては不謹慎でしょうか。これほど身近に考えてもいいのではないでしょうか?

 

【聖書の正しい教えに何故従えないか】

聖書を身近に置き、それが一番正しい、と知っていても行うことができないのはどうしてでしょうか?

 

【聖書を第一に】

もっと楽に、身近において行動する物事の第一番目においていないからです。

多くのことを片付けてから、これを終えてから、というとまったく出来ません。

たいていそうです。お稽古事をしなければ、と思いつつそのことを第一にしないと、今日ではなく明日になり、もう何日もやらずに過す。そのうちそれで良くなる。進歩は全く見られない。

 

献金も収入の第一番に用意しておかないと献金する分がなくなってしまいます。なにがともあれ第一番目が大切。

人とのおつきあいでも大切な人なら第一番にします。

 

【三浦綾子の小説“銃口”】

先月、三浦綾子の小説“銃口”を読みました。

昭和初期の時代背景にあって、主人公、小学生の北森竜太を支えた担任の坂部先生、教師になってから出合う沖島先生、戦場にあっても近堂一等兵、山田曹長がいました。

こうして見ると北森竜太の苦しかった時代に真の隣人がいつもそばにいたことを感じました。そして金 俊明という朝鮮人との再会によって実現した終戦からの祖国帰還。 若い頃、竜太の父に助けられた恩を祖国朝鮮に帰ってからも忘れる事なく、竜太との再会によって命がけで守り、日本への送還を手助けしたのです。

 

【神はおられる】

作者、三浦綾子は“昭和を背景に神と人間を書いて欲しい”と編集者から要望があったそうですが確かに竜太の背後に神が見え隠れして流れていることを私にも感じることができました。

戦争と軍国時代の困難な時代に生まれて主イエスに従う者として、信仰のともし火を絶やさないよう常に励まし続け、後に主人公の奥さんになった女性がいました。天使のように見えました。

 

この物語から主の示すかすかなともし火を感じました。消えたかのように思ったとき、主のみ手が差し伸べられ再び新しい道しるべが与えられるのです。

 

【現代と自殺】

現代は豊かさの時代とはいえ、若い人が、小中学生、高校生に至るまで死の道に自分を置く人が多く報じられます。彼らが苦難の中にあって、一筋のともし火を見出したなら、ともし火を与える隣人がいたなら死を選ばずに済んだのでは?と心に痛く感じます。

この世において世の光として、どんなにほの暗い灯心であっても永遠にともし続けていきたいと思うのです。私たちは主イエスの愛の炎によって照らされ、この世の光とされ、信じて従うもの全ての内なる心が輝き満ちています。永遠に消えないともし火です。

 

【受け継がれる教会のともし火】

昨夏、四国の教会を訪問しました。山田教会は伝道開始、92年、教会設立61年。宿毛伝道所は教会設立、年。土佐清水伝道所は伝道開始57年、と古い歴史の中にあってその長い伝道のともし火を感じることができました。

清水にあっては建物の老巧化には驚きました。でも、一番感動しました。

あの時、2年後に建て直す、と言ってましたがが、新しいともし火が土佐清水に輝いてほしいものです。

 

娘、清子が嫁いだ飛騨高山の古川教会も100年を越える宣教の歴史を持ち続けています。

信仰のともし火をともし続けることはいつの時代でも困難、試練を受けるものでありますが主は常に喜びと希望を用意してくれている確信を強く感じました。

 

皆さんの心に光を与えて下さっているのは愛に満ちた神様であることを忘れてはなりません。神様から与えられている、ともし火という光の恵みを感謝して自分という小さな存在を主にささげましょう。(おわり)

 

 

 

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